東方幻想明日紀 二十五話 暗い林の一つの絶影

松明を片手に、僕と壮年の男、セザは暗い林を突き進んでいた。
手元の亡とした明かりは、よりその不気味さを加速させる。
「行くあてはあるのですか。」

僕は男の大きな背中に問いかける。
男は振り向くと、小さくうなずいた。

僕はセザという男を信用したわけではない。
どういう思考回路であの考察が生まれたのかは分からないが、
僕と似たものを感じただけだ。

言っている事の一部は的外れなので、全面信用は当然しない。

そもそも彼はぴのすけの敵だ。
だから、僕の敵だ。

やがて、追いかけていた大きな背中がぴたりと足をとめた。
そして、太いしっかりとした手は木の棒を握っていた。

「ああ、松明が切れたんですね、これを追いかければ…」
「違う。これはまだ使えるから誰かが捨てたんだろうな。」

確かに男が手にした木の棒はまだ布の色が完全に変わっていた訳ではなかった。
「第二部隊だ、間違いない…そして、このあたりにいたのは間違いないな。」

セザは髭をさすってつぶやく。
…なかなかの切れ者だ。

「いた」とは恐らく僕の考えが正しければ「もう一人の山姥」である。

「つまり、はぐれたのを襲われた…と。
 逃げるために男はそれを捨てざるを得なかった。
 そうでなきゃ、落ちているのが使える松明一つだけなはずがない。」

僕がそれだけ言うと、男は少し不審そうな顔で僕を見下ろした。

彼とは背丈が随分違う。
僕の目の高さは、彼の鳩尾ほどだ。
彼の腰が、僕の肩と同じ高さだ。
僕が低いのは、言うまでもなかった。
成長していないのだ。

「…お前は何者だ?どう考えても人間ではない」
「…。」

人間だとは自分で思っているが、いくらなんでも不自然な事はわかっていた。
だが、考えても無駄な事だ。

「ヒカリと言ったな。お前の正体はどうでもいい。
 だが少しの間は、私に協力してくれ。
 その代わり、この動乱が終わったら俺でよければ何か協力してやろう」

僕は視線を上から下に送った。


しばし歩くと、途端につんと鼻を付く嫌な匂いがした。
よく知っている、このにおい。
ぴのすけと一緒にいた時に、嫌というほど嗅がされた匂い。

「…ここでやられたようだな。」
二人でしゃがみこんで、その身体だったものを見る。
既に肉体は、ものになっていた。

ぴくりとも動かない。
いかにも、この林と同様に静かであった。

腹部に深い深い切り傷というより、刀傷があった。
さっきの松明の者だろうか。

敵は刀を持っているようだ。
「…この村で刀を持っているのは、私と村長と紫詠くらいのものだ。
 間違いなく、村長が事に加担しているな…。」

僕が視線を上げると、セザは僕の疑問を察したかのように笑う。
「ああ、私か。私は遠くの村から用心棒として雇われたんだ。
 かなり長い間いるがな…他にもそういう奴はいる。 
 中には、不思議な力を持つ奴もいるそうだがな…私はただの人間だ。」

男は髭をひっぱり、立ち上がった。

「…お前は、死体を見慣れているようだな。」
予想だにしない事を言われ、身体が小さく震えた。
男は軽く笑って、また歩き出した。

僕は身体を縮込めながら、そろそろついていく。

草をかき分けていく。
傾斜がはっきりとし、残雪が見えてきた。
「…腕に自信はあるか。」
セザは、野太い声で僕に顔を向けずに問いかけた。

「今すぐに帰れ。」
首を横に振ろうとした瞬間に、男は声色を変えて言った。
いや、訴えかけてきたと言った方が正しい。

状況を呑み込めずにいると、頭に硬い手が置かれた。
「先ほどから松明の明かりが一向に見えない。
 …大して変わらない速度で上流を目指しているのに、だ。
 道も決まっている。いいか、これ以上言わせるな。」

…ぞくりとした。
すなわち、全滅した可能性が高いという事を意味していた。


その時だった。

「私は村長の首を撥ねな…」


ピッという、小さい音。
男の声は、途中で切れた。

険しい顔は、肩より下とずれる。
松明の円い灯りは、すっと下がった。

鈍い音。
男は、残雪に赤い花を咲かせて沈んだ。


あっという間のできごと。

頬には、生温かい感触があった。

ただ呆然と見つめていた。


ふと眼をやると水に蝋燭船を浮かべたように、一つの姿が少し遠くに映っていた。

白い着物を着ていて、美しいほどの長い黒髪を束ねていた。
目測、背丈は僕より頭二つ分大きかった。

白く淡く縁取られたかのように、背の高いそんな女の姿があった。

その女は、僕の背丈と変わらぬ刀を差していた。
真っ白な円い板のような、穴の開いていない奇異な仮面をつけていた。


どうやら僕はへたりこんでいたらしい。
僕が座っているのは空気か、それとも地面かすらわからない。



つづけ