東方幻想明日紀 二十話 川を枯らした犯人はいずこ

水源の生命線とも言える川が、枯れた。溜池の水は、一週間分。
そんな気味の悪い出来事が、この小さな村で起こっていた。

「…おかしい。」
「何が?」

紫詠さんの家を出て、しばらく。
あの川へ向かう道中の半分も来ぬままに呟く。
横の少女は、首をかしげた。

「こんなに大きな異常事態、四人で解決にあたればいいのに…
 僕とぴのすけだけに解決を任せるだなんて、おかしい。」
「お店が忙しいんでしょ?仕方ないよ。」
僕の言葉に咄嗟に切って返すぴのすけが何とも薄気味悪かった。が。

「皆が死ぬかもしれないこんな一大事に、営業を優先するかな…」
生活に困窮しているはずもないし、
仕事熱心とはいえそんな出来事を放置するほど薄情ではない。
彼は少々ずれてるけど、人間味があって良識人だ。

「でもほら、穀潰しが二人も増えちゃえば大変になるじゃん。」
「どこで覚えたんだよそんな言葉…」
それに僕たちはきちんと働いているはずだから穀潰しではない。はず。
そりゃまあ、ぴのすけは皿を毎日のように割るし
僕はしばしば皿を割るからあれだけど。
一生懸命働いているからプラスにはなってるんじゃないかな多分。

「でもやっぱり、何かおかしいんだよね…
 そもそも紫詠さんや昨狐さんがいてくれた方が心強いのに。」

ふと呟いて、口を押さえたくなった。
別にぴのすけを信用していない訳じゃない。
そう弁明しようと口を開いた瞬間だった。

「大丈夫、私とヒカリが一緒なら無敵だから!」
少女の口元は、自信ありげに伸びていた。

彼女は、そういう奴だ。

「それもそうだね。」
いつもいつも、そうだ。
僕の叢雲を否応なしに全部払ってくれるんだ。




「…ところでさ、最近そなとはどんな感じなの?」

ひたすら歩く僕の背中に投げられた、その言葉。
僕は頭に手をやって、記憶の奥底をひっくり返す。
口を開くまでしばらくの間があった。

「…そな?誰だよ。」
やっとの思いで、それだけ問い直す。
ぴのすけは、はたと足を止める。

「えっ…そなだよ?お前の友達だよ!」
ぴのすけは珍しくも少し声を荒げ、僕に射すように言い放つ。
しかし、記憶をいくら辿っても、そんな人物は出てこない。
僕の知っている友達は、紫詠さんとぴのすけだけだ。

「…ごめん、特徴は?」
時間をおくほどにぴのすけの表情が暗くなっていくので、たまらず尋ねた。
友達の特徴を、他人に訊くという異常な出来事。

「…わかんない。特徴、言わなかったもん。」
わかんないことってあるのかと、
そっくりそのまま自分に返ってきそうな言葉を飲み込む。
「言わなかったの?僕。」

「うん、だってお前にしか見えないらしいから…私は声も聞こえない。
 それに、ヒカリの中にいつもいるって…寂しいとき、紛らわしてくれるって。」

「なにそれ、気持ち悪……ぴのすけ?」
ぴのすけは凍りついたまま、僕の辺りを焦点の失った目で眺めた。
唇がふるふると震えていた。

…はっとした。
もしもそれが本当だとしたら、いや、間違いなく本当の事だ。

今の僕の中には無いだけで、以前の僕にはあったのだろう。
だとしたら、ぴのすけは僕に言い知れぬ恐怖を抱えている。
今彼女に近寄ったら、きっと逃げられる。
衝動を抑えて、僕は深呼吸をする。

