東方幻想明日紀 十一話 綺麗で脆い内緒事

「…最近随分沢山持ってくるようになったねー。」

お昼すぎの薄明るい洞窟で。
僕が袋を下ろすのを見て、驚くように首をかしげる少女の姿がそこにあった。

袋の中に詰まった野菜やら肉やらを見つめる無垢な瞳に、疑念はこもっていない。
ただただ純粋に、僕に感心しているようだった。

「まあね。僕だって、やればできるんだから。」
「そっかー。随分と、盗むのがうまくなったんだね。
 あと、最近顔が生き生きとしてるよねー。」

僕は嬉しそうに頷いていた。
全くの嘘だった。
現実と発言の齟齬に、鼻をうごめかすことすらしない。

僕は、きっと間違ってなんかいないのだから。



遡る事、今朝の事になる。


「おーい、まだかーい」
「はい、ただいま!」

後方から聞こえる太い声に素早く反応して、盆を持っていく僕。
盆の上には瓶の酒と、ザル蕎麦。

「遅くなりました」
退屈そうに頬杖を突く「お客様」の席に、僕はお酒と蕎麦を置く。

「どうも」
「いえいえ」

盆を下げ軽く一礼して、厨房に素早く戻る。

「お疲れ様!次はあそこの子連れの家族の席にこれを!」
「わかった、ありがとう。」

割烹着を纏い、僕のあげたぶかぶかの帽子を被る沙代ちゃんが、
僕にお茶とうどんの桶を渡した。お盆に載せて、すかさず向こうに運ぶ。

…ひょんなことから僕が沙代ちゃんを助けたあの夜から、
彼女は紫詠さんの家に住みこむ事にしたのだ。

そしてその数か月後、紫詠さんは昔からやってみたかった事があったらしく、
定食屋を開業する事にしたのだ。

沙代ちゃんもお手伝いとして働き、僕も一緒に働く事にした。
ぴのすかが不審がるからあまり長くは働けないが、それでも十分だった。

理由はいくつかある。
ぴのすけが襲った跡地から食べ物を盗み出す生活はうんざりしていたこと。
いつ誰かに見つかって、自分が危険にさらされるかもわからないからだ。
何よりも、良心が痛むこと。
いつごろからか人の家から何かを持ちだすたび、動悸が始まるようになってきたのだ。

