東方幻想明日紀 四十五話 獣たちの酒宴と奇怪少女

「さて」
アヤクと名乗ったがたいの良い犬のような青年はやおら正座を崩した。
威圧感のようなものは彼には無かったけれど、
初対面の人間に対して警戒してもしすぎるなんて事はありえない。

「どういう用件で」
口が、乾いていたのを感じた。
「大した用事でなくて申し訳ないのですが、単刀直入に言えば招待ですね」
言葉の固さとは裏腹に、静かな吐息にも似た落ち着いた声。
僕の構えも、だんだんと甘くなってきていた。
「地底世界だよね」
「ええ。多くは省きますが、どうですかね」

ずいぶんと話は端折られていた。
恐らく僕の理解力次第ではもっと速く進めていただろう。
久々に、賢い人を見た。
いや、賢いだけじゃない。

「わかりました。ぜひ」
短い会話だったが、承諾した。
正確には、もう既に心を奪われていたのだ。

背筋は伸びていた。
口調も、丁寧なものじゃないと駄目だった。

形容しがたいものを、彼から感じていた。
全身から気品が溢れているような人物だと。
ただただ、彼自身に圧倒されていた。

一言一言が、耳の奥から頭に溶け入るような声。

「じゃあ、鬼火を授けますね」
「鬼火?」

「はい。住民である事を示す証であるのと同時に、
 その人を表す『格』そのものでもあります」

青年は、懐から小さな丸薬を取り出して、僕に手渡した。
それを受け取ると、僕は何も考えずに口に放り込んだ。

初対面の相手にここまで思慮を欠いて行動できる時があっただろうか。
喉が、熱い。
熱いのが胃に回って、体の外に出た。

周りを見回すと、一、二…

四つの握り拳サイズの青白い鬼火が、ふよふよと漂っていた。
「これ、消せますよね」
「はい。任意のままに」

試しに消えろと念じると、すっとその火は消えた。
「ヒカリさんにとってこの場所は安心しますよね。
 だから、無理にこっちに来て下さいと言うつもりはありません」

それはわかっている。
そのつもりでその住民票を受け取ったのだ。
「では私はこれでおいとましましょう。
 また、何かあったら気軽にお願いしますね」

ふわりと軽く言うと、ふすまを開けて外のおじさんに会釈をして、
そのまま夏の風に消えてしまった。

じつに、不思議な人だった。


「おう、どうだった」
戸の隙間を覗き込むようにして、おじさんは首を傾ける。
「うん。まあまあだよ」
「そうかい」
おじさんは、僕の表情をまじまじと見ると嬉しそうに笑った。
その様子が、僕には珍しいものに思えて。
「どうしたの」
つい、尋ねてしまった。

「いやー、今のおめさん随分人間らしい顔してんなと」
わざとだとは思うが、誤解を招く発言だと思う。
気にはしていたけど、僕ってそんなに感情に乏しいのかな…

「おじさん、僕明後日の夜出かけてもいいかな」
おじさんは泥まみれの親指を立てて、黄色い歯をにっと見せた。
そして、一瞬止めた手をまた動かして、勘定を始めた。



夜、人目を避けるようにして。
涼みの役割を虫の声は担ってくれていた。

今日もよく晴れていた。

自分の呼吸の音が自然に入ってくる。
足取りも落ち着かないものになっていた。

まるで、狭い部屋で一人で踊っているみたいだ。




「――師匠ッ!」
「次同じ言葉を言ってみろ。絶交だ」
僕が冷たく言い放つと、砂銀はしゅんとなった。

予定よりわざと遅れて彼の家を訪問すると、
彼は待ってましたとばかりに飛びついてきた。

彼を試した罪悪感が、ふつふつと込み上げてくる。

…そして、気付いた。
友達もいると言っていた、その飲み会で遅刻させてしまう事。
軽はずみに、とても申し訳ない事をしてしまった気がする。

もやもやを抱えたまま、二人で外に出た。
外の世界では見る事のない整った地面は、狭苦しかった。
遅れているのに、別段砂銀は急ぐ様子もなかった。
それどころか、浮かれている様子さえあった。



