東方幻想今日紀 九話 僕は人妖、どっちつかずのコウモリ

お世話になった人里の青年、紫詠さんに、
僕が泥棒をしているところを見られた。

蛇に睨まれたようにその場から逃げだせもせずに、
僕の脚は地面に固定されていた。

青年の瞳には疑惑は含まれていなかった。
僕を地面に強かに留めているのは罪悪感と、良心の呵責だけじゃない。

疑惑がないからこそ、わずかな信頼を失うことへの恐怖。
取り繕うとすると、その信頼は完全に無に帰す事になる。

一歩も動けず、その狐妖怪の青年の周囲の空気を眺めていた。

いっそ、正直に吐いて楽になってしまおうか。
これを盗もうとしたと。初犯ではない事。
そして、村の敵と一緒にいる事。

このじゃがいもは、彼女のために盗ったという事。

でも、そんな事を言えば最後、僕は殺されるかもしれない。
僕が吐いたところで、彼女の安全が守れるわけではない。

じゃあ、紫詠さんを…?


ぴのすけじゃあるまいし、そんなこと無理に決まってる。
どうせ、僕の単独犯と言えば少なくとも彼女に危険が及ぶ事は無い。

意を決して、僕は狐の青年に近づく。
額が嫌な水滴を吸いきれずにいた。

「…あの、実は」
「おー、ありがと。いいよいいよ、後は私が持っていくから。」

突如背後で響く明るい少女の声。
でも、僕の知る声ではない。

小奇麗な服に身を包んだ黒髪の少女。
質素で、でも品位のある茶地の服だった。

「あれ沙代さん、知り合いですか?」
「うん。ちょっと前この子が家に来てね。
 住むところがないらしいから私の家で泊める事にしたんだよ。
 さ、おじいちゃんが早く来いって言ってるから、来て。」

沙代、と呼ばれた黒髪の少女はジャガイモの袋を持つと、
僕の手を引いて早歩きで紫詠さんの元を立ち去った。


不可思議な表情をして、
遠くなる青年を眺めながら僕は引かれる手にそって歩く。

「…間に合った間に合った。」
「えっ」

黒髪の少女から漏れる声は、先ほどよりもかなり低かった。
聞き覚えがあるどころか、さっき聞いた声。

「…さっきの女狐?」
「ご名答。お前はあの少女といなきゃ駄目だ。」

ふと微笑んだその口元の面影は、
明らかに先ほどの狐の女性のものだった。

「…助けてくれたんですね。」
「そうでもないとも言えるし、そうだとも言える。」

訳がわからなかった。
だから、出来るだけ不可解な顔をしてみる。

「何だその不細工な顔は。」
「…え?」
酷い事を言われた。
ただ単に顔の全パーツを中心に寄せてみただけなのに。
あれ困った。戻らないぞ。

顔に手をやっていると、少女は深くため息をつく。

「まあいい。どうせ私がいなかったところでお前の生死に何の影響もない。
 ただ、お前がさっきの妖怪と会い辛くなるだけの話だ。」

少女が前を向きながら真顔で発したその言葉の真意が読みとれずにいた。
どうして僕の生死にかかわりがないのに、彼女に会い辛くなるのだろうか。
「…どうせ、お前のような奴は泥棒の弁明なんて出来るはずがない。
 あの少女を盾にすることすらできやしない。あの青年はどう判断すると思う。」

…なるほど、そういうことか。
「生活に困窮している…と。」

少女は口角を上げた。
「そうだ。お前はあの村に住まなければならなくなる。
 まあ、そっちの方がお前にとっては幸せかも知れんな。
 安全や衣食住は保障されるし、全うに生きられる。
 …何よりも、目の前で誰かが惨殺されるのを目の当たりにする機会が減るな。」

挑発するように、黒髪の少女は視線を投げた。
少しだけ、僕にもやもやが立ち込める。

「…だが、長い目で見てみろ。あの妖怪の少女はどうなる。
 まず間違いなくお前を取り返しに来る。どんな手段を使ってでもだ。」

ぞっとした。
考えてもみれば至極当たり前の話である。
容易に想像のつく、後日起こるはずだった光景。
「…そうですね。本当にありがとうございます。」
「まあ、長い目とはそうじゃないんだがな。
 お前は別に誰も必要としていないが、彼女はお前を必要としているぞ。」

