東方幻想明日紀 四十九話 初めて抱く野心

砂銀の住む国の地下、地霊殿のある地底。
そのはずれの方に、僕たちがよく行く呑み屋があった。

僕は、滅多に呑んだりしないが。

「そういえば、最初お前は僕を憎んでたよな」
砂銀が煽った杯を空中に止めて、こちらに振り向く。
「…師匠、忘れちゃったのか?」
不安そうな顔で、砂銀はそう返す。

師匠というのをやめろと言う気も失せている。
彼が呼びたいからそう呼んでいるのだ。

何も忘れたわけじゃない。
最初、砂銀は僕に敵意をむき出しにして襲いかかってきた。

「僕はただ手当しただけなのに、今こうしてお前は僕を師と仰ぐ。
 同じ仲間で、格下げまでされて、それでもなお。どうしてだ」

「ただ手当しただけじゃないよ。俺は、本当に嬉しかったんだ。
 お前みたいな、すっごい奴に気にかけてもらえた。」

すごいやつ、という表現に顔をしかめると、彼は高々に笑う。

砂銀が、ふいに空を見上げた。

「ほら、俺たちの部隊の招集命令だよ」
えっ、と声を上げると、砂銀はそういえば初めてだったなと言った。
今更、僕が所属している部隊は何をするところなのか尋ねられなかった。


手を引かれるようにして連れられた場所は、地下帝国の北端。
歩くこと数時間、中央部の清潔な白い床と違って、土の地面だった。
ススキのような草の生える荒涼とした草原になっていた。

この光景は意図して作られたのか、手を加えなかったのかはわからない。

ただ、この空気に回帰への憧れが垣間見れるあたり、やはりというか、案外ここの人たちは人間臭いのかもしれない。

不思議だ。
人間は好きではないけれど、人間臭さは好きだ。
短命の欠点さえ克服すれば人間臭さを失う。

だから、僕は誰とも仲良くするつもりでいなかったのに。

「なあ砂銀、お前の種族はどれくらい生きるんだ」

踏み入った。砂銀だから、という一種の僭越だった。
砂銀は理由すら尋ねずに、お前より早く死んだりしないとけらけら笑った。

きっとこいつは僕よりも早死にする。
だけど、そんなことはいい。
こいつが、すぐに僕の前からいなくなることはない。

僕は長い溜息をつくと、あることを決心した。

荒んだ草がまばらに生える野を進むと、小さな廃教会のような建物。
ますます、わからない。
この都市は最近できたことから考えると、
こんなちぐはぐな組み合わせにした理由が見えてこない。

いったい誰がこんな趣味なのだろうか。

砂銀の後に続くように小さな教会のドアに手をかけて、中に入る。

息を飲んだ。

中は清潔な大ホールだった。
穏やかな橙色の明かりが、全体を柔らかく包み込んでいる。
壮大な演奏会でも始まりそうな雰囲気に、すっかり飲み込まれた。

整然と配列された黒い座席、その向こうには木張り床のステージ。

「すごいだろ?」
ただ、頷くことしかできなかった。

「僕たちはどの座席に座ればいいんだ」
「いや、座席じゃない、舞台の上だ」

彼が指差したステージの上に、人だかりができていた。
黒椅子の列を通り抜けて、ステージに近づく。

ステージの上を見ると、床の上に腰を下ろした獣の面影を残す様々な人々。
その向こうに、二つの人影があった。
片方はあの時僕からマントを奪い、鬼火をも奪い格下げをした。
「ペディアス…さん、だっけか」
昆虫のような二枚の薄羽、触覚を覆い隠すような二つの長帽子。
そしてあの含みのある、女みたいな口の動かし方。

「俺たち乙部隊の五つ鬼火の副長だ。実質一番偉い人になるな。
 一度も話したことはないけど、結構切れる方らしいよ。
 …って、あのお方から直接受けてたよね?昇降格試験」
小さくうなずくと、少々忌々しい感情が蘇る。
話を聞くに、この部隊の役割は警備とのことだ。
トラブルを未然に防ぐために尽力するらしい。肉体派である。
それにしても、この人が副長だとすると隊長は…

