東方幻想明日紀 四十七話 ファースト・イグザム

「空気がおいしいね〜。地下のくせに」
「それ、僕以外の前で言うなよ」

少女は全く気にとめた風もなく、虫の声が響く夜道を楽しんでいた。
おとといの晩目の当たりにした、真っ赤な封筒。
場所と日時だけ指定されて呼び出されたのだ。

もう、かなり歩いた。

差出人はわからないが、およそ向こう側の人たちだろう。
しかし、今はそんな事を考えていても仕方がない。
ソナレノとゆっくり話ができるチャンスかもしれない。

「ねえ、未来がわかるんだろ?せめて先の事だけでも教えてよ」
せめて、というのは彼女は自分の情報を何も言わないのだ。
わかっているのは「僕の保護者」を名乗っている事。
一人称が揺れている。「僕」であったり「私」だったり。
私と言う時は僕の母親の口調を真似ているらしい。
そして、未来予知ができる…らしいこと。

呼びかけると、彼女は軽く眉を下げた。
「…僕さ、未来がわかる訳じゃないよ。知っているだけなんだ」
「つまり、未来からやって来たのか」

「そういうことにしといて」

含みを持たせて、彼女は緑色の後ろ髪を軽く振って前へ向き直った。
そういう事じゃないんだ。

「未来から来たかはどうでもいい。どういう未来なんだ」

「だから時期がきたら…」
「これ以上はぐらかせば、僕は今後お前の指示を全て無視する」

強く彼女の瞳に視線を注ぎこむと、やっと大きなため息をひとつ。

「君には伯父さんがいる。彼は三年後、存在ごと消えてなくなる。
 お願い、彼を助けてほしいの。」

何だ、そんな事だったのか。
伯父と言うからには、彼女は彼の…

彼女は僕の保護者だと…まさか。

まさかね。


そのまま歩き続ける事しばし、広場の入り口にさしかかった瞬間。
腰に一瞬の違和感を覚えた。

見ると、マントがなかった。
あれ、という小さな少女の声。
ソナレノを見ると、暗い空を指さしていた。

僕の白いマントが、深紅の裏地をひらひら見せて飛んでいた。
端の一点が、不自然に持ち上がっていた。

誰が奪ったかはどうでもいい。
考えている時間なんて僕には残されていない。

そのマントは、持ち上がった一点を軸にして一回転すると、
猛烈な速度で広場の中央に飛んで行った。
ソナレノが何を言っていたのかわからない程度には必死だった。
どんなに脚を速く回したところで、マントとの距離が縮まない。

一瞬だけ近づいた!
すかさず地面を大きく蹴って、そのマントめがけて飛びかかった。

開いた手のひらは空を強く切った。

地面が急に目の前に迫って、ぴたりと止まった。
「そんなに大事なものなんですねー」

胸と膝を支える手の感触。
飛び降りて前を見ると、薄羽の生えた中性的な顔立ちの少年。

僕よりも背が高く、触覚の位置に一対の帽子。
そしてその首には深紅のマントが巻かれていた。

「お前…お前が何しているのがわかっているのか、お前…」
「そんなに怒らないで下さいよ。ちゃんと返しますから」

少年がマントを撫でる都度に、背中に寒いものがぞくぞく走る。
僕以外の誰かに、このマントを触られるのはダメみたいだった。
喉の奥を、汚ない手で撫でられるような感覚に近い。

「――ただし、試験に合格したらですよ」

静かな怒りがこみ上げてくる。
手っ取り早く終わらせたい。
「何の試験だ…どうすればいい…」
威嚇体勢をとっても、態度は微塵も変わらなかった。

「ふ、簡単ですよ?」




大きな満月が、空高くに見えた。
よく知った草の匂いが、ぷんと鼻をついた。

澄みきった連続音に耳を傾けている暇はない。

僕に言い渡されたこと。
正気を失った同朋を救出する事。

制限時間は夜が明けるまで。
今は子の刻、あと四分時間ある。

「昇格のチャンスだよー」
「…あ?」

ソナレノが怯む。その動きにわざとらしさは感じられない。
「全然話聞いてなかったんだねーまあ大事な形見だもんね」

形見…?マントの事だろうか。

話を聞くに、どうやらこれは昇格試験らしい。
うまくいけば五つ鬼火になれるチャンス…とのことだがどうでもいい。

終わらなければマントが返ってこない。何としてでも取り返す。
「あっちだ」

強い、言い表せない臭いを東に感じた。距離はやや遠い。
一目散にその場所をめがけて走り出す。

喉から声を絞りながら走ると、不思議と強くなったような気がした。

気が付くと、手には青い柔らかな毛が生えた手で地面を蹴っていた。
体全体を地と一体化させ、体全体でそこに向かっていた。
草の丈は僕の視点よりも高く、猛スピードで横を通り抜ける。

横には地面を踏みならす緑色の大きなブーツ。

既視感を覚え上を見上げると、緑色の髪の房、白い顎。
赤い長い髪の一束。

視界の上にちらちらと映っていたのは、僕の白い兎の帽子だった。
体の半分を覆うほど、その帽子は大きくなっていた。

なるほど僕は小さな獣になっていたようであった。

鼻が利くのも、力が湧いてきた感覚も、暗闇で色が見えるのも全て。
体躯は小さかったが人のそれよりもずっと速く、強い気でいた。

「どう、気に入った?」

お前の仕業か。
文句を言おうにも、ギューギュー口から無機的な音が漏れるだけだ。
こんな体で、どうにかできるとでも思っているのだろうか。

「あははっ。かーわいー」
文句を言い続けていると、予想だにしない言葉と表情。
後で、仕返ししてやる。


走り続けていると独特な臭いが、急に近くになった。
あの角を曲がると、すぐだ。

そっとその角から顔をのぞかせる。

少し遠くに、暗い大きな影。

ソナレノがしゃがみこんで、僕の大きすぎる帽子を直してくれた。
そして、そっと帽子を持ち上げて、その中に口を滑り込ませる。

「…狛犬だね。それもかなり大きいよ」
返事をしようにもあの声しか出ない。小さく頷くだけにしておく。
「まず、動きを止めよう。手をこすり合わせて」

言われるがままに、前足をすり合わせる。
すると、ふわふわした毛の感触からネバネバとした感触になってきた。

その手をそっと離すと、青い糸を引いて固まった。
ガラスのように硬質化している。 
力を抜くと、呆気なくその青ガラスは手から離れた。

「これを使って、どうにかしよう」

少女の言葉に小さく頷くと、前足を強く蹴った。
具体的な策は何もなかった。


つづけ