東方幻想明日紀 四十九話 初めて抱く野心

砂銀の住む国の地下、地霊殿のある地底。
そのはずれの方に、僕たちがよく行く呑み屋があった。

僕は、滅多に呑んだりしないが。

「そういえば、最初お前は僕を憎んでたよな」
砂銀が煽った杯を空中に止めて、こちらに振り向く。
「…師匠、忘れちゃったのか?」
不安そうな顔で、砂銀はそう返す。

師匠というのをやめろと言う気も失せている。
彼が呼びたいからそう呼んでいるのだ。

何も忘れたわけじゃない。
最初、砂銀は僕に敵意をむき出しにして襲いかかってきた。

「僕はただ手当しただけなのに、今こうしてお前は僕を師と仰ぐ。
 同じ仲間で、格下げまでされて、それでもなお。どうしてだ」

「ただ手当しただけじゃないよ。俺は、本当に嬉しかったんだ。
 お前みたいな、すっごい奴に気にかけてもらえた。」

すごいやつ、という表現に顔をしかめると、彼は高々に笑う。

砂銀が、ふいに空を見上げた。

「ほら、俺たちの部隊の招集命令だよ」
えっ、と声を上げると、砂銀はそういえば初めてだったなと言った。
今更、僕が所属している部隊は何をするところなのか尋ねられなかった。


手を引かれるようにして連れられた場所は、地下帝国の北端。
歩くこと数時間、中央部の清潔な白い床と違って、土の地面だった。
ススキのような草の生える荒涼とした草原になっていた。

この光景は意図して作られたのか、手を加えなかったのかはわからない。

ただ、この空気に回帰への憧れが垣間見れるあたり、やはりというか、案外ここの人たちは人間臭いのかもしれない。

不思議だ。
人間は好きではないけれど、人間臭さは好きだ。
短命の欠点さえ克服すれば人間臭さを失う。

だから、僕は誰とも仲良くするつもりでいなかったのに。

「なあ砂銀、お前の種族はどれくらい生きるんだ」

踏み入った。砂銀だから、という一種の僭越だった。
砂銀は理由すら尋ねずに、お前より早く死んだりしないとけらけら笑った。

きっとこいつは僕よりも早死にする。
だけど、そんなことはいい。
こいつが、すぐに僕の前からいなくなることはない。

僕は長い溜息をつくと、あることを決心した。

荒んだ草がまばらに生える野を進むと、小さな廃教会のような建物。
ますます、わからない。
この都市は最近できたことから考えると、
こんなちぐはぐな組み合わせにした理由が見えてこない。

いったい誰がこんな趣味なのだろうか。

砂銀の後に続くように小さな教会のドアに手をかけて、中に入る。

息を飲んだ。

中は清潔な大ホールだった。
穏やかな橙色の明かりが、全体を柔らかく包み込んでいる。
壮大な演奏会でも始まりそうな雰囲気に、すっかり飲み込まれた。

整然と配列された黒い座席、その向こうには木張り床のステージ。

「すごいだろ?」
ただ、頷くことしかできなかった。

「僕たちはどの座席に座ればいいんだ」
「いや、座席じゃない、舞台の上だ」

彼が指差したステージの上に、人だかりができていた。
黒椅子の列を通り抜けて、ステージに近づく。

ステージの上を見ると、床の上に腰を下ろした獣の面影を残す様々な人々。
その向こうに、二つの人影があった。
片方はあの時僕からマントを奪い、鬼火をも奪い格下げをした。
「ペディアス…さん、だっけか」
昆虫のような二枚の薄羽、触覚を覆い隠すような二つの長帽子。
そしてあの含みのある、女みたいな口の動かし方。

「俺たち乙部隊の五つ鬼火の副長だ。実質一番偉い人になるな。
 一度も話したことはないけど、結構切れる方らしいよ。
 …って、あのお方から直接受けてたよね?昇降格試験」
小さくうなずくと、少々忌々しい感情が蘇る。
話を聞くに、この部隊の役割は警備とのことだ。
トラブルを未然に防ぐために尽力するらしい。肉体派である。
それにしても、この人が副長だとすると隊長は…

「その横は、四つ鬼火のイシュラさん」
僕に構わず、砂銀は目で小柄な少年の横の男をさした。
人に数えると二十半ばほどの、目元の緩い青い髪の青年だった。
見たところ、耳や尻尾の類は見て取れない。

まるで、付き人のようにペディアスさんの横で佇んでいる。
もっとも頬を掻いて退屈そうにしているあたり、くだけた関係なのだろう。

こっそりステージに上がって、後ろの方に座った。
「私たちは膂力でなく、穏便な解決を第一優先に――」
どうやらこの人、説教癖があるらしい。退屈である。
ペディアスさんの長々としたご高説が終わりに近づいた時だった。

「待ってくれ」
突然、横の青年が手を挙げた。
ペディアスさんは、その流れるような演説を止めた。
「どうしました、イシュラくん」
「邪魔が入ったみたいだ」

イシュラと呼ばれた青年はステージから降りて、通路をゆっくり歩いた。
すべての視線が、客席にも似た座席群全体に向く。

イシュラさんの視線を辿って首を傾ける。
危うく、声が出るところだった。

そこには、引きつった表情の少女の姿があった。
ソナレノだった。

あいつ、何をして…
握りこぶしの力を強めた瞬間に、隣から熱が急になくなった。
ダン、と床を強く踏みぬく短い音。

振り返ると、砂銀の姿がなかった。
見なくてもわかっていた。
砂銀が、ソナレノをかばうある種の地獄絵図。

今日は、ため息の多く出る日だと思う。
…僕が行かなくて、なんで砂銀が出るんだよ。


砂銀と合流すると、青年を見上げた。
静寂は、数秒続かなかった。

「なんだ、君たちの友達か〜」
青年は愉快そうに声を立てて笑った。
僕たちも微笑むと、青年は小さく息を吸い込んだ。

「――次ここに来るときは、殺意を消してこいよ」

同じ調子で、彼女だけに聞こえるような声でそう言い放った。
不思議と少し安心した。顔が怒っていた。


「どうして、あそこでひとりでいたんんだ」
いたたまれず僕はソナレノを連れて、教会の外にいた。
僕に、あそこにとどまる資格はない。

「ペディアスといった、あの少年に死相が見えている」
「死相?」

ソナレノは彼にはまだ生きてもらわないと困ると言っていた。
彼を生かしておくメリットについては全くよくわからない。

ただ、彼が死ぬと状況が大きく変わりそうというのは僕にもわかる。

「…なるほど、ペディ様を心配してくれてたんだな」
さきほどの青年が、ドアを開けざまにやれやれと手を作る。
顔が引きつったが、頭に乗せられた締まった手がその不安を取り払った。

「心配とはちょっと違うかなー」
ソナレノが、頭の男の手を払って台無しにした。
青年はおっと失礼と高笑いをする。
ソナレノの中ではわからないけれど、
僕の中では彼に一点の曇りも見て取れなかった。

「それにしても、申し訳なかったね」
僕が首をかしげると、青年はそっと続きを耳打ちした。

ペディアスさんは、あまり体が強くないということ。
彼が死んだら、四つ鬼火の中で最も強い者が五つ鬼火になり副長を務める。
だから、四つ鬼火が二人になることを許さなかった…らしい。

