東方幻想明日紀 十八話 真夜中に見た白昼夢

「えー皆よく集まってくれた!恒例の酒宴を始めようではないか!」

村の広場。
大きな木の机に、沢山の豪華な料理。
それを囲むようにして、それぞれが座る。
広場全体に五つほどの机。一つの机には20人ほどがいた。
村長さんの管楽器のような野太い声で、酒宴が始まる。

「さあ、遠慮せずにどうぞ。」
紫詠さんが、料理に手の先を向けて僕たちに促す。
ぴのすけは、落ち着きなくきょろきょろ辺りを見回していた。
僕も、不安と期待が入り混じる複雑な気分だ。

小さくため息をついて、僕がぴのすけに軽く笑いかける。
「さ、食べよう?」
ぴのすけは、強張った顔で頷く。

大皿から、小皿に肉や魚をよそって、ぴのすけに渡した。
少しだけ躊躇して、ぴのすけは肉に手を出して、歯を立てる。

「…あれ、イモ坊やじゃないか。宴会で会うのは初めてだねえ。」
「あ、こんばんはー。そうなんですよ。初めて参加したんですよ。」

僕に突然話しかけてきたのは、野菜売りのおじちゃんだった。
顔が仄赤く、既に酔いが回…早くない?
宴会はさっき始まったばかりなんだけど。

「何でもう酔っぱらってるんですか?」
「いやあ〜、いい質問だねイモ坊。俺あ、そういう妖怪なんだよ。」
いや、どういう妖怪だよ。
酔いが回るのが早い妖怪?いや、まさかねー。

まあ、そんな事は些細な事だ。
「妖怪だったんですね…」
「なんだ、妖怪に悪い印象でも持ってるんかい?」

…野菜売りのおじちゃんが、あやふやな滑舌で発したその言葉。
それは、僕のセリフであるはずだったのに。
妖怪という存在が、この村には深く浸透していた。

「…そういう訳じゃないですけど。」
「まあ、中には悪い奴もいるさ。特に山姥とかな。アイツぁ、別だ。
 まかり間違ってもあんな糞野郎と一緒にされたかぁないな。」

「ふざッ…」
おじちゃんが朗らかに言うその言葉に対して
汚い言葉を僕は間一髪で飲み込んだ。
はらわたが煮えくりかえるような怒りと一緒に。
でも表情は、隠せなかった。
「まあ、若いお前さんにはわからないさ。」
「…。」
おじちゃんの顔から、ふと笑顔が消える。
僕は思わず息をするのも忘れて、その顔をじっと見入った。

「奴におふくろが殺されたんだ。…俺が小せえ頃にな。」

その目には、小さな赤々とした炎が点っていた。
静かな静かな、勢いを殺した消えない炎だった。
「暗い月夜、誰かが入ってきたんだ。突然、おふくろが短い声をあげた。
 俺は何が何だか分からなかったが、駆け寄ったら、もうおふくろは動かなかった。
 家から出ていく月明かりに映ったのは、長い白い髪の背の低い女だった。」

彼の口元から、ぎしぎしと嫌な音がする。
彼は普段温厚なだけに、僕は何も言う事が出来なかった。
それどころか、胸が苦しくなってきた。
僕の事を言われているかのように。

「…そうだな。お前さんの隣でがっつり食べているあの女の子か。
 あんな感じの白い髪だったな。まああの女の子は山姥と違って無邪気で可愛いがな。」

少しだけ、おじさんの眉間の深いしわが浅くなる。
顔を上げることすらままならず、僕はぴのすけに視線を送る。

「「…!」」
…目が合った。

「これおいしいよ。ヒカリも食べようよ!」
ぴのすけはすぐにわざとらしく首を傾けて、僕に食べ物をよそった。
聞いていたんだ…この話。
「うん。ありがとうね。」
僕はその皿を受け取って、忘れるがごとく食べ物を掻きこむ。
お互いに知らぬふり。
僕もぴのすけも、それしかできなかったのだろう。

不意に、おじちゃんが僕の両肩に手を置いた。
「ま、何だ。大切な人を失ってからじゃ遅い。
 お前さんたちは仲よくしとけよって話だ。
 いいか、男っつうもんは女を守るためにいるんだからなあ。」

