東方幻想明日紀 四十六話 死臭漂う二枚の封筒

「もしよかったら、ついてきて下さい」
僕の目をこじ開けた、幼い紺色の髪の少女は僕の手を軽く引いた。
この状況において、僕に拒否権はないと考えていいだろう。
「はいっ、ついてきます」
すぐに立って彼女のあとに続く事にした。

そう、この幼女が通ると、僕と砂銀より奥に座る屈強な獣人や
強い眼光をもった少女が大袈裟なほど場所をどくのだ。
改めて断らなくてよかったと思った。

中央の大きな円卓には3人が座っていた。
肘をついて座る黒髪猫耳の少女。
その右には、背筋を伸ばして爽やかに座る青年、アヤクさん。
どっかりと不機嫌そうに座る筋骨隆々の赤髪の壮年の男。
そのあまりにも威圧的な容姿は「赤鬼」以外の何者でもなかった。

「さあ、座ってください」
僕が紺色の髪の少女に誘導されたのは、黒髪の少女の横だった。
僕を案内した幼女は、黒髪猫耳の少女の間に僕を挟むようにして座った。
「のの、この四つ鬼火の雑魚は?」
黒髪の少女が飲んでいるガラスの器を置くと、僕を指さした。
あれ、何で見えるんだろう。鬼火は隠しているはずなんだけどな。
「小春様が探していた方です」
ののと呼ばれた紺色の髪の少女は、目を閉じて答える。
黒髪の少女は立ち上がると、傍に来て僕を見下ろした。

「貴様は…選ばれざる者だな…?」
少女は僕を舐めまわすように見て、ひどく裏表させた声を出した。
壺を鑑定するかのようなその様子は気分の良いものではない。

「じゃ、お帰り下さい」
ぱっつんの幼い少女の笑顔が眩しかった。



すごすごと戻ってくると、砂銀がアルコールで溶けていた。
横の彼の友人と楽しげに笑っていた。
横に座るなり、わけのわからない事を言って抱きついてきたので地面に叩きつけてやった。
気味の悪い笑い声を立てていた。頭を踏んでやろうかと思った。

とりあえず引っ張り起こして水を飲ませたら幾分か話ができる状態になった。
「お前、小春様と話してたじゃん!どうだった?」
どうだったも何も、一方的に品定めされ捨てられたという感じ。
表情から察するに、あの席はとても崇高なものなのだろう。
新入りの僕には今一つ分からない。
「ところで、あの人たちは鬼火いくつなの」
「あの人たちってお前…お前…」
本気で軽蔑するような目に、怖気だった。
これからは様付けする必要がありそうだ。不本意だが。
「名前は知ってる?」
「小春…様とのの様くらいは」
様を後付けすると砂銀は小さく頷く。縦社会はだてではない。

話を聞くと、あそこはのの様を除き全員7つ鬼火で最高位とのこと。
のの様はあの集まりの中で唯一鬼火を持っていないらしい。
四天王だねって言うと、砂銀は一括りにするなバカと吐き捨てた。

砂銀の話を聞くと、彼はアヤクさんを心酔していた。
酔っているから尚更、彼はアヤクさんのある事ない事言った。

空が飛べる。この帝国を一日で作った。
誰にでも分け隔てなく優しい。熊を片手で倒した。
幾多の星に名前を付けた。月からやってきた。
等々、彼が酔っているのでどこまで本当かはわからない。

…そのうち、砂銀は腕を枕にして伏してしまった。
すると、どうだろう。
周囲は賑やかなのに、不思議と静かだった。
こんなにも周りは明るく、けたたましいのに、何も耳に入らない。

砂銀を見ると、彼は思い出したように口をもごもごさせた。
そして薄目を開けて、力なく僕の手を握った。
振りはらう事はしなかった。

ただ嘆息して寝息を立てる少年の面影を見つめるだけである。
それから、どのくらいの時間が経っただろうか。
アヤクさんがぬらと立って合図をすると宴会はお開きになった。