そんなことを、こっそりペディアスさんはイシュラさんに教えたらしい。

「どうして、そんな秘密を僕に言うんですか」
「それは、お前が元同格だったのもあるし、何よりも、だ」
青年は、小さく咳払いをして、僕をしっかりと正面に見据えた。

「俺はそういうのが嫌いだ。お前には実力で上がってきてほしい」

ちょうど、さっき僕もそういう決心をしたところだ。

砂銀の尊敬できる「師」になる。
そのためには、名実ともに強くなってやる。


「望むところです」
そう高らかに言ってのけ、握りこぶしを作って前に出した。
青年は腕を組んでそのまま踵を返し、悠々と歩を進める。

「ほら、初仕事だぞ」

イシュラさんは、振り返らずに、横を指差した。
指の先、はるか遠く。

小さな人影が荒野のはるか向こうに佇んでいた。
小さくお礼を言うと、そこへ向かって一直線だった。


つづけ

東方幻想明日紀 四十八話 狛犬とトラウマスイッチ

昇格試験という名目で僕はマントを奪われた。
早くこの狛犬を倒して、僕の分身にも似たマントを取り返す。
昇格の事も頭の中に無いではないが、鳴りをひそめていた。

目標まで数メートル、息が荒くなるのを感じた。
暗闇のなかで、巨大な狛犬のしなやかで頑強な背中が浮かび上がる。
その屈強な肩の周りに、鬼火が二つ。
本当に、僕よりも二つも格下なのだろうか。

今は僕が小さくなっているから、その存在感は尚更大きい。
元の姿の膝の高さほどの青い綿毛に覆われた小獣になっている。
ソナレノの力なのか、それとも僕本来の力なのか。

そして、何よりも気持ちの悪い事に、毛深い手を擦り合わせると、
水飴のような深い青色の透明な粘る液がでてくる。

空気に触れると固まって、力を抜くと簡単に手から外れる。
ソナレノはこれでどうにしろと言ったが、正気を疑う。

それにしても、無策で飛びだしてきてしまった。


僕の体は、狛犬よりもはるかに小さい。
このままだと、撹乱以外の何もできそうにない。

大きな背中を見ていると、ふと気付いた事があった。
こいつ、狛犬の癖に随分と尾が長い。まるで獅子のようだ。

…と、すると。

幸い知性の方にはほとんど影響はなかったようだ。
周囲を見回すと、背の高いアカマツを見つけた。

そっと、気付かれないようにマツの根元に回り込む。
あ、小さいけどマツタケ発見。後で持ち帰ろう。

袖を引かれる思いを感じながらも、赤みがかかった樹皮を垂直にするする登る。
こんなにも身軽だと、この身体を好きになってしまいそうで困る。

枝先まで行くと、真下に鬼のような形相をした狛犬を見出す。
そう、狙うはあの長い尻尾である。

狙いを付けて、ゆっくりと前足を擦り合わせる。
すると、青い玉がゆっくりと大きくなり、ゆっくりと垂直に降りる。
擦る手を速くすると、そのガラスのような紐は太くなる。

紐の先が、長い優麗な尾に降り立った。
それはまるで、人類の輝かしい第一歩。
知らない者はいないあの計画。
…を彷彿とはさせないが、狛犬が動かない事にまずは安堵する。

だんだんと、狛犬の尾が深い空のような液体で覆われる。
それはゆっくりと大きくなる。ガラス細工のように。
やがて尻尾の先に大きなビー玉をくくりつけたような様子になった。

