東方幻想明日紀 七話 獰猛な白兎と九尾の狐
「おはよおー、もうお腹平気ー?」
重い目蓋を上げると、視界には木の棒に刺さった焼き魚。
良い匂いが、鼻をつんと突いた。
「…うん、平気。」
僕はその棒を受け取ると、その魚のお腹にかぶりつく。
噛んで、思い切り呑み込むと芳醇な魚の香りと歯ごたえと。
そして喉に強い違和感を覚えた。
「…どうしたのー?おいしくなかった?」
「骨、喉に刺さった…。」
僕は馬鹿か。
魚には、普通骨があるんじゃないか。
「大変、すぐに取らなくちゃ!」
ぴのすけがそう言うが否か、身体を乗り出して
僕の肩を掴んでそのまま押し倒した。
そして、何も感じさせぬままぴのすけは僕の口に手を突っ込んだ。
多分、僕が幸せだったのはほんの一瞬。
喉を掻きまわす指がたまらなく気持ちが悪かった。
「ぴのすけっ…やめっ、うえっ…お゛っ。」
「よし、これだねー!」
もう一瞬で限界が来そうだった。
意識が遠のくレベルの吐き気を、僕は鋼の精神で押さえこんだ。
直後少女の白い手が、僕の口から糸を引いて離れていくのが見えた。
ただ、それを見てどうとは思わない。
いや、思えなかった。
それとほぼ同時に、僕は立ち上がって洞窟の外へ走り出したから。
もう、限界だった。
「ぴのすけ、その取り方はほんっとうにやめて。」
「えー、それしか方法はないじゃん。」
川で口をすすぎながら、ぴのすけに苦言を呈する。
感謝はしているものの、取ってもらわない方が良かった気もする。
元はといえば骨を喉に詰まらせた僕が悪いのだけれど。
気持ちは嬉しいけれど…っていう行動が本当に彼女は多い。
こういった光景が、僕のいつもになりつつあった。
特に何が起こるでもない、平和な時間が。
「どんどんおっきくなるね、でんすけ。」
「ああ、その花そんな名前だったの。」
彼女のガーデニングも、朝食を食べ終わった後行われた。
と言っても、花をただなでなでするだけである。
だって雨はちゃんと降るのだし。
「ねえーえ。」
「えっ…」
ぴのすけが振り返って、僕を物欲しそうに見つめる。
その視線のやり方に、僕は少々どぎまぎした。
「何も言わないの?」
「…へ?」
何を言うのかと思ったら、意味がわからない。
俺に何を言ってほしかったんだ彼女は。
「いや、花に名前つけるなんて、変でしょ?」
「ごめんなさい、わかりません。」
どうやらハイセンスなツッコミが欲しかったみたいだ。
花を友達と言い張る人がそんな事を言って何を不思議に感じるのでしょうか。
というかでんすけって…でんすけって…。
考えてみれば、僕が考えた名前が「ぴの」だからこそ、彼女は「ぴのすけ」なのだ。
もしもあの時、僕が考えた部分が「佐」とか「勘」とかだったら、
彼女の実体にも劣らぬ猛々しい名前になっていただろう。
「そもそも、友達に名前くらいつけるよね?あれも冗談なの?」
ぴのすけに、気になった事を尋ねてみた。
本当に友達なら、名前くらいつける事をしそうなものだが。
だが、ぴのすけの表情は、全く変わらなかった。
「気が付いたら一緒にいるのが、友達でしょ?」
僕は彼女を見つめたまま絶句してしまった。
そんな事を、真顔で言うのだ。
…たぶん、ぴのすけ理論に従うのならば僕も友達なのだろう。
彼女が求めて、なじめばそれで友達なのだ。
名前なんて、彼女にとっては大した価値を持たないのだろう。
だから、ぴのすけには名前がなかった。
彼女は、名乗らなかった。
当り前である。
でも、やはり僕は名前がほしい。
僕にヒカリという名前があるように、彼女にも。
名前には愛着だってある。
それが呼ばれることで、相手の心の中に「僕」が認識されているって。
そう感じることができる記号なのだから。
やっぱり、僕と彼女は価値観が違うんだな。
それが面白くもあった。
違うって、いいことだ。
「さ、人里にいこう?」
でも僕は、彼女のこういうところがやっぱり受け入れられない。
林を下る道、彼女とは二回目である。
今日は何が違うのかというと、それが昼であるということ。
木漏れ日が少しの熱を帯びて、僕たちの肌を刺す。
ぴのすけはそんな悪環境にはへこたれない。
たくましすぎるのだ。
さっきも、蛇を見つけたと思ったらマッハで蛇に近寄って蛇の首をアレして、
何事もなかったように懐にしまいこむくらいなのだから。
ぴのすけの服の真ん中から、蛇の尾がのぞく光景は僕を何とも言えない気分にさせた。
どちらかというとお前が蛇だ。
「…また人を殺すの?」
歩いている途中、僕はぴのすけの背中に声をかける。
本当は訊きたくもなかった。
答えなんて最初からわかっていたからだ。
「まさかー、今日は違う目的だよ。」
「えっ?」
僕は耳がおかしくなったのか。
「今日は人間を…殺さないの?」
「うん。」
「…えっ?」
やはり、この暑さで僕はおかしくなったのか。
