東方幻想明日紀 三十一話 また会いましょう

すっかり桃色に染まっていた下に広がった概界。
小さくため息をついた。
もともと僕が住んでいたこの村に桜なんてなかった。
数十年前だろうか、ある村人の人間が植えたのだ。
もちろん、この世にはもういない。
あるのは心も洗われぬ薄ピンク色だけだった。

あの洞穴は何一つ変わっていなかった。
たった一晩ぴのすけがいなくなっただけで僕は何しているんだろう。
彼女は人間と違ってやわじゃない。
彼女が死ぬなんて、ありえない。
彼女より強い者はきっとこの世にはいないから。
別に心配なんじゃない。
彼女が僕のそばにいなくて不安なんだ。

…案外、もう戻っているかもしれない。
そんな期待を寄せながら重い腰を上げた。
お仕事、ちょっとサボっちゃった。

まだ足取りはおぼつかなかった。
ぴのすけ依存症なんだなって、自分を嘲笑した。
情けなかったけど、うれしくもあった。

肩を小さく落とすと、襟がぐっと引っ張られた。
「…もー!こんなところにいたぜ!」
高い声に振り向くと、薄紫色のふわふわした髪がそこにあった。
旺狐だ。
「ああごめんね、今戻るよ」
「いや、いいのそんなことは!それよりもヒカリくんに言いたいことがあるの!」
察しはついた。
遠い昔、百年ほど前。
紫詠さんが言った言葉を思い出すのは経った時間の割に容易だった。
そろそろだと思っていたんだ。
「何?」
「うん、おとーさん達もうすぐ引っ越すんだ!
 そこでさ、ヒカリくんも一緒に引っ越そう!」
僕はふっと表情を崩した。
「ごめん、僕達はここに残るよ」
気持ちは嬉しかった。きっと紫詠さんだって嫌だとは言うまい。
「でも、どうやって生活するの?ヒカリくん友達いないだろ?」
いたいけな瞳で僕を見るな。
確かに人間の友達は一人としていない。
知り合いと呼べる人間も、みんな死んでしまった。
人間なんて五十生きればいい方だ。
よく知る人が死んだ時はむなしかった。
悲しい感情より、むなしい感情に包まれていたのをよく覚えている。
そうして新しい人間を見るたびに思うんだ。
ああ、またすぐに死んじゃうんだろうなって。
その感情が人とつながろうとする抑止力になっていた。
だから、上辺だけでいい。
上から俯瞰することもできず、距離を置くことしかできなかった。
僕と人間は、対等じゃないんだって。
少なくとも同じ時間を生きることが難しいって。
だから、決めたんだ。
「僕は人との付き合い方をここでじっくり考えたいなって」
「本当にいいの?後悔しないね?」
「ああ、しないしない」

人との距離、どう付き合っていくか。
結論を出すには、もうちょっとの時間が欲しかった。

僕は旺狐を連れて、お店に戻った。
話によると来週に引っ越すらしい。
何度も念を押す旺狐が鬱陶しくて、いじらしくて。
まるで、自分の子供のように感じた。


二人でお店に戻ると、天使がいた。
思い切り抱きしめると困ったように笑った。
やっぱり天使だった。

一週間なんて、あってないようなものだった。
秒読みなんて、それこそしたくもなかった。
死ぬわけじゃあるまいし、いつか会える。
そう思っていた。
「…それじゃあ、長い間お世話になりました」
「はい!三人とも、頑張ってね〜…ヒカリ?」
僕はどうやら泣いていたらしい。
それも、周りが心配するくらいに。
「まあまあ、また暇になったら戻って来てやるよ」
「あり…がと…」
荷車から降りた旺狐にまで慰められる始末だった。
きっと、これでよかったんだ。
これが最良だったんだ。

自分の兎帽子の耳を引っ張って、引っ張って。
のびた。

これからは「安定」なんてのは存在しない。
紫詠さんたちに頼らずに、二人で生きていくんだ。
「…これからどうしよっか?」
「二人で宿屋で働かせてもらおう。近くにいいところがある」
結局僕たちは誰かに頼らないと生きていけないみたいだ。
にぱっと笑って首を縦に振ったぴのすけの顔はいつもより輝いていた。
…その奥に、寂しさがあったのは気のせいだろうか。