固まれ…!
そう心に念じると、手から滴り落ちる流動は動きを止めた。

その瞬間だった。
狛犬が、首を真後ろに回転させた。
そして尻尾の先を凝視する。

だんだんその視線は上へと上がっていく。
…目が、あった。獰猛な漆黒がこちらをしんと刺す。

大丈夫、重さできっと動けないはず。

そう思った矢先。
めきっという身の毛のよだつ音。
大きく枝が揺れたかと思うと、おもむろに全てが横に落ちていく。

地面に叩きつけられると、帽子が顔に覆いかぶさって真っ暗になった。
まずい。

帽子を取ろうと暗闇に手をかけた瞬間だった。
体に打撃を受けると深い真っ暗に一瞬放り出され、また視界が明るくなる。

どうやら近くの石塀に叩きつけられていたようだった。
巨大な影のはるか向こうに、根元から倒れた松の木が見えた。
くそっ、僕のマツタケが…

こいつ、まさか肥大化した尻尾を逆手にとって…

もう策はなかった。
それ以前に、体が動かない。
こんな攻撃一回で……

心臓の鼓動が一瞬だけ跳ねあがる。
次に瞬きをするとすぐそばに、色白の震える五本の指

僕の手だった。
どうやら、人間の姿に戻ったようだ。

目の前の狛犬は、ゆっくりと歩き始める。
その場で、回り始めた。
まるでハンマー投げのように、尻尾を回転運動で振り回し始める。

この知性のかけらもないような獣に、全て上をいかれてしまった。

万事休すか。

呆然と、回転速度を上げた巨大な車輪を見つめていた。
その竜巻は回転しながらだんだんと近寄ってくる。

地鳴りのような音がしたかと思うと、石の四角い塊が空を飛んだ。
当たったすべてをすり潰し吹き飛ばしていく。石塀でも例外ではない。

その瞬間だった。
耳を貼り裂くような風の音と一緒に、身体ごと吹き飛ばされた。
横に転がると、小さく乾いた咳が出た。

生き……てる。

重たい体を起こすと、まだ夢を見ていたようだった。
砂煙の中、目の前に巨大な地面をえぐった轍が出来上がっていた。

轍の先を見ると、はるか向こうに壊れた民家が見える。
その手前に、巨大なガラス玉。

不意に、視界の端っこに半透明の白い尾が横切っていった。

「……やっと、姿を現したか獣妖怪め」

砂の靄に悠々たる様子で屹立する白い髪の少女の姿。
片手に長い刀、もう片手に脇差。それは、記憶に新しい姿だった。

忘れもしない。以前僕が絞め殺そうとした少女だった。
彼女が回転する狛犬の尾を斬ったのだ。

少女は僕に一瞥をくれると、怪訝そうな顔をした。
彼女の目をまっすぐ見る事が出来なかった。
「話をするのは後にしたほうがよさそうね。腰が折れているし」

背筋の冷えるようなセリフを僕にねじ込んで、
少女は倒れて痙攣している狛犬に向かった。

少女は離れた場所から消えて、狛犬を通り抜けて現れた。
狛犬は四肢を大地に投げ出して、そのままぴくりとも動かない。

一瞬の出来事だった。

少女は小さく刀身を振って血を払い、鞘に納める。

振り返り、またこちらに歩きだす。
傍に来ると、へたり込む僕に、冷たく見下ろす眼光で突く。
黒いリボンが、穏やかな風に揺れていた。

「あまり、お前を生かしておきたくはない」
静かで、強い言葉。僕は嗚咽すら発する事ができなかった。

「私に何の恨みがあって私を執拗に殺そうとしたんだ。
 答えたくないのなら、それはそれで――」

彼女の落ち着いた声が、だんだんと遠くに聞こえていった。
涙の筋が、とめどなく僕の頬を伝っていた。

女の子が地面に沈んだ。
真夜中の田圃道だった。
月にたなびく銀色の短い毛束。
月が、綺麗だった。
本当に、綺麗だった。

「お前が…僕のだいすきなひとを殺したんだ」
立ち上がると、腰の方に違和感を覚えた。

少女は数歩、後ずさる。
顔は威嚇の表情をしていたが、瞳は怯えきっていた。


あの時袴を穿いていた身の丈ほどの長い刀を携えた姿。
そう。

「――すまぬ 親族の仇だ…と」
「何の事だ!よ、寄るな…斬るぞ」

少女が刀を持つ腕を上げた。
一気に詰め寄ろうと足を踏み込む、その瞬間だった。

腰のあたりで何かに力を全部抜かれたかのように、崩れ落ちた。
ひゅっと視線が落ちて、硬い地面にへたりこんだ。

さっきまでは湧いていた奇妙な力が無くなった。
ひたすらに、恐怖の水が僕の喉に流し込まれて、身動きが取れない。

「急に人が変わったように…
 そんな目をする人なんて斬るに斬れないでしょう…」

少女はひどく疲れた顔で嘆息すると、振り上げた刀を重そうに下ろした。

「私が何をしたのか教えてほしい。謝るべきなら、謝るから」
しゃがみこんで僕に視線を合わせて。
怯える子をあやすかのような声を震わせながら少女は問うた。

「どのくらい、前かはわからない。
 ……親族の仇と言って、お前は僕の…大好きなひとを…」

自分が正気なら、笑ってしまいそうなくらいか弱い声だった。
まだ、獣の時のギューギューした鳴き声の方がましだ。

少女は思案顔で口を閉ざした。
いくら思いを巡らしても、彼女の中では何もなかったようだった。
「お願いだ、思い出してよ……僕がお前を殺せないじゃないか…」
犬の子が母犬にすがるような、情けない声だった。

やり場のない煮え切った感情がすっかり行き場を失っていた。
少女は困ったような顔をして僕から目をそらした。

「幾度も刀を汚したけれど、仇討ちをしたことはないわ」

少女はまっすぐに、こちらを見据えた。
その目に嘘はないなんて、誰にでもわかりそうだった。

もう拒むだけの力を僕は持っていなかった。

「もしかして、お師匠さま?…いや、まさか」
少女は小さく念を断ち切るように首を振ると、もう一度僕を見た。

「もしも、本当にお前じゃないとしたら…」

少女は一瞬だけ身体を震わせ、刀の鞘に手のひらを当てた。
「僕は、お前にどうやって償えばいい…?」

少女の動きが、止まった。
怯えた剣士の目ではなく、憐憫に満ち満ちた少女の目をしていた。

静かに思えば、僕は誰かに喋らされていた。
殺された「大好きなひと」の名前も知らない。
顔も知らない。

何も知らない。

それなのに、強い力が僕を復讐へと引きずり込むんだ。

ぼうぜんとした。
それは、少女も同じだった。

お互いに、やるせなかった。


「――魂魄 妖夢。お前の名前は?」
「……ヒカリ」

良い名前ね、そう言った彼女の口角は上がっていた。

「私とお前は、たった今、出会った。いいな?」
それだけ告げて、屈託ない笑顔を浮かべた。


僕たちは白紙に戻ったんだ。



妖夢さんがいなくなってから、倒れた木に向かった。
小さなマツタケは、無事だった。

拾い上げると、そっと帽子の中に隠した。
おじさんの大好物なんだ。マツタケは。

どうして、涙が止まらないんだろう。
どうしてこんなにも満たされないんだろう。

僕にぽっかりと空いた風穴は、全く塞がらなかった。


「おっつかれさまで〜す」

蝿の少年が、急に視界に割り込む。
巻いたマントのロールを、指で回しながら。

「…返せよ」
少年はにっと笑って、マントを僕の首に巻いた。
少年の手が離れると、それをほどいて、腰に巻き直す。

目標は達成したけれど僕の力じゃない。
きっと、昇格はないだろう。

「目標を間違えた上に、雑魚にやられてるじゃないです〜?」
髪の先を触られた。手を払いたかった。

…その前に、あの狛犬は裏切った同朋じゃなかったらしい。
恐ろしい話だ…

「やっぱり君に四つ鬼火は荷が重かったね〜。
 今日から、三つ鬼火で生きてもらうよ」

少年は僕の額に手を当てて、何かをつかみ取る動作をした。

でも、マントが戻った今、どうでもよかった。
腰のあたりを触ると、冷えた柔らかい手触りが僕を癒した

堪らず、マントを外して、鼻に当てて大きく息を吸い込む。
最初につんと血のようなにおいが鼻を突くと、懐かしい匂い。

何の匂いかは何も分からない。
気持ちは落ち着いて、何かが僕の中で満たされていく。

泣いていた。
辛い気持ちは何もなかった。
条件反射で、涙が出るみたいなのだ。


「…見てましたが、己の力量も考えずに突っ込むと痛い目見ますよ。
 そういう時は、信頼のおける部下を使うんですよ。
 強いだけが上官じゃあないんです。次は上がってきなさいね?」

半分は、ぐずぐずの頭でも理解できた。

「まーいいです。自己紹介がまだでしたね。
 私はあなたの直属の上司になります、五つ鬼火のぺディアス。
 あ、名乗らなくていいですよ。全部知ってますから」

その後、彼と数言交わしたが、何も覚えていない。


後日、砂銀に会いに行ったら大爆笑されたので思い切り殴ってやった。


つづけ

東方幻想明日紀 四十七話 ファースト・イグザム

「空気がおいしいね〜。地下のくせに」
「それ、僕以外の前で言うなよ」

少女は全く気にとめた風もなく、虫の声が響く夜道を楽しんでいた。
おとといの晩目の当たりにした、真っ赤な封筒。
場所と日時だけ指定されて呼び出されたのだ。

もう、かなり歩いた。

差出人はわからないが、およそ向こう側の人たちだろう。
しかし、今はそんな事を考えていても仕方がない。
ソナレノとゆっくり話ができるチャンスかもしれない。

「ねえ、未来がわかるんだろ?せめて先の事だけでも教えてよ」
せめて、というのは彼女は自分の情報を何も言わないのだ。
わかっているのは「僕の保護者」を名乗っている事。
一人称が揺れている。「僕」であったり「私」だったり。
私と言う時は僕の母親の口調を真似ているらしい。
そして、未来予知ができる…らしいこと。