僕は小さくうなずいた。
真剣な目に、僕は小さく視線の先を外した。
…僕は、ぴのすけを守れるだろうか。

食べ終えてため息をつき、ふと見回すと紫詠さんがいない。
ぴのすけのなで肩をつついて尋ねると、広場の中心の台の上を指さした。
そこには、紫詠さんの姿があった。

「…何をするんだろう。」
「さあ?」

そのかすかな疑問は、すぐに氷解した。
紫詠さんが、漏斗のような形の拡声器(?)を口許にあてて。

「狐理精 紫詠、今から歌います!」

むせた。

あの人多才すぎると思います。しかも酔っている様子はない。

少しの間をおいて紫詠さんが歌いだした。
うまいとか、へたとか、そういう事を言うのは野暮だ。
楽しんでいれば、それでいい。

強いて歌声を評するなら、シェイアンとでも言っておこうか。

演歌だろうか、それともポップスのような違う歌なのだろうか。
最早本人に尋ねるしか確認する術がないだろう。
さすがにエクストラトーンではないような気もするが、自信がない。

紫詠さんが歌い終わり、清々しい顔で戻ってきた。
「おつかれさまです。」

きっと、疲れ切った笑顔になっていたが、紫詠さんをねぎらった。
「ありがとうございます。どうでしたか?」
「凄く印象的でしたね。」
「本当ですか!?」

うん、本当だよ。
「ぴのすけさんはどう思いましたか?」
「…えっとー、あー…ごめんね。」

ぴのすけが成長している…気を使えるようになってる。
だが意味がない。
「さて…飲みますかね。」
やばい。紫詠さんが死にそうだ止めなくては。

「僕も一緒に飲みます!!」
…正直、お酒は飲んだ事がないから怖かったが、興味があったのと、
あの件の事で、紫詠さんに負い目があることで。
少しでも、罪滅ぼしして仲良くしたいという妙な焦りがこんな後先考えぬ言を生んだ。

紫詠さんの隣に座って、杯に酒を注ぐ。
彼は受け取ると、一気にそれを傾けた。
喉が一瞬動いて、また戻る。

…息をのむようにその様子を見つめていると、紫詠さんが僕の杯に酒を注ぐ。
僕は固唾をのんで、覚悟を決めた。

口をつけて、そっと傾けると温かなわずかにとろみのある液が喉を伝う。
独特のにおいが鼻をついて、それだけで気分が変わってしまいそうだった。
喉の奥が温まって、それがお腹へと移動していく。

どのくらい飲んだのか、杯を置くと、少しだけ視界が傾く。
身体が、熱い。

あれ、いくらなんでも早すぎないか?

お酒が特別なのか…?僕が特別に弱いのか…?
既に頭が回らなかった。
急に視界が傾いて、また元に戻る。




周りには誰もいなかった。
料理も、中央の台をそのままに、人だけがそっくり消えていた。
「え…?」

広場には、静寂そのものが降りていて、死んだように静かだった。
さっきまでの賑やかさが、嘘のように。

世界から、音が消えた。

「…っ!!?」
途端に、強い吐き気に襲われた。
口を押さえて、少しだけ切れた息を吐く。

ちろちろと、口を押さえた手の指の隙間から漏れた生温かい液。
それは、鮮血だった。
どうしよう…止まらない。

次第に、湧水のようなそれは、突然水風船を割ったような勢いに変わった。
目の前が真っ赤に染まって、どんどん意識が遠くなってくる。

どうなっ…




「…あ、やっと起きたー。心配したんだよ?」
目を開くと、案ずるように光を灯す双紅玉。

僕は思わず目をこすっていた。
今僕が寝ている場所が、僕の部屋のようにしか見えないからだ。

天井から吊られた灯りが、優しく揺れている。

「ヒカリくん、がぶがぶ呑み過ぎだよ。飲んでからしばらくしたら倒れちゃったんだよ?
 宴会はまた少ししたらあるから、次は飲み過ぎたりしないでね?」
昨狐さんの声が、少し遠くで聞こえた。

そうか…お酒を飲むところまでは、現実だったんだ。
「今度から、気をつける。」

さっき見たあれは、悪夢だったみたいだ。

小さく僕は笑って見せた。
目蓋が重かった。まだ酔いが回っているのかもしれない。

「…もう寝ちゃうの?」
「ううん…まだ寝ないよ…」

言い終わるころには、意識が再び飛んでいた。



僕は考えようともしなかった。
あの一瞬の悪夢の意味を。


つづけ