東方幻想明日紀 三十話 平和な一世紀

「玉子丼ひとつお願いします!」
通る低めの声が厨房に響き渡る。

いつもの光景だった。
何も変わらない時間が、紫詠さんのお店でゆったりと流れていた。


「…私たちも、お昼にしよっか」

ぴのすけが何も変わらない笑顔で僕にそう持ちかけた。

あの事件から百余年が経った。
「ぴのすけは、いつまでも変わらないね」
「お前に言われたくないな〜」

やっぱりこうやって囲んで食べるご飯のおいしさも変わっていない。

「急いで、食べなきゃね」
僕が小さく頷く。

村の人口は急速に回復した。
紫詠さんはかなり遠くの隣村に数十人を移住させた。
支店を建ててお店を二つで回した。
そのお金は村の復興に当てられた。

村長は既にあれから二代変わっていた。

村の人口は、二百人ほどになっていた。

あっという間だった。

彼女たちと過ごす日々の間に村がどんどん大きく、
そしてだんだん綺麗になっていく。

毎日が忙しさと、楽しさで満ちていた。

それはあたかも、早回しの近代都市のビデオのようだった。

ルーティンな日々を送っていくと、どうやら時間は早く進むらしい。
そして、幸せな日々を送っていても、時間は早く進む。

完全燃焼したろうそくは、あっという間に溶けていく。

…ただひとつ、僕たちの間にも変化はあった。

「ねえ〜ねえ〜、ぴのちゃんとヒカリくんはいつ結婚するのー」
「んー。いつだろうね〜」

薄い紫の髪の、狐の少年が僕たちの座る机に身体を投げ出した。
ジタバタ手を泳がせて、
僕たちに次の疑問を投げようとしたところだった。

「旺狐、あんまり変な口出ししちゃだめよ〜?」

桃色の髪の狐耳の女性が、さっとその少年を抱き上げる。
よしよしと、少年の頭をすっすと撫でた。

少年は、くりくりした深紫の目を細める。


言うまでもないが彼、狐理精 旺狐(こりせい おうこ)は
紫詠さんと昨狐さんとの子供である。
純粋だが、いたずらっ子だ。

そこは紫詠さんに似たのかな、うんうん。

「あ、ヒカリくんちょっと立って!」
旺狐が昨狐さんの腕から飛び降りた。

「?」
僕は言われたままに立つと、旺狐は僕と背中を合わせた。

「よっしゃ!抜かしたぜええええええ!!」
頭に手を当てると、少年はガッツポーズをして跳ねまわった。

「おまっ、そういうことか!まだ僕の方がでかいよ!
 もっかい!今度は僕の横に並んで!」

少年は意地の悪い笑顔を浮かべて、僕の横に並び直した。

「どう!ぴのすけ!」

尋ねるとぴのすけは苦笑いで大人げないなあとでも言いたげだった。
違う。僕のプライドが許さないだけだ。
別に身長が小さいのを気にしているわけなんかじゃない!

「うーん…」

ぴのすけは難しい顔で僕と旺狐、交互に視線を投げた。

「………あはっ」


「今の笑い何!?ねえ何!?」
ぴのすけの口角が一瞬上がったのが気になりすぎて困る。
どっちが大きいってことなの…?

「おっやあ〜ヒカリ君そんなにむきになってどうしちゃったの〜?」
「ぐっ…言いだしっぺはそっちだろ!」

旺狐はニタニタと笑いながら小さな腕を組んだ。
気にはしていたけど、まさか友人の子供の比較対象にされるとは…

「まあほら、いつかこんな日が来るってわかってたでしょ?」
「ぴのすけ…やめて。ほんとやめて」

ざるそばは塩味だった。




夕食後の事だった。

「…なーなー、本当になんでヒカリくんは結婚しないんだ〜?」
旺狐の高い声が、狭い浴室に響いた。

どうやらただの冷やかしではなく純粋な疑問だったようだ。

「…ぴのちゃんのこと、好きじゃないのか?」
「んなわけないだろ。……その…大好きだよ。」

少年は不思議そうに顔をゆがめた。

「別に、そんなことを周りに示さなくたっていい。
 僕もぴのすけも、ずっとこのまま一緒にいられるんだから。」

濡れた紫色のまとまった毛束をわしわしなでる。
少年はうっとうしそうに頭を払った。

「おとーさんとおかーさんはお互いの事、愛し合ってるぞ」
「……」
僕が反応に困ってると、少年は僕の頬を軽くつねった。

「ぴのちゃんもヒカリくんも、そうだろ。何が違うんだ」
思わず、深いため息が自分の口から漏れる。

「……怖いんだ」
「怖い?何が」

この百年ほど抱えてきた悩みがあった。

「…僕、ずっと成長しないんだ」
「それが大人の姿なんでしょ?」

首を強く横に振った。
「老いもしないんだ。身体に時間の変化が現れないんだ。
 ぴのすけは違う。彼女は日々変わっている。わかりにくいけど」

紫色の瞳は唖然としていた。

「僕は異質なんだ。彼女とこうして一緒にいるだけでいい。
 それが、いつか来る日まで続けばいい。できるだけ、長く」

「…そっか」

しゅんと下げた白玉のようなぷにぷにの頬を軽くつまんだ。

「…で、旺狐は好きな人いるの?」
「い、いねえよ…」

ははーん。これは黒だ。
今から尋問にかかる。

「さて、誰か吐くまで肩までお湯につかるんだぞ」
「だーかーら!いねえってば!…何だその気持ち悪い目は!」



余談だが、この後旺狐がのぼせて昨狐さんにめっさ怒られた。



「…?」
昨狐さんにこってり叱られ、
とぼとぼと自室に戻ると、いつものぴのすけの影がなかった。
もうかなり遅い時間帯だった。

一応みんなに尋ねたが、誰も彼女を知らなかった。

買い出しにでも行っているのだろうか。
何か足りない緊急を要する食材でもあったのかな…。

深く考えても仕方ない。
明日の仕込みは僕の担当だから、早いところ寝よう…


いつもは温かい冷えた布団に入ると目蓋がすぐに重くなった。





遠くで、狼の遠吠えが聞こえたような気がした。



つづけ