呼びかけると、彼女は軽く眉を下げた。
「…僕さ、未来がわかる訳じゃないよ。知っているだけなんだ」
「つまり、未来からやって来たのか」

「そういうことにしといて」

含みを持たせて、彼女は緑色の後ろ髪を軽く振って前へ向き直った。
そういう事じゃないんだ。

「未来から来たかはどうでもいい。どういう未来なんだ」

「だから時期がきたら…」
「これ以上はぐらかせば、僕は今後お前の指示を全て無視する」

強く彼女の瞳に視線を注ぎこむと、やっと大きなため息をひとつ。

「君には伯父さんがいる。彼は三年後、存在ごと消えてなくなる。
 お願い、彼を助けてほしいの。」

何だ、そんな事だったのか。
伯父と言うからには、彼女は彼の…

彼女は僕の保護者だと…まさか。

まさかね。


そのまま歩き続ける事しばし、広場の入り口にさしかかった瞬間。
腰に一瞬の違和感を覚えた。

見ると、マントがなかった。
あれ、という小さな少女の声。
ソナレノを見ると、暗い空を指さしていた。

僕の白いマントが、深紅の裏地をひらひら見せて飛んでいた。
端の一点が、不自然に持ち上がっていた。

誰が奪ったかはどうでもいい。
考えている時間なんて僕には残されていない。

そのマントは、持ち上がった一点を軸にして一回転すると、
猛烈な速度で広場の中央に飛んで行った。
ソナレノが何を言っていたのかわからない程度には必死だった。
どんなに脚を速く回したところで、マントとの距離が縮まない。

一瞬だけ近づいた!
すかさず地面を大きく蹴って、そのマントめがけて飛びかかった。

開いた手のひらは空を強く切った。

地面が急に目の前に迫って、ぴたりと止まった。
「そんなに大事なものなんですねー」

胸と膝を支える手の感触。
飛び降りて前を見ると、薄羽の生えた中性的な顔立ちの少年。

僕よりも背が高く、触覚の位置に一対の帽子。
そしてその首には深紅のマントが巻かれていた。

「お前…お前が何しているのがわかっているのか、お前…」
「そんなに怒らないで下さいよ。ちゃんと返しますから」

少年がマントを撫でる都度に、背中に寒いものがぞくぞく走る。
僕以外の誰かに、このマントを触られるのはダメみたいだった。
喉の奥を、汚ない手で撫でられるような感覚に近い。

「――ただし、試験に合格したらですよ」

静かな怒りがこみ上げてくる。
手っ取り早く終わらせたい。
「何の試験だ…どうすればいい…」
威嚇体勢をとっても、態度は微塵も変わらなかった。

「ふ、簡単ですよ?」




大きな満月が、空高くに見えた。
よく知った草の匂いが、ぷんと鼻をついた。

澄みきった連続音に耳を傾けている暇はない。

僕に言い渡されたこと。
正気を失った同朋を救出する事。

制限時間は夜が明けるまで。
今は子の刻、あと四分時間ある。

「昇格のチャンスだよー」
「…あ?」

ソナレノが怯む。その動きにわざとらしさは感じられない。
「全然話聞いてなかったんだねーまあ大事な形見だもんね」

形見…?マントの事だろうか。

話を聞くに、どうやらこれは昇格試験らしい。
うまくいけば五つ鬼火になれるチャンス…とのことだがどうでもいい。

終わらなければマントが返ってこない。何としてでも取り返す。
「あっちだ」

強い、言い表せない臭いを東に感じた。距離はやや遠い。
一目散にその場所をめがけて走り出す。

喉から声を絞りながら走ると、不思議と強くなったような気がした。

気が付くと、手には青い柔らかな毛が生えた手で地面を蹴っていた。
体全体を地と一体化させ、体全体でそこに向かっていた。
草の丈は僕の視点よりも高く、猛スピードで横を通り抜ける。

横には地面を踏みならす緑色の大きなブーツ。

既視感を覚え上を見上げると、緑色の髪の房、白い顎。
赤い長い髪の一束。

視界の上にちらちらと映っていたのは、僕の白い兎の帽子だった。
体の半分を覆うほど、その帽子は大きくなっていた。

なるほど僕は小さな獣になっていたようであった。

鼻が利くのも、力が湧いてきた感覚も、暗闇で色が見えるのも全て。
体躯は小さかったが人のそれよりもずっと速く、強い気でいた。

「どう、気に入った?」

お前の仕業か。
文句を言おうにも、ギューギュー口から無機的な音が漏れるだけだ。
こんな体で、どうにかできるとでも思っているのだろうか。

「あははっ。かーわいー」
文句を言い続けていると、予想だにしない言葉と表情。
後で、仕返ししてやる。


走り続けていると独特な臭いが、急に近くになった。
あの角を曲がると、すぐだ。

そっとその角から顔をのぞかせる。

少し遠くに、暗い大きな影。

ソナレノがしゃがみこんで、僕の大きすぎる帽子を直してくれた。
そして、そっと帽子を持ち上げて、その中に口を滑り込ませる。

「…狛犬だね。それもかなり大きいよ」
返事をしようにもあの声しか出ない。小さく頷くだけにしておく。
「まず、動きを止めよう。手をこすり合わせて」

言われるがままに、前足をすり合わせる。
すると、ふわふわした毛の感触からネバネバとした感触になってきた。

その手をそっと離すと、青い糸を引いて固まった。
ガラスのように硬質化している。 
力を抜くと、呆気なくその青ガラスは手から離れた。

「これを使って、どうにかしよう」

少女の言葉に小さく頷くと、前足を強く蹴った。
具体的な策は何もなかった。


つづけ

東方幻想明日紀 四十六話 死臭漂う二枚の封筒

「もしよかったら、ついてきて下さい」
僕の目をこじ開けた、幼い紺色の髪の少女は僕の手を軽く引いた。
この状況において、僕に拒否権はないと考えていいだろう。
「はいっ、ついてきます」
すぐに立って彼女のあとに続く事にした。

そう、この幼女が通ると、僕と砂銀より奥に座る屈強な獣人や
強い眼光をもった少女が大袈裟なほど場所をどくのだ。
改めて断らなくてよかったと思った。

中央の大きな円卓には3人が座っていた。
肘をついて座る黒髪猫耳の少女。
その右には、背筋を伸ばして爽やかに座る青年、アヤクさん。
どっかりと不機嫌そうに座る筋骨隆々の赤髪の壮年の男。
そのあまりにも威圧的な容姿は「赤鬼」以外の何者でもなかった。

「さあ、座ってください」
僕が紺色の髪の少女に誘導されたのは、黒髪の少女の横だった。
僕を案内した幼女は、黒髪猫耳の少女の間に僕を挟むようにして座った。
「のの、この四つ鬼火の雑魚は?」
黒髪の少女が飲んでいるガラスの器を置くと、僕を指さした。
あれ、何で見えるんだろう。鬼火は隠しているはずなんだけどな。
「小春様が探していた方です」
ののと呼ばれた紺色の髪の少女は、目を閉じて答える。
黒髪の少女は立ち上がると、傍に来て僕を見下ろした。

「貴様は…選ばれざる者だな…?」
少女は僕を舐めまわすように見て、ひどく裏表させた声を出した。
壺を鑑定するかのようなその様子は気分の良いものではない。

「じゃ、お帰り下さい」
ぱっつんの幼い少女の笑顔が眩しかった。



すごすごと戻ってくると、砂銀がアルコールで溶けていた。
横の彼の友人と楽しげに笑っていた。
横に座るなり、わけのわからない事を言って抱きついてきたので地面に叩きつけてやった。
気味の悪い笑い声を立てていた。頭を踏んでやろうかと思った。