「その横は、四つ鬼火のイシュラさん」
僕に構わず、砂銀は目で小柄な少年の横の男をさした。
人に数えると二十半ばほどの、目元の緩い青い髪の青年だった。
見たところ、耳や尻尾の類は見て取れない。

まるで、付き人のようにペディアスさんの横で佇んでいる。
もっとも頬を掻いて退屈そうにしているあたり、くだけた関係なのだろう。

こっそりステージに上がって、後ろの方に座った。
「私たちは膂力でなく、穏便な解決を第一優先に――」
どうやらこの人、説教癖があるらしい。退屈である。
ペディアスさんの長々としたご高説が終わりに近づいた時だった。

「待ってくれ」
突然、横の青年が手を挙げた。
ペディアスさんは、その流れるような演説を止めた。
「どうしました、イシュラくん」
「邪魔が入ったみたいだ」

イシュラと呼ばれた青年はステージから降りて、通路をゆっくり歩いた。
すべての視線が、客席にも似た座席群全体に向く。

イシュラさんの視線を辿って首を傾ける。
危うく、声が出るところだった。

そこには、引きつった表情の少女の姿があった。
ソナレノだった。

あいつ、何をして…
握りこぶしの力を強めた瞬間に、隣から熱が急になくなった。
ダン、と床を強く踏みぬく短い音。

振り返ると、砂銀の姿がなかった。
見なくてもわかっていた。
砂銀が、ソナレノをかばうある種の地獄絵図。

今日は、ため息の多く出る日だと思う。
…僕が行かなくて、なんで砂銀が出るんだよ。


砂銀と合流すると、青年を見上げた。
静寂は、数秒続かなかった。

「なんだ、君たちの友達か〜」
青年は愉快そうに声を立てて笑った。
僕たちも微笑むと、青年は小さく息を吸い込んだ。

「――次ここに来るときは、殺意を消してこいよ」

同じ調子で、彼女だけに聞こえるような声でそう言い放った。
不思議と少し安心した。顔が怒っていた。


「どうして、あそこでひとりでいたんんだ」
いたたまれず僕はソナレノを連れて、教会の外にいた。
僕に、あそこにとどまる資格はない。

「ペディアスといった、あの少年に死相が見えている」
「死相?」

ソナレノは彼にはまだ生きてもらわないと困ると言っていた。
彼を生かしておくメリットについては全くよくわからない。

ただ、彼が死ぬと状況が大きく変わりそうというのは僕にもわかる。

「…なるほど、ペディ様を心配してくれてたんだな」
さきほどの青年が、ドアを開けざまにやれやれと手を作る。
顔が引きつったが、頭に乗せられた締まった手がその不安を取り払った。

「心配とはちょっと違うかなー」
ソナレノが、頭の男の手を払って台無しにした。
青年はおっと失礼と高笑いをする。
ソナレノの中ではわからないけれど、
僕の中では彼に一点の曇りも見て取れなかった。

「それにしても、申し訳なかったね」
僕が首をかしげると、青年はそっと続きを耳打ちした。

ペディアスさんは、あまり体が強くないということ。
彼が死んだら、四つ鬼火の中で最も強い者が五つ鬼火になり副長を務める。
だから、四つ鬼火が二人になることを許さなかった…らしい。

そんなことを、こっそりペディアスさんはイシュラさんに教えたらしい。

「どうして、そんな秘密を僕に言うんですか」
「それは、お前が元同格だったのもあるし、何よりも、だ」
青年は、小さく咳払いをして、僕をしっかりと正面に見据えた。

「俺はそういうのが嫌いだ。お前には実力で上がってきてほしい」

ちょうど、さっき僕もそういう決心をしたところだ。

砂銀の尊敬できる「師」になる。
そのためには、名実ともに強くなってやる。


「望むところです」
そう高らかに言ってのけ、握りこぶしを作って前に出した。
青年は腕を組んでそのまま踵を返し、悠々と歩を進める。

「ほら、初仕事だぞ」

イシュラさんは、振り返らずに、横を指差した。
指の先、はるか遠く。

小さな人影が荒野のはるか向こうに佇んでいた。
小さくお礼を言うと、そこへ向かって一直線だった。


つづけ