東方幻想明日紀 二十九話 死人は語る

春にも似た柔らかい日差しの中で。
僕は大鍋をゆっくりとかきまぜていた。

「…ぴのすけ、怪我しないでよ」
少女は緩い風に腰マントをたなびかせ、笑顔で頷く。
その手に握られた包丁が、トン、トンと小気味良い音を立てていた。

広場に人が徐々に集まりだしてきた。
女性、男の子、老婆、女性、老爺、老婆、女性。

見る限り人の男女や年齢はこんな感じで、
働けそうな男は神隠しにでもあったかのようにすっぽり抜けていた。
それもこれも、先日のあれのせいだ。
一歩間違えたら、僕も当たり前のように死んでいた。

十数人しか集まっていなかった。
だが今のこの村の人口の半分だった。

そして、数人の女性は悲しみに暮れていた、
子供の表情にも、笑顔はほとんどなかった。

こんな過酷な状況で手記を読み上げるのか紫詠さん…
むしろ僕たちだけに見せた方が良かったと思うんだけど。
僕たちから伸びる影がだんだん短くなってきた。
心なしか、お腹もすいてきたような気さえした。

僕たちが作った鍋で少しでも元気を出してもらえるといいんだけど。


昼を過ぎてほぼ全員が集まったようだった。
大人の男に当たる者は、青年が二人だった。
僕とぴのすけはいそいそと鍋から煮物をよそって、各机に配膳する。

「狐理精の旦那は何を考えているんだい…」
おばさんはふと、虚ろな目でそんな事を呟いた。
同感である。

あの手記には、そんなに有意義な事が書かれているのだろうか。
そんな事を考えていると、紫詠さんが中央の壇の上に上った。

小さな手帳と、拡声器と思しき何かを持って。

「…みなさん、よくお集まりいただきました。
 これからある妖怪の男の日記を読みます。ご静聴願います」

一同が、殺気を抑えた雰囲気になる。
内心穏やかではなかった。
いざとなったら、紫詠さんを守らなくては…
もちろん、ぴのすけが。

「『最近この村の食料が減ってきている。畑にも限りがある。
 近くの林を開拓しようとしても山姥の危険がある。
 そこで私は、ある事を思いついた。人口を減らせばいいのだ』」

のっけから、背筋が凍るような事が紫詠さんの口から飛び出した。
もう、これだけで十分じゃないのか。

「その案を村長に進言した。通らなかった。
 別の方法があるはずだと言い、具体案を出すつもりもない。
 ただ、解決から逃げているあけだった。
 村長は食糧不足の実情を知る由もなかった。
 奴は元から食に困ったことなどないだろう。
 しわ寄せが行くのは、私たち村人だ。無能である。
 ならば、私が取って代わればいい。」

紫詠さんは、無表情で一呼吸を入れた。
その場が水を打ったように静まりかえっていた。

「『だが、私が村長を直接殺す訳にはいかない。
 村長を殺すのは赤子の手を捻るよりたやすいが、
 その形で私が支配すると、目指す平和な村にはならない。
 どうすればいいか私は悩んだ。
 悩んだ末に、山姥を利用して殺す事に決めた。』」

既に狂気の沙汰だった。
平和な村の定義を見失いそうだった。

紫詠さんは、まだ続ける。

「『山姥の戦闘能力は未知数だが、
 まだ誰も捕獲や殺害に成功していないところから鑑みるに
 私と互角か、それ以上になるだろう。
 奴は最近は一週間に一度ほどの頻度で襲ってくる。明後日だ。
 人の多い場所にやってくる習性があるので
 その日に村長の家で宴会を開催させることにした』」

中々に狡猾な人物だった。
そして、恐ろしく強い者であるように感じた。
こんな人が村長だという事にどうして気付かなかったのだろうか。

「『結果として目論見は大成功だった。
 予想通り山姥が現れ、その場にいた全員を捕食していった。
 ただ、奴は子供を襲わない性質だったので村長の娘とはいえ、
 生身の少女に手をかけるのは少々気が引けた。
 だが、これは村の平和のための小さな犠牲にすぎない。
 その娘は村の平和に貢献したのだ』」

紫詠さんの声は、打ち震えていた。
胸がきつく締まりそうな、煮えたぎりそうな怒りを僕も感じていた。
村長の娘というのは、勿論沙代ちゃんのことだった。

彼女と暗闇で出会ったとき、
身体の数か所に致命傷ではないが深い傷がいくつか刻まれていた。

「『そして私は目出度く村長に就任することとなった。
 今思えば、これが一番正しい形であったはずなのだ。
 これで山姥を利用して次々に人口を減らしていけばいい。
 一つ意外だったのが、山姥の姿は老女ではなく少女であった事だ。
 そして、表情が少しだけ存在していた。感情があるらしい。
 人間から見ると異様であろう脚力と腕力は噂の限りだった。
 年を取っていないのか、それとも何代もいて若いのか。
 あの扇情的な姿であのような事をしているのはそそられた。
 彼女こそ、私にふさわしいのだと思った。』」