とりあえず引っ張り起こして水を飲ませたら幾分か話ができる状態になった。
「お前、小春様と話してたじゃん!どうだった?」
どうだったも何も、一方的に品定めされ捨てられたという感じ。
表情から察するに、あの席はとても崇高なものなのだろう。
新入りの僕には今一つ分からない。
「ところで、あの人たちは鬼火いくつなの」
「あの人たちってお前…お前…」
本気で軽蔑するような目に、怖気だった。
これからは様付けする必要がありそうだ。不本意だが。
「名前は知ってる?」
「小春…様とのの様くらいは」
様を後付けすると砂銀は小さく頷く。縦社会はだてではない。

話を聞くと、あそこはのの様を除き全員7つ鬼火で最高位とのこと。
のの様はあの集まりの中で唯一鬼火を持っていないらしい。
四天王だねって言うと、砂銀は一括りにするなバカと吐き捨てた。

砂銀の話を聞くと、彼はアヤクさんを心酔していた。
酔っているから尚更、彼はアヤクさんのある事ない事言った。

空が飛べる。この帝国を一日で作った。
誰にでも分け隔てなく優しい。熊を片手で倒した。
幾多の星に名前を付けた。月からやってきた。
等々、彼が酔っているのでどこまで本当かはわからない。

…そのうち、砂銀は腕を枕にして伏してしまった。
すると、どうだろう。
周囲は賑やかなのに、不思議と静かだった。
こんなにも周りは明るく、けたたましいのに、何も耳に入らない。

砂銀を見ると、彼は思い出したように口をもごもごさせた。
そして薄目を開けて、力なく僕の手を握った。
振りはらう事はしなかった。

ただ嘆息して寝息を立てる少年の面影を見つめるだけである。
それから、どのくらいの時間が経っただろうか。
アヤクさんがぬらと立って合図をすると宴会はお開きになった。

皆が蜘蛛の子を散らすように帰る中、
このバカは口許をヨダレまみれにして気持ちよさそうに寝ていた。

彼の腕を持った。
勿論へし折るためではなく、担ぐためである。
全くその気がないと言えばそれはそれで嘘になるだろう。

「この前と一緒じゃんか…」
担ぎながら、星空の下。
舗装された道路を歩くと、出会ったときを思い出した。
そう昔の話ではないはずだけど、不思議と感慨深かった。
思えば生まれて初めて、誰かに慕われた瞬間だったかもしれない。

首元に、冷たいのが落ちた。
このバカのヨダレだった。思わず振り落してしまった。

「随分仲良くなったね」
突然だったが、その唐突にもすっかり慣れた。
ソナレノだった。
「別に、砂銀が勝手に好いているだけだ」
吐き捨てると、いたかのような顔をした少女は目を細めた。
「で、ここまではお前の思い通りか?」
そうこぼしつつ砂銀を引っ張り上げて、再びかつぐ。
ソナレノはさあ、と首をかしげるだけだった。
それにしても酔っ払いの介抱も、なかなか手がかかるものだ。
こいつ、身長の割になかなか軽い。ちゃんと物を食べてるのだろうか。

地上に負けず劣らず、この世界も蒸し暑かった。
梅雨時のじっとりとした空気も、地上のそれとの差異はわからない。
そんな作られた夜の夏の路を歩いてしばし。

「この都市の中枢に会ってきた。わかった事がいくつかある」
小さく頷いたのを横目で感じ取る。
少し尋ねると、どうやらその様子を見ていたらしい。
階級の証である鬼火は本人の意思にかかわらず格上には見えること。
その鬼火は最高で7つ。あの中央の円卓の三人だけだ。

そしてあの場にいた全員が鬼火を持っていた。
そう、あの時僕を呼び付けた中央の円卓に座る少女を除いて。
痴…じゃなくて奇抜な服を着た幼い少女だけは鬼火がなかった。
もちろん僕では確認のしようがないのだが、砂銀はそう言っていた。

もっとも、砂銀は僕よりも階級が低いし信憑性はいまひとつだ。
そして、それよりも気になる事があった。

「彼女は誰かを捜していた。僕に似た誰かをだ」
結果的に違ったようだが、誰を捜していたのだろう。
僕に似たような奴がこの世界にいるのかもしれない。

いや、もっと不可解な事は彼女自身が僕に似てると言いだしたのだ。
これは本当にわからない。
彼女との共通点を挙げるとしたら、髪の色と身長くらいだろうか。
…十分な気もしてきたが、僕は似てないと言い張るつもりだ。

まあ、直接関わる事はそうそうないだろう。
そもそもこちらに留まるつもりは毛頭ないのだから。

やがて、小さくまとまっている、綺麗な玄関の前に着いた。
彼に不釣り合いな大きさの玄関をくぐり、背中の荷物を下ろした。
荷物は寝言を言った。

さて帰ろうと思い立ったところ、薄暗い机の上に何かがあった。
普段は気にも留めないが、それに近寄って手に取る。

「ソナレノ、明かりつけて。砂銀を起こさないように」
ソナレノは小さく頷くと部屋を全灯させた。ばかやろう。

起きたら起きたで仕方ないかと視線を手元に戻す。
そこには、二枚の真っ赤な封筒があった。
表に描かれている文字を見ると、僕の名前と、砂銀の名前。

固唾を飲んで、宛先が僕の方の封筒を破いた。
中に入っていたのは薄い光沢のある白い布だった。
その薄布には、明後日の今、中央広場。

たったそれだけが書かれてあった。特に書かれた時刻もわからない。
明後日。この時刻。
手紙としては、あまりにも不可思議だった。

…もうひとつの封筒に手を伸ばした。
封筒に手をかけて、互い違いに引っ張ろうとした。
いくら端を引っ張っても、びくともしなかった。
まるで鉄板を破ろうとしているかのように、堅牢だった。

どういう思惑かはわからない。

「…どうする?怖いでしょ?」
ソナレノが、やけに悪戯っぽい笑顔で僕の背中を押す。

「誰が怖いんだ、誰が」

ひょっとしたら、聞こえていないかもしれない。


つづけ

東方幻想明日紀 四十五話 獣たちの酒宴と奇怪少女

「さて」
アヤクと名乗ったがたいの良い犬のような青年はやおら正座を崩した。
威圧感のようなものは彼には無かったけれど、
初対面の人間に対して警戒してもしすぎるなんて事はありえない。

「どういう用件で」
口が、乾いていたのを感じた。
「大した用事でなくて申し訳ないのですが、単刀直入に言えば招待ですね」
言葉の固さとは裏腹に、静かな吐息にも似た落ち着いた声。
僕の構えも、だんだんと甘くなってきていた。
「地底世界だよね」
「ええ。多くは省きますが、どうですかね」

