東方幻想明日紀 四十話 旧都にて

前を歩む少女の足取りは、躊躇なく、軽やかだった。
手押し車のカラカラという音が小気味よかった。
あたかも足を引きずる怪我人に、
ついておいでと言ったことを忘れているかのようであった。

そもそも、怪我を治そうかと言われてついてきたのだ。
ご飯を食べさせてあげる、と言って下剤を飲まされるも同じだ。

さして痛みはないが、何しろ足が重い。
彼女が僕の友人ならば一言くらいはくれてやったかもしれない。
そもそも、彼女の目的地がわからない。
そんな事を今更のように暗い色をした地面を見ながら考えていた。
「友達が迷惑をかけたね」
肩にだらりとさげた少年担ぎなおしながら、少女は人魂を顔に照らせた。
「ああ、大変迷惑だった」
友達だったことは少々驚いたが、それは今はどうでもいいことだ。

「その件は悪かったね」
素直に謝られてしまった。
はなから怒るつもりはないが、何かが僕の中で萎んでしまった。
「なぜ彼は僕を襲ったんだ」
問いつめるつもりはない。
純粋な疑問だ。
それだというのに、目の前の少女は困窮する。
「ああ、じゃあいいよ」
それ以上尋ねるつもりはない。
助かった命、僕もまだあまり大丈夫ではない。
彼女に出会った時点で、僕は大分衰弱していた。
きっと殺すならばその場で殺されている。
取引をしようにも、今の僕には何もない。
もっとも、記憶がほとんど残っていないのだから
僕自身が大切な事を忘れている可能性もあるけれど。
なんにせよ、あまり悪いことはなさそうだ。
行き先を告げないのも、特に気にならない。

彼女の後をついていく。
するとどうだろう。
深い木々の中に、大きな洞穴があった。
そこにずんずん入っていく。
不審感を一通り感じて考える程度には、長く歩いた。
猫の耳を持った赤毛の少女は
時々歩いて振り向いてくれた。
幸い、足も少し軽くなった。
きっとおおかた回復してくれたのだろう。
それにしても、さっきから暑い。
元々今の季節は梅雨で暑いが、
湿気を増さずに気温だけがつり上がっていくような感覚である。
「貴方は、キュウトは知ってる?」
驚いた。幻想郷にも英語はあるのだろうか。
「オー、ユーアーベリーキュート」
緊張をほぐすためにも、こんな事を言っておく。
するとどうだろう。少女の顔が不可解に引きつっていくではないか。

少しの問答を繰り返して、
彼女に「キュウト」が「旧都」という地名だと言う事を知らされた。
赤毛の少女は、さっきの僕の発言には指一本触れようとしなかった。
余計に辛かった。

記憶から消したい事がまたひとつ増えた瞬間である。

歩くとやがてぼんやりとした明かりが遠くへ続く、
独特の風情がある長屋の立ち並ぶ通りが見えた。

「立ち話も何だし、あそこで少し休憩しようか」
少女は、カウンターのあるのれんを指さした。

赤毛の少女は担いだ少年を適当に空き席に転がした。
そして何事もなかったようにお酒を頼んだ。
僕は何も頼まずに、高い机に掴まるようにしていた。

「もう怪我治ったんだねえ、すごいすごい」
「さんざ歩かせておいてそれか」
恐らく、大した怪我じゃなかったんだと思う。

しばらくして鬼のような形相をした店の者が、少女に瓶を渡す。
少女は小さな口に瓶を当て、一気に傾けて長机に置いた。
長い溜息の後に、もう一度僕に向き直る。
「結構何も考えていないでしょう、普段」
「失礼な」
これでも色々考えは巡らす事は多い。
ただ、考えても仕方のない事が周りに多すぎるだけだ。
「それよりも、これからどこへ向かうつもりなんだ」
「んー、その様子だとチレイデンは…知らないか」

一通りの説明を受けた。

この先、この旧都の中央部に地霊殿という大きな屋敷がある事。
彼女とさっきの少年には主がいて。この二人はペットで。
赤毛の少女は自らを「お燐」と名乗った。
僕を襲った狼少年の名は「砂銀」と彼女は言った。

とすると、その主が僕に彼をけしかけたのだろうか。
だとしたら、一言言っておきたい。
しつけくらい、きちんとしてほしいと。

「そういえば、じゃがいもってあるかな。生の」
「あると思うけど…」
少女は店主にじゃがいもを頼んでくれた。

しばらくすると、店主が土まみれの塊を三個目の前に置いた。
大分放置されているのか、立派な芽が出ていた。
土を軽く払い芽をへし折って、がりっと生芋を噛んだ。

不思議だった。

土と生の芋と青臭い味しかしないのに、涙が出てくるのだ。
心配そうにのぞき込む彼女を、近寄るなと手で空を払う。

意味がわからなかった。

僕が落ち着きを取り戻すまで、大分時間がかかった。
次に顔を上げる頃には、少女はまた立ち上がり、少年を担ぎ直した。

「行こう、あんまり長居すると砂銀死んじゃうし」
小さく頷いて、腰の裏地が赤いマントを直して、僕も立つ。

目指すは地霊殿
店を出ると、なるほど確かに遠くに霞んだ大きな影が見える。

重い足取りで、手押し車の音についていく。


つづけ