行きついた広場は、思いの他自然に回帰していた。
人の作った場所とは思えないほど、自然の緑だった。

上の食べ物とクロスを取り払ったら、短距離コースの完成。
そんな長さの机が10台ほどで円を作っている。
その中に、長机が8つ、ぐるり。さらにその中に正方形の机が四つ。
真ん中に大きな円卓がひとつ。

そのご馳走を並べたテーブル群を、橙の柔らかな灯りが照らす。

多くの人たちが思い思いに話し、呑み、語り、歌い。
そのほとんどが、獣のような姿を呈していた。
特に外側の席ほど、顕著に獣に近い姿をしていた。

ここには縦社会ようなものが出来ていた。
大げさかもしれないが既に出来上がった世界のように。
まるで、どこからか引っ越してきたかのような…

「ここだよ」
机の横をすり抜け、彼が案内してくれた場所。
それは外側から二番目の席だった。

一瞬首をひねったけれど、彼の顔の広さを考えれば何も不自然じゃない。
むしろ、三列目でも僕は疑わない。

「そういえば、鬼火もらったよ」
適当に料理に手をつけながら、そんな事を何気なく漏らした。

「じゃあ、これからこっちの住人なんだな!!」
曖昧な相槌だけ打っておいたが、ずいぶんと気の早い話だった。
僕がここに棲むのは、おじさんが僕を捨てた時だけだ。

「ただの通行証だろう」
「そんな事ないぞ。お前は僕らに受け入れられたんだ。その証」

ふーんと生返事をすると、思い出したように砂銀は手を打った。

「なあ、そういえばいくつ鬼火もらった?」
「そんな事訊いてどうするんだよ。みんな同じでしょ?」
少年は目を細めて舌をチョッチョッと鳴らして立てた指を左右に振った。
今が酒宴じゃなければ、殴っていたのに。

「一言で言っちゃえば序列だな。鬼火が多いほど能力が高いんだ。
 いくつもらったんだ?俺は三つな。なに、驚いたりしないさ…」

怪訝な顔で指を四本立てると、少年は頭から崩れ落ちた。
食器の固い音が、けたたましく耳を突く。

そしてすぐ起き上がったかと思うと。
「さっすが師…ヒカリだー!そっかそっかーうんうん」

逆上するかと思ったが、少年は無垢な笑顔を浮かべ杯をあおった。
赤みを帯びた顔で、余計に上機嫌そうに。
どこかむず痒くて、やりづらかった。

どうしてここまでして僕を慕ってくれてるのだろうか。
やめてくれ。僕には何もないんだ。

彼とは裏腹に、憂鬱な気分で盃を傾けた。
視界を外して中央の円卓に目をやると、数人が座っていた。

恐らく、この人たちが最も位が高いのだろう。

吸い込まれるように、その円卓の真中に視界が固定された。
あのアヤクと名乗った青年は、その円卓に穏やかに座っていた。

横の黒髪の少女と談笑していた。
アヤクさんと親しげに話す少女は、猫のような耳が付いていて、
白い柔らかそうな頬には数本の赤い横ラインが入っていた。
ぶかぶかの黒い直垂を着て朗らかに笑う姿は、幼き戦乙女のようだった。

その横で、存在を靄に投げ出したような、虚ろな少女を見出した。
おかっぱを後ろに伸ばしたような紺色のさらさらした絹髪。

薄い布を巻くような形状の神秘的な服。

その視線遣いに不自然さを覚えた。
けれどそれ以上に、小さな体躯に見合わぬ胸を円卓の上に乗っけている。
あれ、僕と同じくらいの背丈だよな…
アヤクさんの胸くらいの身長だものな。

戦いていると、その少女と目が合った。
すっと立ち上がって、その少女は席を外した。

冷や汗。

五数える間に、白い双丘が、僕の目の前に立ちはだかった。
そして、その胸を見ている暇はほぼなかった。

顔を両手で触れられたかと思うと、
少女の小さな指が僕の右目をこじ開けた。
少女のもう片方の手は、僕の顎を押さえている。

一瞬、くり抜かれると直感したが、その瞬間はとうとう来なかった。
目が強く乾いてきたあたりだろうか、少女は拘束を緩めた。

「あなた、私とよく似てますね」
少女はさっきの仏頂面から一転、
ふっとやわらかく微笑みながら、そんな事を言った。

冗談じゃないぞ、と内心で激しく叫んでいた。


広場は、いよいよ賑やかさを増していった。



つづけ