ずいぶんと話は端折られていた。
恐らく僕の理解力次第ではもっと速く進めていただろう。
久々に、賢い人を見た。
いや、賢いだけじゃない。

「わかりました。ぜひ」
短い会話だったが、承諾した。
正確には、もう既に心を奪われていたのだ。

背筋は伸びていた。
口調も、丁寧なものじゃないと駄目だった。

形容しがたいものを、彼から感じていた。
全身から気品が溢れているような人物だと。
ただただ、彼自身に圧倒されていた。

一言一言が、耳の奥から頭に溶け入るような声。

「じゃあ、鬼火を授けますね」
「鬼火?」

「はい。住民である事を示す証であるのと同時に、
 その人を表す『格』そのものでもあります」

青年は、懐から小さな丸薬を取り出して、僕に手渡した。
それを受け取ると、僕は何も考えずに口に放り込んだ。

初対面の相手にここまで思慮を欠いて行動できる時があっただろうか。
喉が、熱い。
熱いのが胃に回って、体の外に出た。

周りを見回すと、一、二…

四つの握り拳サイズの青白い鬼火が、ふよふよと漂っていた。
「これ、消せますよね」
「はい。任意のままに」

試しに消えろと念じると、すっとその火は消えた。
「ヒカリさんにとってこの場所は安心しますよね。
 だから、無理にこっちに来て下さいと言うつもりはありません」

それはわかっている。
そのつもりでその住民票を受け取ったのだ。
「では私はこれでおいとましましょう。
 また、何かあったら気軽にお願いしますね」

ふわりと軽く言うと、ふすまを開けて外のおじさんに会釈をして、
そのまま夏の風に消えてしまった。

じつに、不思議な人だった。


「おう、どうだった」
戸の隙間を覗き込むようにして、おじさんは首を傾ける。
「うん。まあまあだよ」
「そうかい」
おじさんは、僕の表情をまじまじと見ると嬉しそうに笑った。
その様子が、僕には珍しいものに思えて。
「どうしたの」
つい、尋ねてしまった。

「いやー、今のおめさん随分人間らしい顔してんなと」
わざとだとは思うが、誤解を招く発言だと思う。
気にはしていたけど、僕ってそんなに感情に乏しいのかな…

「おじさん、僕明後日の夜出かけてもいいかな」
おじさんは泥まみれの親指を立てて、黄色い歯をにっと見せた。
そして、一瞬止めた手をまた動かして、勘定を始めた。



夜、人目を避けるようにして。
涼みの役割を虫の声は担ってくれていた。

今日もよく晴れていた。

自分の呼吸の音が自然に入ってくる。
足取りも落ち着かないものになっていた。

まるで、狭い部屋で一人で踊っているみたいだ。




「――師匠ッ!」
「次同じ言葉を言ってみろ。絶交だ」
僕が冷たく言い放つと、砂銀はしゅんとなった。

予定よりわざと遅れて彼の家を訪問すると、
彼は待ってましたとばかりに飛びついてきた。

彼を試した罪悪感が、ふつふつと込み上げてくる。

…そして、気付いた。
友達もいると言っていた、その飲み会で遅刻させてしまう事。
軽はずみに、とても申し訳ない事をしてしまった気がする。

もやもやを抱えたまま、二人で外に出た。
外の世界では見る事のない整った地面は、狭苦しかった。
遅れているのに、別段砂銀は急ぐ様子もなかった。
それどころか、浮かれている様子さえあった。



行きついた広場は、思いの他自然に回帰していた。
人の作った場所とは思えないほど、自然の緑だった。

上の食べ物とクロスを取り払ったら、短距離コースの完成。
そんな長さの机が10台ほどで円を作っている。
その中に、長机が8つ、ぐるり。さらにその中に正方形の机が四つ。
真ん中に大きな円卓がひとつ。

そのご馳走を並べたテーブル群を、橙の柔らかな灯りが照らす。

多くの人たちが思い思いに話し、呑み、語り、歌い。
そのほとんどが、獣のような姿を呈していた。
特に外側の席ほど、顕著に獣に近い姿をしていた。

ここには縦社会ようなものが出来ていた。
大げさかもしれないが既に出来上がった世界のように。
まるで、どこからか引っ越してきたかのような…

「ここだよ」
机の横をすり抜け、彼が案内してくれた場所。
それは外側から二番目の席だった。

一瞬首をひねったけれど、彼の顔の広さを考えれば何も不自然じゃない。
むしろ、三列目でも僕は疑わない。

「そういえば、鬼火もらったよ」
適当に料理に手をつけながら、そんな事を何気なく漏らした。

「じゃあ、これからこっちの住人なんだな!!」
曖昧な相槌だけ打っておいたが、ずいぶんと気の早い話だった。
僕がここに棲むのは、おじさんが僕を捨てた時だけだ。

「ただの通行証だろう」
「そんな事ないぞ。お前は僕らに受け入れられたんだ。その証」

ふーんと生返事をすると、思い出したように砂銀は手を打った。

「なあ、そういえばいくつ鬼火もらった?」
「そんな事訊いてどうするんだよ。みんな同じでしょ?」
少年は目を細めて舌をチョッチョッと鳴らして立てた指を左右に振った。
今が酒宴じゃなければ、殴っていたのに。

「一言で言っちゃえば序列だな。鬼火が多いほど能力が高いんだ。
 いくつもらったんだ?俺は三つな。なに、驚いたりしないさ…」

怪訝な顔で指を四本立てると、少年は頭から崩れ落ちた。
食器の固い音が、けたたましく耳を突く。

そしてすぐ起き上がったかと思うと。
「さっすが師…ヒカリだー!そっかそっかーうんうん」

逆上するかと思ったが、少年は無垢な笑顔を浮かべ杯をあおった。
赤みを帯びた顔で、余計に上機嫌そうに。
どこかむず痒くて、やりづらかった。

どうしてここまでして僕を慕ってくれてるのだろうか。
やめてくれ。僕には何もないんだ。

彼とは裏腹に、憂鬱な気分で盃を傾けた。
視界を外して中央の円卓に目をやると、数人が座っていた。

恐らく、この人たちが最も位が高いのだろう。

吸い込まれるように、その円卓の真中に視界が固定された。
あのアヤクと名乗った青年は、その円卓に穏やかに座っていた。

横の黒髪の少女と談笑していた。
アヤクさんと親しげに話す少女は、猫のような耳が付いていて、
白い柔らかそうな頬には数本の赤い横ラインが入っていた。
ぶかぶかの黒い直垂を着て朗らかに笑う姿は、幼き戦乙女のようだった。

その横で、存在を靄に投げ出したような、虚ろな少女を見出した。
おかっぱを後ろに伸ばしたような紺色のさらさらした絹髪。

薄い布を巻くような形状の神秘的な服。

その視線遣いに不自然さを覚えた。
けれどそれ以上に、小さな体躯に見合わぬ胸を円卓の上に乗っけている。
あれ、僕と同じくらいの背丈だよな…
アヤクさんの胸くらいの身長だものな。

戦いていると、その少女と目が合った。
すっと立ち上がって、その少女は席を外した。

冷や汗。

五数える間に、白い双丘が、僕の目の前に立ちはだかった。
そして、その胸を見ている暇はほぼなかった。

顔を両手で触れられたかと思うと、
少女の小さな指が僕の右目をこじ開けた。
少女のもう片方の手は、僕の顎を押さえている。

一瞬、くり抜かれると直感したが、その瞬間はとうとう来なかった。
目が強く乾いてきたあたりだろうか、少女は拘束を緩めた。

「あなた、私とよく似てますね」
少女はさっきの仏頂面から一転、
ふっとやわらかく微笑みながら、そんな事を言った。

冗談じゃないぞ、と内心で激しく叫んでいた。


広場は、いよいよ賑やかさを増していった。



つづけ

東方幻想明日紀 四十四話 僕に付き纏うへんなやつら

狼少年、砂銀の家のそばに清潔感のある人の少ない定食屋があった。
喫茶の役割も兼ねたそこに、お昼時二人で食事をしていた。

「なあ、ヒカリはどうしていつもじゃがいもは生で食うんだ。
 茹でた方が柔らかくておいしいと思うんだけど」
考えてみれば、確かに妙かもしれない。
自分でもじゃがいものみ熱を通さずに食べる理由がわからない。
生が好きという訳ではない。むしろ生魚や生肉は苦手だ。

