東方幻想明日紀 三十六話 再開と生きる実感と魔法使いと

ぼやけた視界に、赤、赤。
沢山の上に伸びる線と、輪郭のはっきりしない赤が視界を覆う。

身体を起こすと、赤い柔らかいものが顔ではじけた。
手に取るとそれは彼岸花であることが分かった。
見渡せば、この辺り一帯全ての赤は彼岸花の色であった。
他には乾ききった岩が点在するばかりで、殺風景そのものだった。
まさに、幻想的だった。

ふいに、視界に何かの影が割り込む。
思わず首を後ろに引くと、その輪郭がはっきりとした。

薄い肌色、すっと細い筆で引いたような眉。
光沢のある紫水晶のような深い紫色の瞳、
そして視界の大部分を占める深緑色の癖のある髪。

頭のてっぺんは、見えない。
左目には、念入りに包帯が巻かれていた。
理解が追い付いていなかった。
その面影は、記憶のそれとは大きく違っていて。

「彼我です。やっぱり、あなただったんですね」
淀みない口調の、記憶に新しい声色。
信じられないものを、僕は目の当たりにしていた。

「随分と、変わったね…」
「あなたが変わらなすぎなんですよ〜」
少女は、妖艶な笑みを浮かべていた。
表情も妖艶なら、身体もまた然り。

何よりもびっくりしたのは、目に光が宿っていた。
うまく説明できないが、彼女は今を生きていた。

これだけの変化を目の当たりにして、嫌でもわかる事があった。
僕は、少なくとも十年は眠っていたらしいこと。
「明るくなったね」
「はい。救ってくれた人がいるんです
 私を導いてくれて…この世界には、光がありました」
両手に頬を当てて、熱っぽく喋る少女の姿は印象的だった。
大げさな、と笑う事はあえてしなかった。
でも、合点はいった。
きっと男でも出来たのだろう。

それにしても、この子は感受性が強いんだなあ…
子供の成長を遂げた姿を眺めているような、
そんな温かい気持ちが身体を覆っていた。
もっと暗い子だと思っていた。

感慨に耽っていると、ふと少女は視線を落とした。
「…でも、人間によって魔界に封印されてしまいました。
 身勝手な話です。人間は自分の保身しか考えていないのですから」
少女の色の良い華奢な手は落ち着きなく膝の上をゆっくりと往復していた。

なんとかできないのか、なんて質問は考えた瞬間に霧散した。
どうにかできるものなら、きっとどうにかしているだろうから。
でも。

「…何か、僕に出来る事はあるか」
「いえ、いいんです。気持ちだけで」
一瞬だけ少女は目を見開いたが、すぐに視線を落とした。
その言葉が僕に迷惑をかけたくないのか、それとも不可能なものなのか。
真意はわからないが、引いておいた方がいいだろう。

「私にできる事は…恩返しをするために、自分の力を高めるだけです」
少しだけ、冷たい風が僕の中に吹き抜けたような気がした。

想い人に寄せるそれではないけれど、ある種の親しさを感じていた。
父親にも、友人にも似た、今まで感じた事のないような気持ち。
この子はただの憎らしい子供だったのに。

彼女は僕とは全然違っていた。
騙されて、利用されて、それでもめげずに誰かについていって。
その人の恩返しに全力を尽くそうとしていて。
僕に出来る事なら、だいたいの事はしてあげようと決めた。

「それにしても、随分と苦労してきたんですね」
突拍子もなく、少女は尋ねた。
少し面喰らった。
「僕はただ寝ていただけだ」
「…きっと、長い悪夢を見てたんですね」
今一つ、意味が汲み取れなかった。
同調しようと歩み寄ってきたのを、僕は避けることしかできなかった。
そうだね、と僕は笑ってみせた。

ひとひらの、赤い細い花弁が視界をすっと横切った。
「…この場所が、まるで分からない」
上がり口調にならないよう気をつけながら、彼女にそれとなく尋ねた。
「ここは無縁塚ですね。あんまり長話するような場所ではないです」
「それを早く言ってよ…」