「…ぴのすけじゃない!?」
「おこるよ?」
半笑いで彼女は、底冷えのする声で僕の背中をなでた。
「もー、今日はそういう気分じゃないの。
ところで、その帽子って大事なもの?」
ぴのすけが僕の頭を指さして言う。
僕は帽子のウサギの耳を軽くつかんだ。
「わかんない。でも、気が付いたらこれがあった。
もしかして、使いたいの?」
大事かと言われれば、そうではないかもしれない。
耳を掴んだ手を引いて、僕は帽子を脱いだ。
「…結構綺麗な色の髪してるんだねー。」
ぴのすけが驚いたように言う。
そして、僕の頭を軽くなでた。
僕は透明に近い紺色の髪をしている。
ときどき、抜けた髪を陽に透かすことがある。
もし、これで武器に出来たなら、どれだけ綺麗な武器に出来るだろう。
そんなことを考えたこともあるが。
ぴのすけがそばにいれば、武器なんていらないね。
「ありがとう。はい、どうぞ。」
「うん!借りるよ!」
ぴのすけは帽子を受け取ると帽子を小さな鼻にあてて、深く息を吸い込んだ。
「ちょっ…ぴのすけ!?」
「あっいや、ごめん!」
ぴのすけは慌てて、深々と帽子を被った。
髪の色も相まって、彼女はまるで白ウサギのようだった。
…こんな表情初めて見た。
動揺…してた。
やばい、顔が火照ってる。
「いつまでぼーっとしてるの…」
「あ…ごめん。」
ぴのすけがいつもの半笑いで、無理した低い声で言う。
その表情で僕は我に返れた。
「ところでさ、人里に行って大丈夫なの?」
彼女は山姥として村のみんなからマークされている。
彼女に出くわしたらきっと人は逃げまどったり、殺しにかかったりするだろう。
というかぴのすけ若いというか幼いだろ。
…あ!そっか。ぴのすけは夜に行動するから顔はあんまり知られてないのか。
だから、帽子程度の変装で十分正体は隠せるのかな。
「大丈夫、私の顔をはっきり見て生きてた人間はいないから!」
予想の斜め上の回答だった。
お前は金獅子か何かかよ。
ウサギの皮を被った獅子の後をつけて、僕は林道をひたすら踏みしめた。
「前くれたやつ、どこにあったの?」
人里にたどりつくと、ぴのすけはそれだけ言った。
僕が彼女にあげたものと言えば、じゃがいものことだろう。
正直、おなかを壊して以来僕はあまり食べたくないのだが。
僕はあの倉庫に彼女を連れてくことにした。
…その道中だった。
「ねえボク、そのカゴをお兄さんにくれないかな。
どうせ君一人じゃ、食べられないでしょう?よこせや。
明日のおてんとさまを、無事に拝みたいのならな。」
柄の悪そうな男が小さな少年に絡んでいるところだった。
後ろに回した男の手には、刃物が握られていた。
少年の持つカゴには、たくさんのリンゴが入っていた。
「…ぴのすけ、あの子を助けてあげようよ。未来ある食料が減っちゃうよ。」
いくらぴのすけを誘発するためとはいえ、言ってて喉がむずむずする。
だが、ぴのすけの方を見ると、すでに彼女はいない。
「人間が人間を殺しちゃダメ!人間は私のものなの!」
いやな予感がして向き直ると、さっきの男は腹を抱えてしゃがみ込んでいた。
男の子は唖然としていた。
というかリンゴのカゴを落としていた。
ぴのすけは一心不乱に地面に穴を掘っていた。
彼女は男の袖を掴むと、その穴に男を自分もろとも引きずり込んだ。
ぴのすけは早速人を殺さないという公約を破りました。
しばしの静寂。
「ぷはっ」
ぴのすけは少し離れた場所、別の穴から首から上を出した。
少年は腰を抜かしていた。もちろん僕もだ。
「大丈夫?怪我はない?」
ぴのすけは土まみれで地面にはい出す。
少年は青ざめた表情でカゴを置いて逃げてしまった。
どうしよう、寒気しかしないよ。
ぴのすけは、落ちているリンゴを拾って、カゴに詰めた。
「これ、もらっていいかな?」
「…たぶんね、いいと思う。」
間違っても彼女にカゴを返させたら大変なことになる。
あの少年が何も言わないといいんだけど…。
苦笑いで彼女に笑いかけると、横で土を掘り返す音。
でも、ぴのすけは僕の目の前に…
恐る恐る横目をやると、僕の見たことのない影があった。
「…いくら悪党といえども、随分と惨いことをするんだな。」
背の高めの、金色の髪の毛、折り返しが周りを囲む柔らかい帽子を被った女性。
取り巻く九つの金色の尾が、荘厳な雰囲気をたたえていた。
そのしなやかな手には、ぎっしりと何かが詰まった袋があった。
袋からは、油揚げがのぞいていた。
その女性は土まみれの男をゆっくりと寝かせる。
男は、苦しそうに土を吐き出した。
「…あれー、私の獲物をどうするつもりなのかな?」
ぴのすけは、その女性に近寄った。
顔は、いつもの半笑いで。
その声に、いつもの朗らかさはなかった。
対峙する獰猛な白ウサギと、冷厳な金の狐。
僕の体中を流れる汗は、暑さのためばかりではない。
つづけ