「じゃがいもは、僕の中では生なんだ」
手持ちの言葉ではうまく説明ができない。
ただ、「生が好き」というよりは「生じゃなきゃダメ」なんだ。

「そんなら、俺からは何にも言わないけどね。
 あんまりおいしそうに食べてないから心配になってさ」

やっぱり、おいしく食べていないという事くらいわかるらしい。
勘が良いのか、慕ってくれているのか…

何にせよ、悪い気はしなかった。



旧都の上、妖怪の山の地下。
こんな間を縫うような幻想郷とも言えぬ世界があった。

広さはかなりのもので、中央には自動化された鉄道まであるらしい。
舗装された、白い地面。
あまりにも明るいが、夜であろう時間になるとゆっくり暗くなる。
どこかの本で見たような水も、電気も通っている。
そして驚くべき事に、仮想通貨でこの世界は動いていた。

あれから数週間が経って、砂銀の話を通してわかった事がいくつか。

この地は突然作られて、試験的に開放された場所である事。
土地は無料で貸与され、独自の仮想通貨が使われている事。
そしてその仮想通貨は住民全員に与えられる。

言わば「お試し期間」という訳だ。
住民を呼び込むためだろう。

これを何かがあると思うのは、疑心暗鬼だろうか。
そうじゃないとはっきり言える根拠はひとつだけある。

それは「妖怪しかここの住民になれない」ということだ。
その妖怪の構成員は、旧都が多数、少数の幻想郷の妖怪だ。

妖怪だけの隔離されたユートピアをここに見出そうとしたのか。
でも、一体どうして…
「なあなあ、見せたいものがあるからさ、うちにきてよ」
考え事の途中で、砂銀がそんな提案をした。
睨むと、砂銀は怯んでくれた。

「いいよ」
僕が言うと、少年は眼を細めた。


一緒にあの六畳に帰ってきた。
すぐに戸棚をごそごそしたかと思うと、
少年はまた戻ってきて笑顔で手を突き出してきた。
その手には、手の力でしわになった紙が握られていた。

その紙を受け取って、文面に視線を這わせる。

要約すると、明後日中央にある広場で酒宴を開くらしい。
どのくらいの規模になるのか見当もつかない。
行きたい気持ちはあったけれど。
「遠慮しとく」
「なんで!」
即答に即答返し。
まるで、断るのかがわかっていたような速度。

「僕はここの住民じゃないし、肩身が狭いよ」
「大丈夫、俺の友達もいっぱいいるよ」

「でも、ばれたら危ない気がする」
「大丈夫、俺がヒカリを守るから」
かっこいいな、おい…
そこまで言われちゃあ、仕方ないか。
砂銀の気持ちをあまり無下にしたくはない。

砂銀は人間と違って長く生きそうだし。

「わかった考えておくよ。今日の所はこれで帰るね」
淡白に別れを告げて、滑らかな足取りで帰路についた。

そう、帰路につくと言っても話は簡単ではない。
帰る方法はふたつだけ。

警備の厳しい妖怪の山をつっ切るか、旧都に戻って回り道か。
前者は小一時間ほどで帰れるが、危険度は言うまでもない。
後者はほぼ半日かかってしまう。

…が、大事な客が来るらしいので夕方までに帰ってくる約束がある。
おじさんが大事な客の相手をしている間、
僕が店を代わりに切り盛りしなくてはならない。

「お困りかなー」
「帰れ」
出たよおせっかいばあさん。今度は何だよ。
破廉恥な服しおってからに、そんなに脇腹に自信があるのか。

「いいの?死ぬよ」
「……で?」
狭まった視界で見た少女は、サファイアを細めてにんまりとした。

「ここは砂銀くんに頼っちゃおう」
「お前この前殺そうとしてたよな…」
ただ、提案は至極まっとうなものだった。
僕が頼めば彼は嫌とは言わないだろうし、多分僕よりも強い。

ただ。
「砂銀に頭下げるのは嫌だ…」
「今さらだけど、キミって結構性格悪いよね」
そう。僕にだって多少のプライドはある。
そのうえ、奴に頼りにされてると思わせたら最期である。

「いーじゃん。一緒に呑みに行くくらいの仲でしょう」
「僕はまだ参加するなんて言ってない!」

「じゃあ、今日食べたご飯は」
「あれは!」

あれは、単に砂銀が一緒に食べようとうるさかっただけで。
僕の意思というよりは、彼の押しに負けただけで…

「ま、いいんじゃない?今回僕はノータッチでいくから」
「待っ…!」

ソナレノは意地悪な笑みを浮かべて、音もなく消えていった。
手は、虚しく空を掴んで、後に何の感触も残さなかった。

馬鹿にして。
僕はご覧のとおりの体格だけど、小さいなりに意地くらいある。

…。




「いやー!おっまえ…おっまえは!ホントにしょーがないなあ!」
「うん」
「俺がいれば百人力だから!向かってくる奴全員噛み切るから!」
「うん、それはやめようね」
「いやーでも参ったなあ。俺…頼りにされてるんだなあ」
こいつ、後で殴る。
本当に嫌だ。もう、嫌だ。

「…具合でも悪いのか?」
「ぜんぜん」
悪いのは、機嫌だ。

それにしても、尻尾があったら千切れんばかりに振っているだろう。
そういう勢いのはしゃぎようである。

煩わしくもあったけれど、思ったより悪い気はしていなかった。
腹立たしいけれど、虫が好かないわけじゃない。

おくびにも出すつもりはないが、ちょっとだけ頼もしくもあった。


地上に出ると、木漏れ日と暑い蒸した空気が同時に差し込んできた。
そして、寒気も同時に湧いた。

今度ははっきりと見えた。

あの時僕に刃を付き付けた少女だった。
銀光りする湾曲した巨大な刀。
そして、犬のような白い耳、白い癖のかかった髪。

「あれ、この前の…と砂銀じゃないですか」
身構えると、少女はほぐれた顔でザックと刀を地面に刺した。

知ってはいたけれど、彼は顔が広い。
無鉄砲で天真爛漫で飾り気がないからだろうか、と考えてみる。

無鉄砲で、天真爛漫で…

「砂銀の友達だったんですか」
「友達っていうか、師匠だな!」
悪いが門弟にした覚えはない。

犬耳をした少女の眼差しが痛い。
これは濡れ衣だ。

「悪いね、ちょっくら送り届けてくるから話は後でな!」
そう言って、無理に僕の手を引っ張った。

話をここで切り上げる必要はなかったのに。
別に、ゆっくり話してもらっても構わなかった。
見た感じ、久々に会ったかのように思えた。

何だか申し訳ない気持ちがわいてきた。
でも、口に出す事は僕の固意地が許さなかった。


妖怪の山を抜ける当たりで、もう日は傾きかけていた。
「あとは大丈夫だよ」
「そっかそっか、んじゃ、明後日楽しみにしてるからな!」

振り向いて何かを言おうとした時には、もう遅かった。

何だよ。みんなして。
こうやって、僕を置いて行くんだ。

…ありがとうの一言くらい、言わせてくれればいいものを。

まあ、頭を下げずに済んだんだ。
アドバンテージは、まだ僕にある。

虚勢だった。



とぼとぼと畦道を歩き、八百屋の前についた。
今日は、やけに野菜が売れていなかった。

中に入ると、おじさんと、背の高い青年が向かい合って座っていた。
青年は上品な雰囲気を醸し出していたが、どこか影を落としていた。
水色の髪に、斑のように混ざる紫の毛束。
白い垂れ耳。ふさふさの白い大きな尾。