二人で腰をあげて、この地獄のような秘境の外へと踏みだすべく。
足元で咲き乱れ、舞い散る赤い花弁は焦燥を煽っていた。
そう思えてならなかった。

少女の背中は首を上に向けないと、視界に入りきらなかった。
僕は自分自信の正体については特に考える事をしなかった。

答えなんてきっと出ないから。
周りと違う。それしかわからない。
打ちひしがれるだけだ。ただ、みじめなだけだ。
だから考えない。それが一番幸せなんだ。

歩いていると、ふと疑問を覚えた。
「…後方の林から遠ざかってるんだけど」
「あそこは危険なので、回り道です」
危険だらけじゃないか。
むしろここに安全地帯は存在するのか疑問だ。
「あの林は魔法の森といい、空気が淀んでいます」
「魔法の森!?」
前方の後ろ姿が、一瞬だけ強張った。
しまった。つい…
彼我は口を閉ざしてしまったが、僕の興味は既にそこに向いていた。
「ここで、お別れだね」
「ヒカリ…?」

少女に背を向けて、一目散に駆けだした。
空気が淀んでいる?そんな事知った事ではない。

空虚だった僕の頭の中に、少年のような好奇心が満ち満ちていた。
蝶を追いかけるように、乱暴に眼下の赤を踏み荒らしていた。



魔法の森の入口は想像以上に鬱蒼としていた。
後ろを振り向くと、既に人影は無い。
燃えるような色が空と地の境界をあいまいにしていただけだった。

いざ、前に向き直る。
急に湿度が上がっていて、中は暗かった。
胸は高鳴っていた。

草が深かった。
お…綺麗な色のキノコを発見。

焦げ茶色の木の壁にへばりつくように、白い色のキノコが生えていた。
小さなピンク色の斑点が、印象的だった。
堪らず、僕はそれを口に放り込んだ。
甘くて、舌触りが良くて。

吐いた。

後悔すら許されなかった。
胃が意思を持って、身体の内側を所構わず這いずりまわるような痛み。
視界が揺れるとか、毒キノコにありがちなそれは無い。
だたただ、お腹が痛かった。

何してんだろう、僕は。
ただ…

「僕…生きてる…」
嬉しさで震えているのか、はたまた痛みか。
湿った濃い色の草でブラインドがかかった世界が、弾んでいた。
僕は、どうやら毒がまわる身体らしい。
当たり前だけど、それがうれしかった。

どれぐらい、時間が経ったのだろうか。
震えた右手が、草を掴んでいた。
左手が、こつんと何か硬いものにぶつかった。
「いっ」
そのまま、時間差で左手に痛みが走った。

「げっ…死人の手を踏んじゃったぜ」
上から聞こえてきたのは女の子の声だった。
既に体力が切れているが、助けを求め…
「まだこいつ、幼いな…
 野ざらしも不憫だ、どこかに穴を掘ってやらないと」

まずい…このままだと生きながらにして埋葬される…
まだ意識ははっきりしているし、死ぬつもりは毛頭ない。
赤子のように手足を必死に動かした。
想いが届いたのか、腕を一回り大きな手が掴んで、そのまま引っ張り上げられた。
そして、そのまま声の主は僕を木に寄りかからせた。
気のせいか、少しだけ呼吸が苦しくなっていた。

「…おい、大丈夫か?」
視界は完全に木のてっぺんを向いていて、少女の顔は見えない。
必死に、固まった顎を上下に動かす。

大きなため息が僕の耳にしっかりと入ってきた。
面倒事に巻き込んでしまった。
考えてみれば、どうしてあの時キノコを口にしたんだろう。
あまりにも短絡的すぎる。

「とりあえず、落ち着いたら私の家…はまずいな。
 知り合いの家に案内してやる。それまではここでじっとしていろ」
僕は力なく頷いた。
途端に眠くなって、意識が朦朧としてきた。
きっと、ただの単純な眠気だろうが…

閉じる視界の一瞬に、ブロンドの髪の毛が視界に映った。


つづけ