東方幻想明日紀 五十四話 秘密の刻印

魔法の森を抜け、帰路の田圃道に合流する。
後ろをつけてきた鶏(おそらく護衛のつもり)に軽く会釈をした。

鶏も、小さく会釈をした。
「お疲れさまだ。気を付けてな」
「うん」

この鶏喋れるんだ。今まで喋らなかったのはなぜだろう。
そんなことを気に留めつつ後ろを振り向くと、その鶏は回り込んだ。

「どうして驚かない。ただの鶏じゃないと思っただろう」
「多少は驚いたさ。お前がただの鶏じゃないのは薄々わかってる」
なんだ、驚かせたかったから今まで喋らなかったのか。

「俺がどういう鶏か当ててみてくれよ」
こいつめんどくせえやつだ。
しかし、適当に答えるともっと面倒だ。
考えるふりでもしておくと、何かと何かのハーフだとヒントをくれた。
当分帰してくれそうにない。どうせ鶏と鳥だろう。
まさか、これが目的でついてきたのか。
「答えは人間と鳳凰のハーフだ」

結論から言うと、持て余したので適当に茶を濁して撒いた。
余計な事を言って反感を持たれても困る。
父親か母親かは知ったことではないが、
鶏なんぞに不倫された人間が不憫でならない。

それにしても、珍妙な出来事だった。



素朴な八百屋に戻ると、人の気配がしない。
野菜も綺麗に片付いていて、倉庫も小綺麗だった。
油が切れていて、明かりを点けられない。
どこにも予備の油はない。

そのかわり、吸ってもいないたばこのやにの匂いが充満していた。
おじさんは大酒する男だが、たばこは忌避していた。

ただ事ではないが、手掛かりもないので闇雲に探せない。
でも、ここに腰を落ち着けても戻ってきそうにない。

後悔が、何度も僕の胃を押し上げる。
静かな絶望感に打ちひしがれていた。

どの可能性もあるが、諦観の念は拭えそうもない。
暗い畳の上に、白い物が割り込んだ。

でた、なんて驚く余裕もないが、見上げるとソナレノの影。
そして、目の前に差し出されているのは手紙だった。
「どこにあったんだ、それ」
「引出し」

手紙を奪い取り、外に出てその手紙を大きく広げた。
右上がりで太い抑揚の強いおじさんの文字が、はっきりわかる。

『親父が危篤だから帰る事にした』
裏返しても、それ以上の事が書いてあるわけでもなし。

おじさんは、親父が死んだ時の事を語ってくれたことがあった。
そんな口実で出ていくわけがないことは、火を見るより明らかだ。

誰かが、おじさんの筆跡を真似て書いたものだろうか。
店中を包む煙草ヤニ。ありえない口実の手紙。
それなのに、小奇麗な店の中。
頭が働くわけもなく、壊れてしまいそうだ。
でも、この感覚をどこかで知っていた。
身体の底の底に、刻みつけられていた。

これは、知っている。

けたたましく戸を蹴破る音で、唾を呑みこみ損ねてむせる。
背後を振り向くと、店の扉が壊されていた。
慌てて中に入ると、見知った後ろ姿。

「何してんだお前!」
呼び止めると、その影は振り向いて、歯を見せた。

「師匠〜ッ!」
間延びした声で、怒る気も失せてしまった。
格下げされて同格になったのに、なぜこいつはいつもいつも…
「で、わざわざ来たのはどうしてなの」
「ああ、緊急招集があったから来てくれると嬉しいと、ペディアス様が」

物言いを考えるにペディアスさんの上、即ち小春様の命令だ。
そして、来てくれると嬉しいというより、来いということだ。
余程のことなのだろう。

頭のもやもやを振り払って、砂銀と一緒に急行することにした。


門をくぐり、ススキの繁る荒廃した地を駆ける。
遠くに、人の小隊を取り囲むように、小さな狗や狛犬
その中央にイシュラさんの影。
見回しても、またソナレノはいなかった。
どうせ後でひょっこり現れるだろうと、こっそり人だかりの後ろの方に入った。


「なあ師匠、アヤク様がいるのはなぜだ?」
前の方を見ると、確かにイシュラさんの傍に背の高い青年がいる。
「なぜ僕が知っていると思ったんだ」
「ああ、だって懇意にして頂いてるだろ?アヤク様は丙部隊だし」

懇意にして頂いている…か。
確かに、アヤクさんがいなかったら、僕がここにいることはない。
だけど、それだけだ。
それよりも、別部隊の重役であるアヤクさんがここにいる。
光栄というよりは、胸騒ぎがした。

人だかりが、時間に伴い小さくなっていく。
前の方で並んでいた者は、どこかに行ってしまう。
一体、真ん中で何が行われているのだろうか。
前の一団が消えたら、いよいよ僕の番だ、という時だった。

「ヒカリくんじゃないですか。来てください」
アヤクさんが、僕の後ろに回り込んで、僕の腕をそっと太い手でつかんだ。
そして、無理やりに近い勢いで真ん中に立たされた。

獣の面影を残した年様々の男達の視線に、足が少しすくむ。
首に手をかけられ、その手を離される。

首には何も付いていなかった。
「終わりです。後で事情を説明するのでこの周辺にいてください」
そんな指示を受けて、僕は解放された。

少し離れた場所で座り込んでいると、同様の儀式を獣人たちに次々と施していた。
何やら、それは洗礼を彷彿とさせていた。

それが終わると、アヤクさんは僕のそばに歩み寄りしゃがみ込んで。
既に眠気が襲ってくる頃だった。
「腕、まくってみてください」
そっと袖をまくると、細い腕に漢数字で「三」と刻印が打ってあった。
これは…
「いいですか、これから一週間、誰も親しい人に触れてはなりません」

「もしも…むっ」
僕が言おうとした口を、大きな手がふさいだ。
そして、深い深い微笑をたたえて、アヤクさんはその手を離した。

「近々、大きなお仕事があります。それまでの辛抱ですよ」


つづけ