東方幻想明日紀 一話 事故の二の舞

一面の神秘的な、無色で敷き詰めた清らかな世界が、
ひたすら僕の時間を奪っていった。

「なんだよ、この大雪は・・・。」

足に掴みかかる雪に絶望感さえ感じる。
ただでさえ遅刻気味なのに、これじゃ本格的に遅刻してしまう。

朝一番で、卒業式の全校予行演習がある。

どうせ遅れるのだから、今日はずる休みしてしまおうか。

このまま学校に行ったところで、
ゴミ箱から上履きを漁る作業があるのだから。

いや、今日はほかの女子の下駄箱なのかもしれない。
それとも、この雪の中に放り出されているのかな。

朝一番の、楽しい宝探しの時間だ。

教室に着いたところで、運ぶ椅子もない。
この雪のどこかで、安らかに寝ているのだろう。

「そな。今日は、休んでもいいかな?」

オレンジ色の声が、冷たい白に吸い込まれていった。


義務教育なんだから、仮にいくら休んでも卒業くらいはできる。
幸い家で勉強をすれば、他県の良い高校には入れそうである。

そうすれば、もう二度とあの校舎に積もる汚い雪を見ずに済む。

今日一日くらい、休んでもいいだろう。
そんな甘い感情が、降りしきる雪のように、冷たく重くのしかかる。

方向を変えて家路に向かうと、今までの世界が神秘的に見えた。

道路、空、信号の光。
全てがきらきらして、紗がかかっていたのだ。

お母さんの帽子が、温かかった。
白い、この綺麗な雪のようなウサギの帽子が。


ふと、思い出した事があった。

この大きな交差点に差しかかるたびに、
お母さんが、思い出すように言っていた事があった。


ここで、私のお兄さんが交通事故で命を落としたんだと。
生きていれば、僕のやさしいおじさんになってくれたのかな。

でも、いまさら悔やんでも仕方ないよね。
死んだ人は、もう二度と戻ってこないんだ。


・・・でも、本当は一度でいい、会いたかったな。
どんな人だったんだろう。

僕の家族はどういうわけか、僕が僕であるというだけで、
こんなにも僕を大切にしてくれる。

一緒にいても傷もできないし、恐い事もしない。
そればかりか、僕の為に怒ってくれる。
僕のために、泣いてくれる。


・・・おじさんも、そんな一人になってくれたのかな。


それにしても、狂気の沙汰だと思う。

道の雪は掻き分けられているのに、歩道はそのままだ。
そんなだから、交通事故で死人が出るんだ。

僕は、傘を捨てた。
この雪をめいっぱい楽しみたかった。

もう、どこにも帰りたくなくなった。

お母さん、光は悪い子です。
だから一日だけ、この雪の中で、幸せでいさせてください。

酷い風邪を引けば、そなが心配してくれるんだろうな。

僕は、幸せ者だ。

僕には、「そな」という友達がいた。

僕以外の誰にも見えないし、声も聞こえない。
でも、いつも僕を気遣ってくれる。すごく優しいんだ。

どんなに辛い時も、彼女が慰めたり、励ましてくれた。
大好きな、大好きなひと。

「そな、あったかいね・・・。
 今日は、ずっと一緒にいられるよ・・・。」

雪を抱きしめて、ほのかに呟くと、熱い涙が雪を溶かした。
このまま死んでしまっても、僕は満足だ。

そしたら、そなとずっと、永遠に一緒にいられるから。

ふと、猫の鳴き声がかすかに耳元で響いた。
涙が、一瞬で引いた。

夢から覚めたように、重くなった身体を起こす。
一面の銀世界、遠くに一つの影を見つけた。

緑色の毛色をした、子猫だった。


身体の雪をゆっくり払い落して、その猫を追いかけた。
追いかけなければ、いけない気がしたからだ。

猫は僕の姿を見ると、一目散に逃げ出した。

・・・夢中になって、僕はその逃げる緑色の影を追いかけた。
まるで、猫の周りは光り輝いているかのようだった。

蝶を追いかける少年のように、
僕の心はその猫を追いかける事に夢中だった。


エンジン音と、身体に覆いかぶさる影に、僕は気付かなかった。

目の前の猫は、姿を消した。



雪が、止んだ。


つづけ