東方幻想明日紀 四十三話 ひとつめの使命

草のにおいを強く感じた。
どうやら、さきほど雨が降ったらしい。

静かな林だったけれど、妙な威圧感を覚える。
ここにいてはいけないような気さえする。

風が、吹いた。

「…動くな、さもなくば首を跳ねる」
明確な殺意の籠る女性の声に冷や汗を促された。

背後から首の横を通して、大きく湾曲した銀板の先の切っ先。
「僕に敵対する意思はない。穏便に済ませるつもりなら刀を下ろせ」

毅然と言い放つと、冷や汗がすっと引いた。
ほぼ間髪入れず影が僕の目の前に回り込んだ。

ぼんやりと薄い色の頭髪、頭の上の三角耳。
僕よりもふたまわり大きい少女だった。
その凛々しさのあるいで立ちからは、話の解る人物だと思われた。

「迷い込んだのですか」
「まあそんな所。案内してよ、変な動きをしたら斬っていいから」
「へんな人ですね」
やり取りは短かったけれど、お互いの緊張をほぐすには十分だった。

「では、付いてきてください」
その声に頷いて、草の踏み分ける音を追った。


靴に水が染み込んできて、少し顔をしかめた頃合いだった。
「相手が悪かったら、あなた死んでましたね」
多分、僕次第な面も大きいと思うんだ。
口に出すとどこを斬られるかわかったもんじゃないから黙っておく。
「ここは私たちの棲み家でしてね、そうそう侵入できないんですよ。
 不穏な輩を見つけたら、総員で排除にかかるので」
適当な相槌を契機に、自慢めいた事を語りだす少女。
「団結力、すごいんだね」
「そうなんですよ!私たちは――」

少女は自らを白狼天狗と名乗った。

振り返ると長々と話を聞いたが、案内料だと思えば安い。
忠誠の表れなのだろうが、外から聞けば惚気に近いものがある。

「ところで、この地下に発達した町があるよ」
話がひと段落したところで、そんな事を切り出した。
何かを間違えると闘争になりかねない一言だった。
「旧都ですか」
「いや、もっと上。旧都と妖怪の山の中間」
彼女の声は感情の抑揚が皆無だった。
どうやら、地上じゃないとどうでもいいらしい。

「…駆逐してほしい、ということですか」

「いやー、そういうことじゃないよー」
僕と少女の間に割って入った影があった。
「出たな妖怪どこでも緑ボブ」
「秘密道具みたいな言い方やめてくれる?」

呆気にとられた雰囲気が伝わってきたので、慌てて話を戻した。
「別に駆逐してほしい訳じゃないけれど、あそこはむぐっ」
怪しい、と言おうとしたら口を手でふさがれた。
「まあ、そちらに害はないから放っておいて」

そう後ろでソナレノが付け加えた。
やっと、彼女の目的の端が見えてきた。

「わかりました…ところで、あなたは?」
「僕?僕はこの子の保護者だよ」
もう何も言うまい。

「一緒に山の出口まで案内すればいいんですね?」
「うん。勝手についていくからご安心を」

その言葉を契機に、ソナレノはやたらと饒舌になった。
退屈をさせないを通り越して、明らかに喋りすぎだった。
あることないこと、
半分は質問(答えづらい)で半分は自分語り(恐らく嘘)。

「…お気をつけて。それともう来ないでくださいね」
心なしか少女の別れ際の声はガス欠を起こしていた。


帰り道、よく知った田園路に差し掛かったところだった。
「星がきれいだね」
「疲れてるのか?」
やぶから棒に、ソナレノはらしくない事を言い放った。
確かに上を見ると、思わず息が漏れた。
いつの間にか、空は晴れていたらしい。

「どう、地下世界は」
あまり驚きはしないが、やはり彼女の話には脈絡がなかった。
言われてみて考えると、なるほど心地よかったと言うしかない。

いた時間は短かったけれど、懐かしさがあの場所には存在した。
…言葉の端々、口ぶりから察するにもしかすると。

「なあ、あそこを作ったのはお前なのか」
「まさか。もっともっと、凄い人だよ」
はぐらかされた、と思うのは僕がひねくれているからだろうか。

「でもさ、ヒカリはもっともっと凄い人だよ」
「ありがとう」
「…正確には、凄い事をしてもらうんだけどね」
「お前の手足になれと」
「共闘だよ、あくまでも」

きなくさい。穏やかな話ではなさそうだ。
こいつの妄想なのか、それとも。
前者である事を祈りたいけれど、判断に迷う。

「ヒカリ、助けてほしい人がいるの」
「…それが使命か?」
少女は、ゆっくりと縦に首を揺らした。

「誰を救えばいい?僕は何をすればいい」
「今は直感のままに、生きていればいいよ」

どうやらこの先の話らしい。
彼女が妄言を言う癖が無ければの話だが、
未来人であることはまず疑いのない事だろう。

僕に近寄ってきた目的はわからない。

…僕の中からぽっかり抜けおちた友達と、どこか似ている。
そう思えてきたのは、最近の話だった。

いつからだっただろう。
物ごころつくと、「そな」はいつの間にかそばにいた。
いつも僕の中にいた。

現れては消え、僕を叱咤激励した。
今は「そな」の代わりに彼女が現れては消え、僕の退屈を消した。

そう考えると…


振り返ると、もうそこにソナレノの姿は無かった。


星空の下の帰路を辿って帰路を進むと大きないびきが聞こえてきた。
入ると、畳の上に何も掛けずに仰向けになっているおじさんの姿。
大の字になって、腹をリズミカルにゆったりと上下させていた。

小さく、ごめんねと呟いてその横に腰を落として、肩を畳につけて。
虫の声が聞こえなくなるまで、そう時間はかからなかった。


つづけ