その衝撃的な言葉に、僕の足は砂煙をあげて地面に食い込む。
「な、何を根拠に」
「見ればわかる。お前がいなかったら、
 この村が衰退するか彼女が死ぬかの二通りしかない。」

急にスケールの大きな話を出されても、僕の頭が付いていかない。
あれか。僕が馬鹿なのか。
もしかしたら同じ話をされたら皆理解できちゃったりするのか。
「小難しい顔をするな。どういう事かというと…うっ?」

ドンという音と一緒に、目の前の少女は人影とぶつかった。
人影の方を見ると、さっきまでの少女だった。

視線を戻しても、同じ人。

…え?

「わっ!?わわわ私!?…えっ!?」

ぶつかられた方の黒髪の少女は、ぶつかったもう一人の容姿が同じ人を見てふためく。
僕も思わず目をこすりたくなったが、簡単な話だった。

…本人、ご登場。本物はへたり込んでいる。

「本物だ、逃げよう。」
そういうが否か黒髪の少女は僕の手を掴んで、袋をその場に置いて逃げた。



ぴのすけの棲み家の近く、林道の入り口。
二人で木陰に腰を下ろした。

「…ふう、危ない危ない。」
「いや、多分もうばれてます。」

今さらのように驚いた顔をする妖狐の女性。
もう変身はやめたようだ。
必要がないから当たり前なのだけど。

「…ところで、油揚げはどうしたんですか?」
純粋に気になっていた疑問である。
別れてから会うまで十数分、その間にあのぎっしり油揚げの詰まった袋はどこに…

「もう全部食べた。」
「うそでしょ!?」

舌を軽く出して親指を立てる妖狐の女性。
何というか素直に尊敬する。どんだけ好きなんだあんた。

ふとした拍子に、妖狐の女性は立ち上がった。

「…あの妖怪がそろそろ来るな。怯えるといけないから私は帰るよ。
 またどこかで会おう。今度は、彼女と一緒に村で。」

ふと見回すと、先ほどの女性はいなかった。
…その代わりと言っては、目の前に良く知った顔。
西日が、僕たちを赤々と照らしていた。

僕の視線は、低かった。
横を見ると、垂直になった地面。

「…起きた?」

僕は、深く深くうなずいた。

もしかしたら、今日あった事は全部夢だったのだろうか。
…少しだけ寂しくもあった。ほっとした気持ちもあった。

ふと手に何かが握られている事に気付いた。
…じゃがいもだった。

「今日はありがと、これ返すね!」
ぴのすけが僕に帽子を無理やりかぶせた。
視界が暗くなったので、苦笑いで帽子の縁を上げた。

そっか。夢じゃ、なかった。

僕はぴのすけにじゃがいもを手渡した。
彼女は幸せそうな半笑いでそれを受け取って、かじりついた。

ぴのすけには、いろんな表情がある。

無邪気な半笑い。
幸せな半笑い。
虚無の半笑い。
表情が変わらないようでいて、微妙に違うのだ。

もしかしたら、表情そのものは変わっていなくて、
声や雰囲気で変わっているように見えるだけかもしれない。

でも、傾く斜陽に照らされる至福の表情は、きらめいていた。
少なくとも、僕にはそう見えたのだ。

夢かうつつか、最後まで分からない部分もあった。
どこまでが本当なのか、全て本当なのか。

…わからなかったけれど、引っかかる事があった。

ぴのすけが、僕を必要としていたとして。
でも僕は、ぴのすけを必要としていない…?

そんな事は無いはずだ。
そう胸を張って、言える。

「…ぴのすけ、おいしい?」
「うんっ!!」

…だって、こんなにも彼女の嬉しそうな声で、胸の奥が温かくなるんだもの。

だから、絶対彼女のそばを離れたくない。
何があっても、彼女のそばにいたい。

彼女が僕を必要としてくれるなら、僕はそれに全力で答えるから。

この優しい感情をなんて言えばいいのかわからない。
だけど、今その気持ちで身体がはちきれそうだった。

…ただ、彼女の足元に転がっていた物を見ると一気に血の気が引いたのだが。
まだまだ彼女とわかり合うのは時間がかかりそうだ。



つづけ