東方幻想明日紀 二十七話 異変の元の元

先の見えない林道の暗闇の中で、手探りで彼女の手を捜す。
水の激しく流れる音が遠くでした。


…川の水が戻ったのだ。
沙代ちゃんの身体は、水で出来ていたのだ。
彼女が未練を晴らしたところ、あの雪もどきが全て水に戻った。

村は、水不足から救われた。
明日からまた元の毎日に戻っていくのだろう。

全て円く収まったかのように見えた。


「…ぴのすけ、いる?」
耐えきれずに、虚空に小さく問いかける。

「うん」
声はすぐそばからした。
声の方向に反射で手を伸ばすと、柔らかい冷たい手が触れた。
そっと握りこむと、その手は力を緩めた。

ほっとした。
暗闇が晴れていくような気さえした。

「…ヒカリ、帰ろう?」
でも、その声に応える気はない。

「まだ、解決してない。」
「したよ。川の水がこれで戻ったんだよ?」
確かに、川の水は戻った。
沙代ちゃんも恐らく成仏した。

でも、どうしても腑に落ちない点がある。

何かがあるような気がしてならないのだ。
どうして働き手である男たちが、
こんなに死ななくてはならなかったのか。

恐らく働ける男の半分は村からいなくなっただろう。
調査隊の生存者を捜すのは馬鹿馬鹿しいほど絶望的だ。

不審な点はまだある。
何が沙代ちゃんをあんな姿にしてまで大量殺人に踏み切らせたのか。
僕やぴのすけではなく、無関係に。

一番の疑問点は「彼女が川を枯らしたこと」だ。

要するに村を壊滅させようとしていた訳だ。
この村に絶望した可能性もある。
どう考えても裏で糸を引いている何かがいるような気がして。


…ひとつ、頭によぎった言葉があった。
命を散らしたセザは、村長を殺せと必死に訴えていた。

ほぼ全員が山姥を殺せという中、たった一人で。

そして何よりも、
村長の付きの者はとり憑かれたように山姥が犯人と言っていた。

疑ってみる価値はありそうだ。

「…僕は村長を捜す。ぴのすけはどうする?」

動揺した空気が、黒い幕を通して伝わってくる。
「そんなこと、訊かないでよもう…」

決まりだった。
ただ、一応ぴのすけにはまだ敵と決まった訳じゃないと。
そう釘を刺しておかないと、出会い頭に村長が絶命する。

「じゃあ、捜し…」
「その必要はないですよ。」

聞き覚えのある声と同時に、後ろでぼんやりとした明かりの気配。


振り返り、顔を上に上げると優しそうな眼鏡の青年がいた。
黒い髪、青い質感のある毛に包まれた狐の耳尻尾。

人が入れそうなほど大きな大きな壺が、脇にあった。

「…この中に村長を封印しました。」
「まってください。何してんですかあんた。」

紫詠さんが、壺をペチンと叩いて笑顔で言う。
行動が早すぎてもう何も言えない。

「どうして壺なんかに…待って待ってぴのすけ!降ろして!」

ぴのすけが音の速さでその壺を頭の上に持ち上げ、
地面に叩き付けようとしていた。

声をかける頃には既に投擲モーションに入っていた。恐ろしい。

「村長が何をしたって言うんですか…」
さっきまで自分も元凶の最有力候補だと疑っていた事を呑み込む。

「そうですね…
目論見はわかりませんが、沙代ちゃんを利用して川の水を枯らしました。
それだけで万死に値すると思いませんか?そうですよねそうですよね。
奇遇ですね、僕もそう思いますよ。ぴのすけさん、やっておしまい」
「あいあいさー!」

「だから!待ってってば!」
僕が怒鳴りつけると、二人は口をつぐんだ。

「いくら悪い人でも…殺すのは駄目だと…思う。」
それだけ喉からしぼりだした、その瞬間だった。

小さい風切り音と同時に、
隣の壺が耳を割るような音と一緒に粉々に吹っ飛んだ。


「なっ…!?」

理解しがたい出来事を目の前に頭が真っ白になった。
ずいと大きな影が、僕の前に立ちはだかった。

「…いいですか。
 己の道理を通すのならそれに見合う行動をしてください。
 あなたは幾度罪無き者の死を黙殺してきたのですか?」

いつもの紫詠さんの朗らかな雰囲気はどこかに消えていた。
底冷えのするような恐怖に、上から押さえつけられていた。
呼吸の一つすら満足に出来なかった。

「驚かせてすみません。
 でも、彼をこのまま生かしておいたらいずれ大変な事になります。」

いつもの笑顔に戻って、紫詠さんは言う。
どう考えても紫詠さんは知っているようだった。
本当は村長がどういった意図であれを引き起こしたのだってわかっているのだろう。
もしそうだとしたら、僕に隠す理由がよくわからないのだけど。

…紫詠さんは、わからないことだらけだ。

「紫詠さん、ところでどうしてあの日、ぴのすけにみすみす襲われたのですか?」
「…?」

眼鏡の青年は、心の底から疑問符を浮かべてるようだった。
質問の意味さえ把握してないかのようだった。
実は嘘が得意なのかもしれないが、僕の目にはそうは見えない。
何よりも、紫詠さんの事だから。

こんなにも、温かい人なのだから。
冷酷な面を垣間見る事になったけれど、より人間らしいと思った。

冷たい面もあるから、より温かいのだと。

「わからないのですか?初めて出会ったときですよ?」
「ああ、すみません。その時の僕の記憶と今の僕の記憶は共有できてないのです。」

今度は、こちらが訳が分らなかった。
えっと…二重人格?

「わかりづらかったですね。耳尻尾が生えているときは僕は記憶が別にあるのです。
 つまり、普通に生きている僕の記憶は、今僕にはありません。逆もまた然りです。
 二つの記憶は昨狐がそれぞれの僕に話すことで、彼女の知る範囲で共有できるのです。」

なるほど…そういう事か。
つまり、今日起こった出来事を明日訊いても彼は覚えていないのか。
もしかしたら、冷酷な人格は耳尻尾紫詠さんの中にだけ存在しているのかもしれない。

「…紫詠さん、すごいね…」
「うん。すごいけどぴのすけ、君もどうした。」
彼女は物凄く賢いのかもしれない。
新しい事を子供のようにすいすい吸収していく。
そんな彼女に対して、嬉しくも寂しくもあった。

「…さあ、帰りましょうか。」
紫詠さんのそんな提案に、僕とぴのすけは大きく頷いた。



…帰り道だった。
突然、僕は暗い道を踏み外した。
足場を奪われた。

目の前の二人が一瞬で消えた。

暗い世界が、ホワイトアウトした。


つづけ