鼻の高い、痩せこけた老婆は僕達を指さした。
「何、あんたらクビになったの」
なんてこと言うんだこのばあさまは。
これでは頭を下げる気まで失せちゃうじゃないか。
「まあ、そんなとこです」
「ふん。で、こっちに流れてきたのかい。
 三食布団付きだしね。最高じゃないか。虫のいい話さね」
おばあさんはふんぞり返って腕を組んだ。
なんて失礼な老婆なんだろう。僕達にそんなにつらく当たること無いだろう。
「団体の旅人のお客様がきましたよ!」
そうこうしているうちに眼鏡の男性がこちらに駆け込んできた。
「な、なんだってえ!よしあんたたち早速お仕事だ!私の手伝いをしな!」
老婆はそういうと骨ばった腕を高く上げた。
老婆がいたところに光が包み込んだ。
そして、そこにはブロンドの髪の西洋人形みたいなメイド服の可憐な少女がいた。
少女は走り去ると、向こうでどよめきが上がった。
「あーいみなさあん、ようこそ土着荘へ」
少女はこちらにおいでおいでのサインをした。
僕達は首をひねりながらその団体客へと走っていった。

この世はわからないことだらけだ。
少女が脱ぐとさらにどよめきが上がる。
だまされるな。そいつの正体は身も心も醜悪な老婆だ。


「小娘、なかなか働くじゃないか。その細い腕は凄いね」
「あ、ありがとうございます!」
お仕事が一通り終わると、裏の部屋で三人でお茶を飲んだ。
おばあさんは老婆モードである。こっちがやはり本当の姿か。
「…それに引き換えなんだいあんたは。フヌケだね」
「ぐっ…」
もしかして、僕だけ解雇なんだろうか。
ありうる。だとしたら…
「悔しかったら、もっと働くんだよ」
心配事は、たちまち霧散した。
口が悪く意地悪だったが、悪い人ではないと思った。
「はい!わかりま…」
「さて、あんたたちはこれからしばらくの間ここで働いてもらう。
 とりあえず給料は寝る場所と食いもんと少々の金だ。それでいいだろう?」
殴りたくなったが、僕達にとってはそれで十分過ぎた。
今までが恵まれ過ぎていたんだ。
案外、こんな暮らしもいいかもしれない。
余談だが、山姥は語り継がれる内にいつのまにか迷信になってしまったらしい。
だから、彼女が山姥だったという事実はいい意味でも悪い意味でも忘れられている。
これが、望む世界だった。
毎日汗水垂らして、苦労して。
喜びがあって、ほめる人けなす人支える人。
「もう休んでよし。何かあったらまた呼ぶがね」
「いいんですか?」
時計を見るとまだ夜の八時だった。
「夕食くらいは私一人でも作れるさね。魔法使いをなめんじゃないよ」
魔法使いって…あの?
お伽噺にしかいないようなあの魔法使いがこの世界に…?
それを裏付けるような事があったから笑っていられない。
どうやら、魔法使いが僕の知らない間に現れたらしい。

「明日から手伝ってはもらうよ。
 それはさておき寝床に案内する、ついてきな」
老婆は僕達を部屋へ案内した。
それは驚くほど綺麗な個室だった。
物騒なパトランプのようなものと鋭利な鎌が立てかけてあるのが不安だが、
それ以外は落ち着いた狭い布団のある和室だった。
「何かあったら呼び出すよ、鎌は護身用」
僕達は苦笑いで頷いた。

ぴのすけと仲良く談笑していたら上の明かりがブザーと一緒に明滅した。
驚きの部屋に通されて数分後の話だった。
しばいたろかと思ったが、何も相手は嘘を言っていない。
腹の虫を沈めて大広間に行くと、老婆に掃除をはじめとする雑用を押しつけられた。
ぴのすけは部屋に戻された。今日はやけに握力を鍛えられる日だ。

仕事が終わると、もう深夜だった。
へとへとだったけれど、心地よい疲れだった。
あの老婆だっててんてこ舞なのだろう。
そう思うと溜飲も下がった。
だが、思うことはないではない。
僕には気がかりなことがあった。

嫌な予感は的中していた。
…部屋に戻るとまたぴのすけの姿が無かった。
ここ最近、かなりの頻度でぴのすけが夜にふらりとどこかに出かけるのだ。

何やら胸騒ぎがする。
意を決して、探しに行くことにした。
彼女が出かける度に、こうして探しに行くのだが見つかったためしがない。
ぴのすけがふらりと出掛けそうな場所なんて、洞窟の付近の林しか考えつかない。

…最後だ。これで見つからなかったら、彼女の夜の徘徊は気にしないでおこう。
僕はこっそりと電気を消して窓から外へ飛び出した。


つづけ