だから。

「…はい、今日の分です。また来てくださいね〜」
「ありがとうございます!!」

仕事が一段落したお昼過ぎ。
大仰に頭を下げて、眼鏡の青年から封筒を受け取る。
お給料である。

その封筒を持って、僕はいそいそと市場に駆り出した。

そう、心が痛まないばかりか、たくさんの食べ物を得る事が出来た。
盗むよりかは、ずっと、ずっと。

朝に出かけて昼過ぎまで働いて、そして食べ物を買って帰ってくる。
重い重い袋を引きずって。
そんな生活のサイクルが、いつしか僕の当たり前になった。

ぴのすけが思いつきで出かけては狩りに行くくらいで、変わった事は無い。
僕が同行を頑なに拒むようになってからは、あまり行かなくはなったが。

それでも止むをえない場合は、紫詠さんの家とは遠い場所に誘導している。
そうすれば、少なくとも紫詠さんや沙代ちゃんは守れるのだから。

守れる、なんて虫のいい言い方をするのは間違っているかもしれない。
本当に守ろうとするならば、彼女を止めればいい。

…でも、本当にそこまでするのが正しいのだろうか。
彼女が人を襲わずにいられないのだ。仕方ないのだ。

中途半端だった。
どちらかを、切り捨てられないでいる。

迷っていると言った方が正しいのかもしれない。

大切なものが二つあって、どちらか一方なんて選べるはずがない。


「ぴのすけ、今日は何しようか。」
少女の無垢な瞳が、赤く点った。

「鬼ごっこ!」
「やめよう。多分一瞬で追いつかれるから。」
彼女と鬼ごっこなんて怖すぎる。
狩猟本能をむき出しにした彼女に八つ裂きにされる可能性だってある。

「じゃあかくれんぼ!」
「途中で飽きちゃったじゃん。ぴのすけが。」
彼女は飽きっぽい。

かくれんぼで鬼に飽きられる。
お察しの通り、恐ろしい事である。

しまいには僕が彼女を探すはめになった。
その時は彼女は離れた川で魚を獲っていた。淡々と。

「…じゃあ、何するの?」

彼女の不服そうな声、僕は笑顔で素早く竿を取り出した。
「どこからそれ出したの?」
「懐。折りたたみ式のつりざおだよ!」

紫詠さんからもらった竿と、餌の入った入れ物。
こいつを使って、今日は遊ぼうと思う。

「…これ、何に使うの?」

今日は、彼女に釣りを教えようと思う。


…思っていたのだが。

「うまく虫をつけられないんだけど…」
「はいはい。こうやって通して、水に投げ込む。」

彼女は不器用なのか、中々餌を針につけられなかった。


そればかりではなく、彼女は忍耐力もなかった。
まだ釣れないかとは尋ねなかったが、明らかにそわそわしていて落ち着きがない。

しまいには、釣りを放棄して魚を獲りに水の中に飛び込んでしまった。
…ぴのすけには、釣りは無理だなと。

こんな日が、あとどれくらい続くのだろうか。


雪に閉ざされた日も、何も日々は変わり映えがなかった。
強いて言うのならば、人里に行くのが面倒な事くらいだろうか。

日々が、慣れという言葉に溶けて行くように。
時間が僕の中から消え去っていた。






でも 時は刻々と変わっていく




たとえ 僕の中の時が止まったとしても



ひとつの何かを 置き去りにしたままに





「…ねえねえ、ヒカリ君は小さいままなの?」

それを感じ取ったのは、凍てつく白い世界の中の厨房。
暇な時間帯に発せられた、沙代ちゃんの何気ない言葉だった。

気が付くと彼女の頭は僕よりかなり高い位置にあって。
僕を見るときの彼女の視線は、既にかなりの俯角がついていた。

彼女に上げたぶかぶかの兎の帽子も、すっかりなじんでしまっている。
まじまじと見ると、顔つきも少し大人びていた。

…そっか。

思いを巡らすと、僕がこの地に来て三年ほどが経っていた。

「沙代ちゃん、今いくつ?」
「十四だよ。」

少しだけ、僕は遠い目をしていた。
ほとんど惰性で過ごしてきたあっという間の重さを。

僕と一緒で、ぴのすけは年をとらなかった。
二人とも、人間じゃない事を改めて実感した。

じゃあ、僕は何者なのだろう。
その前は、今までどこでどうしていたのだろう。

以前は考えても分からなかった。
最近は、考えようともしていなかった。

「…そういえば、まだ結婚してないんだっけか」
「えっ」
僕が尋ねると、沙代ちゃんは面喰ったように僕を見つめたまま固まった。

この村では、彼女ほどの年が結婚適齢期のはずなのだが。
そんな気配もなければ、彼女からそういう話も聞いたこともない。

三年前に彼女の家族が(ぴ何とかの手によって)全滅している事もあってか、
そういう話が無いのも頷けるのだけど。

だって、本当は有力者の娘なんだから、お見合いの相手くらいはいたはずだよね。
でも、その事を彼女に訊くのは酷だ。

彼女は少しの間僕を見つめると、聞こえないくらい小さい声で呟きながら俯いてしまった。
…悪い事をしたな。

「それよりも、食材の買い出し一緒に行こう?」
「…うん!」

話を変えると、彼女はすぐにいつもの笑顔を浮かべた。
それは、出会ったときから変わらない、あの笑顔だった。

僕は彼女の手を引いて、白銀の世界に足を踏み入れた。

本当に溶けていたのは、取捨選択という感覚なのかもしれない。
そんなものを決めなくても、僕は幸せでいられたから。



「…ねえねえ、ひとつ尋ねてもいいかなー?」
寝る間際の洞窟、薄ぼんやりとした意識の中で聞こえる声があった。
身体を起こすと、変わり映えのないぴのすけの半笑いの丸顔が目の前にあった。

「なに?」
僕が眠そうな声でそう言うと、少女はそのままの顔で口を開いた。

「…帽子、どうしたの?」
「…え?」
あまりにも唐突過ぎて、しばらくの間何を尋ねられているのか分からなかった。
少しして、やっと三年前に沙代ちゃんに渡した兎の帽子だという事がわかった。

「あっ、多分どこかに置いてきたのかも!」

…ただ、本当の事なんか言える訳がなかった。
ぴのすけには、僕が人間と通じている事を知られたくなかった。

帽子なんて些細な物、それも三年前に無くなったものだ。
きっと思い出しただけなのだろう。

「…そっか。安心して。」



彼女はふわっと、笑った。



ふわっと。





その珍しい笑顔に大した意味はないとその時は思っていた。





つづけ