東方幻想明日紀 十四話 たとえ殺人鬼でも構わない

地面に散らばった光苔が放つ淡い光が、辺りを包んでいた。

ふりしきる凍てつく雨の中、上がる荒い息。
上下する右肩には、鋭い痛みと血潮の鼓動。

裏腹に身体の芯は燃えるように熱かった。

守りぬけた。
命を散らしかけた大切な、仲間を。
それだけで、もう全てがどうでもよくなった。

ぴのすけは、何かを抱きしめるように、
へたり込んだまま動いていなかった。
すっかりやつれて、それでも僕を見つめていた。

「…ヒカリくん、お願いです。そこをどいてください。」
抑えた声で低い声は言う。

何かを、懸命に押さえつけたようなそんな声で。
僕にそう訴えかけていた。
彼が何をするかなんてわかってる。
そんな事絶対にさせるもんか。

「彼女を傷つけようとした時点で、あなたは僕の敵だ。」

腕を目の前に固めて、はっきりと言い放つ。
喉のきりきりとした痛みは、既に麻痺し始めていた。

「沙代ちゃんが殺されたんです…この少女の皮を被った山姥に…
 それを知ってもまだそんな事を平気で言えるんですか!」

咆哮にも似た、震えた青年の声を僕は初めて聞いた。
途端に小さな笑顔が、頭をよぎった。

雨音が、耳をつんざく。
頬で熱い水冷たい水が混ざる。

頭を左右に壊れるくらい振ってその像を払おうとしたけれど。
(ヒカリくんもっと笑顔でやろ?ほら口角あげて!)
掠れた白い景色の中で口の端を上げる少女は、消えてくれなかった。

黒髪の少女が僕の目の前で、指でいーっと口許を引き上げた。
こぼれんばかりの笑顔で、僕の枷を外した。
あっという間の、出来事。

僕の中で何かがはじけ飛んだ。

「無茶言うなよ…!どうしてこの状況で笑えというんだよぉお!
 馬鹿じゃないのか、お前が殺されたっていうのに!
 何でそんなに笑顔でいられんだよ…!おい!」

頭を抱えて、どす黒い空に向かって吠えていた。
顎から滴り落ちるのは、雨そのものだった。
降り注ぐ全部の雨が、僕の感情であるかのように。
冷たい雨は、音を立てて世界を崩しにかかっていた。

「うっ…ごほえほっ…!」

乾いた咳と少量の鮮血が、地面に染み出した。
少女はかき消えて、目の前には冷えた黒が広がっていた。

景色がぐらりと傾き、一気に落ちた。
止まった。
優しく背中と頭を支えた手は、温かくて大きな手だった。

顔を上げると、見慣れた青年の苦悶の表情。
僕が倒れた時に、身体を支えてくれたらしい。

「全部知っていて…どうして彼女をかばうんですか…」

ぽつり、ひとり言のように青年は呟いた。
青年も、僕と一緒だった。

こんなにも、沙代ちゃんの死を悲しんでいた。

当たり前だった。
悲しまなかったら僕はこの場で彼の喉笛に手を出していただろう。
それでも、それでも僕はぴのすけを守りたかった。
理不尽でもいい。殺人鬼でもいい。

「…仲間だから…」
理由なんて、これだけでよかった。

彼の手を軽くどけて、身体を起こして立てる事を意思表示した。
青年はゆっくり労わるように手を放した。

聞くと青年は、心労の表情を深くした。
「…僕は、気持ちの整理がつきません…
 あなたの友達がどうしても許せない…。」

再び青年の肩はぶるぶると震えていた。
やるせなかった。

「…僕だって、ぴのすけを許さない…絶対に。」
青年に、はっきりと告げるように僕は言葉を紡ぐ。
いかなる理由だろうが、友達を奪った彼女を僕は許さない。

「でも…ぴのすけに危害を加える奴も許さない…!
 だから…お願いです。ここから出て行ってください…」

涙が喉に引っかかって、うまく声が出ない。
自分がめちゃくちゃな事を言っているのも、よくわかっていた。
紫詠さんは、黙っていた。
首も振らずに、構えもせずに口を固めていた。

一時の感情じゃない、静かな怒りが見える。
困惑が見える。同情が見える。悲しみが見える。

その時だった。

「…こら男ども。瀕死の女の子放っといてにらみ合ってるんじゃない。」

爆撃のような雨にかき消されないような通った声。
「「…!?」」
…雨は最初よりもずっと激しくなっていたことに、初めて気づいた。

後ろを振り向くと、
びしょぬれでぐったりしているぴのすけを抱えた狐の女性の影。
ぴのすけの手には、何かだらんとした物が握られていた。

「戻るよ、話か戦いは後にして。」
それだけはっきり言い残すと、瞬く間に彼女は僕たちの前からいなくなった。
後には、雨のごうごうという音と重苦しい痛みが残された。



頭が混乱しだしていた。
感情が雨に押し流されて、薄くなりだしていた。

「…帰りますよ、ヒカリ君。」
「…?」

冷たい手が、僕の鉄のような腕を掴んだ。
青年は僕を引っ張り上げて、おぶってくれた。

青年は猛烈な速さで走り出した。
僕はなされるがままに、彼の背中で揺れた。
重たい、暗い意識の中で、僕はうとうとし出した。

「…さっきはすみません。」
「…え?」

紫詠さんが僕に言葉を投げる。
何の事だか、まるでわからなかった。

「肩、まだ痛いですか?」
彼の声は、穏やかだった。
言われてみれば、割と深く斬られたようで、まだ脈動している。
芯に染みわたるような深い痛みだった。

「…大丈夫です。」
彼に気を遣った訳じゃない。
ぴのすけが負うはずの傷の肩替りだったから、つらくなんかない。

謝るのは、僕の方だった。
紫詠さんに、平然と敵だなんて言い放った。
お世話になっている恩人なのに。その恩を忘れて。

僕は彼を敵として拒んだのに、それでも彼は歩み寄ってきた。
僕を嫌わないでいてくれた。

それに引き換え、僕は…

…思えば、これまでにたくさんの嘘をついてきた。

紫詠さんにとっての僕は、どう見えていたんだろう。
村全体の敵をかばって、仲間だと言い張って。
いくつもの嘘までついて。

人間の皮を被った悪魔は僕だったんだ。

…贔屓目に見ても僕は最低だった。
どちらも取ろうとしたせいで、こんな事になってしまった。
僕のせいなんだ。
なにもかも、何もかも…。

自分が許せなかった。
我が物顔して、彼女を守り切れたなんて思いあがって。
そんなの目先だけの考えだ。浅はかだ。

結果を見れば、全部わかる。
僕が、いかに汚くて愚鈍かなんて。

「仕方なかったんですよ…。」
押し殺した嗚咽が聞こえたのだろうか、
紫詠さんがそんな事をつぶやいた。

涙でぼんやりとした視界の向こうに、
紫詠さんの家の温かな明かりが入ってきた。


雨が、止んだような気がした。


つづけ