あまりにも清々しい下衆っぷりだった。
目の前の少女は、自分の事とわかっていないらしく平然としていた。
一歩間違えば、ぴのすけは…

「『しかし誤算があった。
 村長の娘が生きていた。
 最近村にやってきた兎の帽子を被った弱気な少年と働いていた。
 奴と、二人で一緒に働いていたのだ。私は許せなかった。
 狐理精は私の計画を知っている可能性があった。
 それもまた許しがたい事だった。
 このままでは村の人口を減らす事が出来ない。
 記憶は一応ある程度は飛ばしておいたが、思い出す可能性がある
 その娘にばらされて、計画が台無しになる可能性さえあった。』」

「『数年経ったある日のことだった。
 私は少年の帽子を村長の娘が被っている事に気がついた。
 それを利用して村長の娘を殺害させようとした。
 少年を尾行して山姥の巣穴を突き止めることに成功した。
 山姥と少年は深い仲になっていた。それは道理に反している。
 あの少年は山姥にふさわしくない。だが今は焦らなくていい。
 私は山姥に少年の被っていない帽子について吹きこんだ。
 期待通り、山姥は村長の娘を葬ってくれた。
 これで、少年と山姥の間に亀裂が入り、証拠も隠滅できた。
 やっとすべてが思い通りになると思っていた』」

ふいに、ぴのすけが僕の腕を抱えこんできた。
ぶるぶるとした震えが伝わってきた。
僕はそっと身を寄せて。大丈夫、って小さな彼女の背中をさすった。

「『だが山姥は狐理精によって懐柔させられていた。
 おまけに、少年と和解さえしていた。
 山姥としてではなく、普通の少女として。
 私が告発したところで、誰も山姥と信じまい。
 誰も正確な姿を知らないのだから。
 完全に打つ手がないかと思えた。
 だが、最後の機会が私に飛び込んできた。
 ある日、未練を抱いていた村長の娘の亡霊と出会った。
 そして、その横に夢魔の少女がいた。
 夢魔に感情を固めさせ魂を、私は水を固め肉体を作った。
 村人は山姥がまだ存在すると思っている。
 そして、村人は山姥の正確な姿を知らない。
 亡霊を山姥に仕立て上げることは、たやすいことだった。
 私は山姥討伐の大義名分で、村の男を殺す計画を立てた』」


紫詠さんが、手帳をゆっくりと閉じた。

静かな広場に手帳を閉じる音が響く。
照りつける太陽が、陰った。

紫詠さんが、軽く肩を上下させた。

「…この日記はここで終わりです。僕は彼を阻止できませんでした。
 残念ながら僕の力は彼よりも大きく劣っています。
 だ動乱の隙を突くことでしか彼を止める事ができませんでした。
 ですが、大きく貢献した方がいます。」

紫詠さんは壇からダンと降り、ゆっくりとこちらに近寄る。

そして、ぴのすけの手を取った。

「彼女は、山姥でした。
 だけど今は改心して僕のお店で働いています。
 彼女が僕と一緒に村長を追いこんでくれた。
 彼女がいなければ村長を止める事ができませんでした。
 結果として、こんなにも被害が出てしまいました。
 …が、最悪の事態だけは避ける事が出来ました。」

迷い、困惑。
絶望、小さな安堵。
村の人の顔は、そんな複雑な思いに染まっていた。

紫詠さんが、彼女の正体を

…その時だった。


一人の老婆が立ち上がり、紫詠さんに近寄り、胸倉をつかんだ。

「ふざけんじゃないわよ…!!あだしらが、
 あだしらがどれだけこの小娘、いや山姥に゛…
 苦しめられだと思っているんだい…!
 この…畜生ぁ…、どうやって自分の罪を償うんだい…ええ!?」

その表情は鬼気迫っていた。
殺されかけている鶏にも似た目だった。

「…彼女は生きて、これから村の発展に尽力します。
 きっと、精一杯働いてくれると思います。
 彼女自身、自分のした事をわかるようになってきました。」

老婆はしばらく紫詠さんを睨みながら見ていた。
「…はっ!」
そして舌打ちをしてぴのすけの足を踏みつけ、その場から走り去った。

紫詠さんは小さくため息をついて、ぐるりと周りを見渡す。

「…みなさん、山姥も、悪政ももう存在しないのです。
 生き残った人でこの村を再興させていきましょう!
 …きっと時間はかかります。ですが諦めてはいけません。」

それだけ魂を込めて言うと、紫詠さんがぺこりと背中を折った。


村人たちは生気のない顔を見合わせた。

少しの間があった。

まばらな、力のない拍手が聞こえてきた。







集会が終わって、鍋を片付ける途中だった。
紫詠さんが、ふと耳打ちしてきた。

「僕と昨狐は、この村を出て引っ越す予定です」
「えっ…!?」

頭の中が真っ白になった。
だって…
「安心してください、村が完全に復興したらです。
 前よりもずっとです。それまではここにいますよ。
 お別れになる心の準備だけしておいてくださいね」

理由は尋ねなかった。
…彼に言われた事実だけが僕の胸を内側から引き裂きそうだった。


「…なーに泣いてるんですか。ずっと先の話ですよ。」
「うん…」
優しい手が、頭をわしわしとなでた。





僕は知っていた。



そのずっと先までの時間は、きっと一瞬の事として過ぎるだろう。





つづけ