皆が蜘蛛の子を散らすように帰る中、
このバカは口許をヨダレまみれにして気持ちよさそうに寝ていた。

彼の腕を持った。
勿論へし折るためではなく、担ぐためである。
全くその気がないと言えばそれはそれで嘘になるだろう。

「この前と一緒じゃんか…」
担ぎながら、星空の下。
舗装された道路を歩くと、出会ったときを思い出した。
そう昔の話ではないはずだけど、不思議と感慨深かった。
思えば生まれて初めて、誰かに慕われた瞬間だったかもしれない。

首元に、冷たいのが落ちた。
このバカのヨダレだった。思わず振り落してしまった。

「随分仲良くなったね」
突然だったが、その唐突にもすっかり慣れた。
ソナレノだった。
「別に、砂銀が勝手に好いているだけだ」
吐き捨てると、いたかのような顔をした少女は目を細めた。
「で、ここまではお前の思い通りか?」
そうこぼしつつ砂銀を引っ張り上げて、再びかつぐ。
ソナレノはさあ、と首をかしげるだけだった。
それにしても酔っ払いの介抱も、なかなか手がかかるものだ。
こいつ、身長の割になかなか軽い。ちゃんと物を食べてるのだろうか。

地上に負けず劣らず、この世界も蒸し暑かった。
梅雨時のじっとりとした空気も、地上のそれとの差異はわからない。
そんな作られた夜の夏の路を歩いてしばし。

「この都市の中枢に会ってきた。わかった事がいくつかある」
小さく頷いたのを横目で感じ取る。
少し尋ねると、どうやらその様子を見ていたらしい。
階級の証である鬼火は本人の意思にかかわらず格上には見えること。
その鬼火は最高で7つ。あの中央の円卓の三人だけだ。

そしてあの場にいた全員が鬼火を持っていた。
そう、あの時僕を呼び付けた中央の円卓に座る少女を除いて。
痴…じゃなくて奇抜な服を着た幼い少女だけは鬼火がなかった。
もちろん僕では確認のしようがないのだが、砂銀はそう言っていた。

もっとも、砂銀は僕よりも階級が低いし信憑性はいまひとつだ。
そして、それよりも気になる事があった。

「彼女は誰かを捜していた。僕に似た誰かをだ」
結果的に違ったようだが、誰を捜していたのだろう。
僕に似たような奴がこの世界にいるのかもしれない。

いや、もっと不可解な事は彼女自身が僕に似てると言いだしたのだ。
これは本当にわからない。
彼女との共通点を挙げるとしたら、髪の色と身長くらいだろうか。
…十分な気もしてきたが、僕は似てないと言い張るつもりだ。

まあ、直接関わる事はそうそうないだろう。
そもそもこちらに留まるつもりは毛頭ないのだから。

やがて、小さくまとまっている、綺麗な玄関の前に着いた。
彼に不釣り合いな大きさの玄関をくぐり、背中の荷物を下ろした。
荷物は寝言を言った。

さて帰ろうと思い立ったところ、薄暗い机の上に何かがあった。
普段は気にも留めないが、それに近寄って手に取る。

「ソナレノ、明かりつけて。砂銀を起こさないように」
ソナレノは小さく頷くと部屋を全灯させた。ばかやろう。

起きたら起きたで仕方ないかと視線を手元に戻す。
そこには、二枚の真っ赤な封筒があった。
表に描かれている文字を見ると、僕の名前と、砂銀の名前。

固唾を飲んで、宛先が僕の方の封筒を破いた。
中に入っていたのは薄い光沢のある白い布だった。
その薄布には、明後日の今、中央広場。

たったそれだけが書かれてあった。特に書かれた時刻もわからない。
明後日。この時刻。
手紙としては、あまりにも不可思議だった。

…もうひとつの封筒に手を伸ばした。
封筒に手をかけて、互い違いに引っ張ろうとした。
いくら端を引っ張っても、びくともしなかった。
まるで鉄板を破ろうとしているかのように、堅牢だった。

どういう思惑かはわからない。

「…どうする?怖いでしょ?」
ソナレノが、やけに悪戯っぽい笑顔で僕の背中を押す。

「誰が怖いんだ、誰が」

ひょっとしたら、聞こえていないかもしれない。


つづけ