怖くは…ない。
僕自身は、なにも。
最初からいなかったとさえ思える。
気持ち悪いと思ったのは、
そんな者がいると思っていた以前の自分自身にだ。

「…ねえ。」
「何。」

ぴのすけは、震える声で地面に言葉を投げる。
「本当に、何も…覚えていないの?友達…なのに?」
「…。」

僕は薄情なのだろう。
かつていた友達を「なかったこと」にしているのだから。
存在ごと、全部。
現に、僕の中にそなという誰かはいない。僕は、僕だ。

今僕は、彼女にどう思われているのだろうか。
最低だと。澆薄だと。冷淡だと。

「…ヒカリ、お願いがあるの。」
ふと少女を見ると、いつもの半笑が消えていた。
真剣なまなざしで、僕を見据える。

僕は、機械のように頭を下げて、戻した。
喉から、固物を通す音が聞こえる。
怖い。

何を言われるのかを考えると、言い知れぬ恐怖が上がってくる。
戦々恐々で、その言葉の続きを待つ。
「…やっぱり、後ででいい?」

一瞬面喰らった。
作り笑いを浮かべたぴのすけは、疲れている表情だった。

…こんなに一緒にいるんだ。
抱えている不安は、大体わかっている。
今はその事に触れないでいよう。

わかったと答える代りに、僕は穏やかな笑みを送ってみせた。
少女の浮かない顔は、そのままに。


「さあ、現場検証だ。」
「?」

あの枯れた川の下流に辿りつく。
川底は完全に乾き、湿った泥の色も薄くなりかけていた。

ここに来ると、あの時の事を思い出す。

僕がこの川で溺れていた所を、ぴのすけが救ってくれた。
まだ殺人鬼だった頃のぴのすけと、ふたりきり。
僕はこの下流の村の殺人鬼として、生きていく事になったんだ。
自主的には人を殺めたりしなかったけれど、
彼女の行動を黙認していたから一緒だ。
盗みだってした。生活のためと大義名分をかかげ、悪いことだってわかっていながら。
ある意味、彼女より悪質かもしれない。

ぴのすけは、まだ悪い事といい事の区別がついていない。
彼女は僕が殺しちゃいけないと言っているから、人を殺さない。
ただ抑えつけられているだけ。
彼女は幸せそうにはしているが、
ああ見えてかなりフラストレーションが溜まっている。
要は長年の習慣を失って、欲求不満になっているはずだ。

もしも僕を助けたのがぴのすけじゃなかったら…
今、こうして一緒にいられただろうか。
何度も何度も、可愛らしい綻んだ顔を眺める事が出来ただろうか。

犠牲だってあった。
しかも、一方的だ。

考えるだけで吐き気がしてくる。
自分への叱責が、喉笛を革紐で締めるような痛みを。
沙代ちゃんを殺したのは、僕自身だ。

ぴのすけじゃない。
僕が…

「…ヒカリ?」
視界は、広がるぼやけた乾いた茶色。
僕は頭を抱えてうずくまっていたらしい。

「…うん、平気。」
「ならいいんだけど…。」
「それよりも、ほら。原因を捜そう。」
ぴのすけの心配を振り切るように、僕は上流を指さした。
彼女は軽く頷くと、僕の後ろについて歩いた。

ひたすら、二人で上流に向かって歩いていく。
斜面が険しくなって、地に残る残雪が濃くなっていく。
景色もだんだんと殺風景になる。

…僕たちが生活していた洞穴のあたりに差し掛かった。

何も変わっていない、堂々と構える大穴がそこに。
もうそこに棲むべきではないのに、心はあの洞穴を求めている。
堂々と構えるその薄明るい大穴は、懐かしい気分を喚起する。

「ねえ、ぴのす…」
入ってみようかという提案を持ちかけようとしたら、忽然と少女は姿を消していた。
辺りを見回すと、遠くの枯れ木の間に雪のように白い腰マントが揺らめくのを見出す。

今は何があるか分からない。
見失ったら、最期かもしれない。
彼女を追いかけて、浅い雪の中に足を踏み入れる。

彼女は既に見えなくなっていたが、足跡はその先を如実に語る。
…ぴのすけの「友達」の許だ。

足跡の先を必死に追いかける。
視界がぱっと開けた。

…見えたのは、静かに肩を震わせて雪に立つ小柄な少女の後ろ姿。

ぴのすけの頭の向こう側、自分より大きな白い花を抱えた深い緑色の髪の少女。
間違うはずがない。


…溜池で出会ったさっきの少女だ。
ぴのすけの初めての友達を、摘み取っていた。


つづけ