東方幻想明日紀 二十三話 疑心暗鬼は八方を囲む墻壁

ぴのすけの顔に、もやがかかっていた。
ずっとだ。あれから、ずっと。

あの雪はなんなのだろうか。自分なりに考えた。
考えに考え抜いた。
これは雪じゃあない。
どんなに考えても、それしかわからない。


食後、ぴのすけと一緒に彼の部屋を尋ねる事にした。
緊張の面持ちで、ドアを叩く。

少しすると、黒髪の眼鏡の青年が顔をのぞかせた。
そして、優しく口角を上げる。

「…現物を見せないと、信じるのが難しいものですが」
「それを埋めるのが信頼ですよ、ヒカリくん」
彼に雪の話を説明すると、さらりと紫詠さんが言う。
普通の人が言うと気障ったらしい、こういうセリフがよく似合う。

知識人らしい風貌と雰囲気がきっとそうさせるのだろう。

「じゃあ、雪じゃないとしたらそれは何だと思いますか?」
「……あ。川の水…?」

蒸発してしまったのだろうか。
それならば、懐が湿ってもいいはずなのだけど…
そもそも水を固形にするならばやはり雪になるはずだ。

ますますわからない。

「ねえ、紫詠さん」
「ん?」

ぴのすけがかしこまった様子で手を挙げる。
「変わった女の子に出会ったんだけど知ってる?緑色の髪の…」

そうだ、あの妙な女の子にまた出会ったのだ。
彼女は初対面なのだろうが、僕と紫詠さんは既に会っている。

「そうですよ!あの女の子にまた会ったんですよ!
 変わった髪飾りをしている小さくて無口の!」

思わず割り込んでしまったが、どうしても伝えたい事だった。
彼女がもしかしたら、今回の騒乱に関わっているかもしれない。

「うーん、名前は聞いていますか?」
名前…確か。

「ヰ哉 彼我。聞いたことありますか?」
紫詠さんは首を軽くひねり、そのまま傾けた。

彼が知らないという事は、誰一人彼女を知らない可能性が高い。
とすると村人ではないな…。

仮定だらけになるけれど、仮に彼女が犯人だとする。
そして、あの川の水を全てあのような形で固化させたとする。

…じゃあ、その目的は?

手段なんてどうだっていい。
目的と犯人さえ分かればいいのだから。

彼女が犯人としたら、そこがどうにもつながらない。

…そういえば、あの花を摘み取っていた。
ぴのすけと面識がないにも関わらず、彼女のためと言っていたな。
怪しい。

じゃあ、あの花は何のために?
よくよく考えを巡らすと、答えはすぐに出てきた。
あの花にはぴのすけの寂しさを主とした感情が入り込んでいるとのことだ。
…だとしたらそれを何に使う?彼女を守るため?

違う。私用に決まっている。

人は一度誰かを疑い出すととことん疑心暗鬼になるらしい。
「…犯人がわかりました。その女の子が恐らく犯人でしょう。」
「随分と性急ですね。本当にそう思いましたか?」

僕は小さく息を吸った。

「はい。間違いありません」

紫詠さんはふうとため息をつく。
その突き放すような冷え込んだ眼差しが、僕に何かを察させた。

僕はぴのすけの手を引っぱり上げた。

「部屋に戻ろう。」
ぴのすけは無表情で、小さくうなずく。


部屋に戻って、二人分の布団を敷く。
その布団に横になって、ぼんやりと考えた。

わかった事が一つある。
紫詠さんは、どういった意図か僕に協力する気はない。
二人の力で解決しろ、とばかりである。
店を閉めて手伝おうともしない。アドバイスもまともにくれない。
おまけに、自分は恐らくある程度の事をわかっている。

…憶測にすぎないが、僕たちを許していないのではないだろうか。
彼は善人だが、それゆえにきっと無意識のうちに。
僕とぴのすけは、まごう事なく紫詠さんの娘を殺した。

…頭痛がしてきた。

こうなったら僕とぴのすけで解決して、
少しでも彼の信頼を取り戻さなくてはならない。

ふと、鼻水をすすりあげる音がした。

「…ぴのすけ?」
わけがわからなかった。でも、身体は既に彼女のところにずり動かしていた。

無垢な毛におおわれた頭をそっとなでると、
ふわふわした癖のある毛が、手に柔らかな反発を残す。

顔を上げて、僕の胸に白い頭を押し当てる。
ぴのすけのにおいだった。
「…ヒカリは、いつか私の事を忘れちゃうんだよね…」

自分の耳が信じられなかった。
自分の頭に確証が持てなかった。
固唾をのみこんで、僕は込み上げる気持ちを踏みつぶす。

「そんなことあるもんか」
「…ぜったい、そうだもん。」

ぴのすけは僕が言い終えるのと同時に言葉を重ねた。
いくらなんでも言っていい事と悪い事がある。
たとえ、僕がかつて知っていた大切な誰かを忘れていたとしても。

お前だけは、絶対に忘れるもんか。

「…だって、私はお前よりずっとずっと早く死んじゃうから…。」

「なんでそんなでたらめをっ…」
「でたらめじゃないもん。私にはわかる。」

「…。」
気が遠くなりそうだった。
彼女の目を見ると、もう何も言えなかった。
強く強く黒い瞳は氾濫していた。

でたらめなんかじゃない。
根拠を尋ねても、どうせ答えやしない。
彼女が知っていても、知らなくても。

「…おばさんに、そう言われたのか?」

ぴのすけは、より一層僕の胸に顔を強く押しあてた。


彼女が僕の中で寝息を立てるのに、そう時間はかからなかった。
だけどその綺麗な頬には、涙の跡がくっきり、くっきり残っていた。


彼女の味方は、僕しかいないような気がした。
黒いような色の世界が、僕とぴのすけを取り囲んでいる。

そんな気さえした。


「くそっ…」


僕は涙に濡れた小さな袖を強く握りこんだ。


つづけ