東方幻想今日紀 六十六話  lunatic nightmare

「・・・。」



何処からかふすまの音がしたので目が覚めてしまった。

窓から差し込んだ月明かりは、俺を覚醒させた。

・・障子、閉め忘れたのだろうか・・。
さっきから、何かがおかしいような気がする・・。



・・ゆっくりと光の差し込む方向を見た。

・・・黒い厚紙にぽっかり浮かぶ黄色くて、落ち着いた太陽。
今日の月はそんな表現がぴったりだった。

やっぱり、月は人の心を穏やかにするのかもしれない。

月光に照らされた文字盤を見ると、深夜だという事がわかった。

・・・障子を閉めて寝ようと思った。しかし何かが足りない。





程なくして違和感の正体に気付いた。



布団に命蓮さんがいなかったのだ。





・・まさか・・・さっきのふすまの音が・・。





俺は刀を持ち、客間を飛び出した。

素早く草履を履き、門から出て彼を探した。




一体彼はどうしたのだろうか。
温厚で、正義感が強くて・・人を思いやれる、そんな人。
そんな彼が夜中に誰にも何も告げずに出て行くなんて。



追いかけてはいけない気もするが追いかけずにはいられなかった。



命蓮寺の周りは畑が多かった。
民家が少なく、見通しが良かったので彼はすぐに発見できた。


・・・彼は畑で周りを注意深そうに見回していた。
ここからさほど遠くではないなので、すぐに彼のもとへ走った。




・・走って一分くらいだろうか。彼の近くに来た。
ぜえぜえと息が上がる音がする。

命蓮さんに近付こうとした。


彼は俺の姿に気付くと猛然と走り出した。



・・一体・・どうして・・?



何も考えられないまま俺は逃げる彼の背中を必死に追い続けた。

一分間ずっと全力疾走してたので、既に息が上がっていた。

彼も決して遅くは無かった。
しかし、彼との距離は徐々に縮まっていく。



俺は尚も全力疾走していた。
喉の奥からは鉄の味がした。



それでも走り続けた。





怖気立つ様な嫌な予感を全身で感じながら俺はひたすら走っていた。












しばらくして、彼ははたと立ち止まった。
俺も一緒に立ち止まった。


月明かりに照らされていた彼の肩は激しく上下していた。



彼は振り返らずに、よく通る声でこう告げた。



「これ以上、僕について来ないで下さい。」


初めて聞く、彼の冷淡で、跳ね除けるような声。
まるで別人のような声だった。



いつもの様な、心地良い暖かい布団ではない。




厚い厚い、氷の塊だった。





肩がゾクゾクと震えだす。冷や汗で手が震える。
爪先から喉の奥へ突き抜けるような激しい悪寒。



「・・・嫌です。」


声が震えた。
胸の中の危険信号がやかましく鳴り響いている。

全てがスローに感じた。



全身で、身の裂けるような危険を感じていた。
危険信号がガンガン鳴り響く。



頭が壊れそうだ。



大量の冷や汗が顎から滴り落ちる。


彼が口を開く気配が伝わってくる。

彼の言葉を待った。
冷や汗は止まってくれない。

穏やかな月明かりさえ、立ち尽くす俺を貫いていた。





「じゃあリア君・・あなたに最初で最後の・・お願いがあります。」


彼の声が震えていたのがわかった。
いつものような・・・暖かい布団の面影だ。

異常なほどの違和感はやはり変わらずあった。


彼の一言、一句がスローになって俺に圧し掛かった。



・・死ぬほど息苦しい。


・・返事が出来ない。







全てが遅くなった。






彼はゆっくりと振り向き、俺を見据えた。




彼の目は、涙で光っていた。





これ以上無く、澄んだ目で。

これ以上無く、濁った目だ。




その目には言い表せないほどの複雑な感情を含んでいる。

それと同時に、無表情だった。




その目は・・同じなんだ。




今、二人を照らしている月と。


・・・狂気と、悟り、決意、虚無の同居。






彼が重々しく、口を動かした。






・・遅れて、聞こえてきた言葉。













「僕を・・・殺してください。」

















月が煌々と輝き、とうとう時間が止まった。




つづけ