「ほら、お前さんに話があるそうだ」
「えっ、僕だったの」

じゃあ、話は逆で切り盛りをするのはおじさんの方だったのか…。

僕がうろたえている間に青年は、ゆっくりと顔を上げた。
穏やかな瞳が、僕をとらえる。


「――はじめまして、ノ久一と申します。アヤクと呼んでください」



静かな声は、畳の間にしんと染み入った。



つづけ

東方幻想明日紀 四十三話 ひとつめの使命

草のにおいを強く感じた。
どうやら、さきほど雨が降ったらしい。

静かな林だったけれど、妙な威圧感を覚える。
ここにいてはいけないような気さえする。

風が、吹いた。

「…動くな、さもなくば首を跳ねる」
明確な殺意の籠る女性の声に冷や汗を促された。

背後から首の横を通して、大きく湾曲した銀板の先の切っ先。
「僕に敵対する意思はない。穏便に済ませるつもりなら刀を下ろせ」

毅然と言い放つと、冷や汗がすっと引いた。
ほぼ間髪入れず影が僕の目の前に回り込んだ。

ぼんやりと薄い色の頭髪、頭の上の三角耳。
僕よりもふたまわり大きい少女だった。
その凛々しさのあるいで立ちからは、話の解る人物だと思われた。

「迷い込んだのですか」
「まあそんな所。案内してよ、変な動きをしたら斬っていいから」
「へんな人ですね」
やり取りは短かったけれど、お互いの緊張をほぐすには十分だった。

「では、付いてきてください」
その声に頷いて、草の踏み分ける音を追った。


靴に水が染み込んできて、少し顔をしかめた頃合いだった。
「相手が悪かったら、あなた死んでましたね」
多分、僕次第な面も大きいと思うんだ。
口に出すとどこを斬られるかわかったもんじゃないから黙っておく。
「ここは私たちの棲み家でしてね、そうそう侵入できないんですよ。
 不穏な輩を見つけたら、総員で排除にかかるので」
適当な相槌を契機に、自慢めいた事を語りだす少女。
「団結力、すごいんだね」
「そうなんですよ!私たちは――」

少女は自らを白狼天狗と名乗った。

振り返ると長々と話を聞いたが、案内料だと思えば安い。
忠誠の表れなのだろうが、外から聞けば惚気に近いものがある。

「ところで、この地下に発達した町があるよ」
話がひと段落したところで、そんな事を切り出した。
何かを間違えると闘争になりかねない一言だった。
「旧都ですか」
「いや、もっと上。旧都と妖怪の山の中間」
彼女の声は感情の抑揚が皆無だった。
どうやら、地上じゃないとどうでもいいらしい。

「…駆逐してほしい、ということですか」

「いやー、そういうことじゃないよー」
僕と少女の間に割って入った影があった。
「出たな妖怪どこでも緑ボブ」
「秘密道具みたいな言い方やめてくれる?」

呆気にとられた雰囲気が伝わってきたので、慌てて話を戻した。
「別に駆逐してほしい訳じゃないけれど、あそこはむぐっ」
怪しい、と言おうとしたら口を手でふさがれた。
「まあ、そちらに害はないから放っておいて」

そう後ろでソナレノが付け加えた。
やっと、彼女の目的の端が見えてきた。

「わかりました…ところで、あなたは?」
「僕?僕はこの子の保護者だよ」
もう何も言うまい。

「一緒に山の出口まで案内すればいいんですね?」
「うん。勝手についていくからご安心を」

その言葉を契機に、ソナレノはやたらと饒舌になった。
退屈をさせないを通り越して、明らかに喋りすぎだった。
あることないこと、
半分は質問(答えづらい)で半分は自分語り(恐らく嘘)。

「…お気をつけて。それともう来ないでくださいね」
心なしか少女の別れ際の声はガス欠を起こしていた。


帰り道、よく知った田園路に差し掛かったところだった。
「星がきれいだね」
「疲れてるのか?」
やぶから棒に、ソナレノはらしくない事を言い放った。
確かに上を見ると、思わず息が漏れた。
いつの間にか、空は晴れていたらしい。

「どう、地下世界は」
あまり驚きはしないが、やはり彼女の話には脈絡がなかった。
言われてみて考えると、なるほど心地よかったと言うしかない。

いた時間は短かったけれど、懐かしさがあの場所には存在した。
…言葉の端々、口ぶりから察するにもしかすると。

「なあ、あそこを作ったのはお前なのか」
「まさか。もっともっと、凄い人だよ」
はぐらかされた、と思うのは僕がひねくれているからだろうか。

「でもさ、ヒカリはもっともっと凄い人だよ」
「ありがとう」
「…正確には、凄い事をしてもらうんだけどね」
「お前の手足になれと」
「共闘だよ、あくまでも」

きなくさい。穏やかな話ではなさそうだ。
こいつの妄想なのか、それとも。
前者である事を祈りたいけれど、判断に迷う。

「ヒカリ、助けてほしい人がいるの」
「…それが使命か?」
少女は、ゆっくりと縦に首を揺らした。

「誰を救えばいい?僕は何をすればいい」
「今は直感のままに、生きていればいいよ」

どうやらこの先の話らしい。
彼女が妄言を言う癖が無ければの話だが、
未来人であることはまず疑いのない事だろう。

僕に近寄ってきた目的はわからない。

…僕の中からぽっかり抜けおちた友達と、どこか似ている。
そう思えてきたのは、最近の話だった。

いつからだっただろう。
物ごころつくと、「そな」はいつの間にかそばにいた。
いつも僕の中にいた。

現れては消え、僕を叱咤激励した。
今は「そな」の代わりに彼女が現れては消え、僕の退屈を消した。

そう考えると…


振り返ると、もうそこにソナレノの姿は無かった。


星空の下の帰路を辿って帰路を進むと大きないびきが聞こえてきた。
入ると、畳の上に何も掛けずに仰向けになっているおじさんの姿。
大の字になって、腹をリズミカルにゆったりと上下させていた。

小さく、ごめんねと呟いてその横に腰を落として、肩を畳につけて。
虫の声が聞こえなくなるまで、そう時間はかからなかった。


つづけ