東方幻想明日紀 三話 肉食系女子ぴのすけ

暗い林道、ぴのすけの色白の右手にほんのりと薄い明かりが集まる。

僕は彼女、ぴのすけに手をひかれ、虫の鳴く道を歩く。
空気がじめっとしていて、少し蒸し暑い。

僕たちは、今食料を採りに行っている。
僕は、僕と架空の友達の名前以外の全ての記憶を失った。

不思議と、恐怖はほとんど無かった。
この世界が何であるか、目の前の少女が何者であるか。

でも、目の前の少女ぴのすけはもう、僕の信頼のおける恩人だ。

そして、ここに置かれる、サバイバルのような状況。
何も、何も怖くなかった。彼女と、そながいるから。

今ある状況を、満喫しなきゃね。

それにしても一体、何を採りに行くんだろう?
現実的なのは、キノコや野草かな。

「・・・この辺かな。はい、これ。」

しばらく歩いた後、ぴのすけは立ち止まった。
ぴのすけは小さく呟くと、僕に薄く光る右手に持つものを渡した。

薄明かりに照らされる彼女の顔は幾分か不気味さを醸し出す。

光の球を受け取ると、毛玉のような感触でいて、重かった。

「何これ?」
「光る苔だよ。岩肌にびっしりくっついていたでしょ?」

あっ・・・。そういうことか。
だから洞窟は夜なのに明るかったのね。

良い場所だな、あそこ。

そして彼女は、林の整った道を外れ、草むらに入りこむ。
僕もそれに続く。

露に濡れた草が顔にあたって、気持ち悪かった。
彼女はしゃがみこむと、黙り込んだ。

「ところでさ・・・」
「しっ。」

ぴのすけが、僕の口を押さえて、息をひそめた。
困惑のまま、僕はそれに従う。

もしかして、野生動物でも狩る気なのかな?
いや、こんな小さい女の子が、まさかね。

大体、彼女がイノシシか何かを狩る姿の想像がつかない。
しかも手ぶらだ。せいぜいウサギか何かだろう。

少しすると、僕たちがさっきまでいた林道の向こうにぼんやりと明かりが見えた。
途端に、嫌な想像が頭の中に駆け巡る。

・・・まさか、人から物や服を強奪する気じゃないだろうな。

いや、そんなことはないか。
繰り返すが、彼女は俺と同じでまだ小さい。

そうこうしているうちに、足音が、だんだんと近づいてくる。

彼女は腰に付けたマントを外した。
裏地が血のように赤く、表が真っ白なマントだった。

それよりも目を引いたのが、半ズボンから見える、
肉付きのいい健康的な腿とふくらはぎだった。

心臓が、脈打つように速くなるのを感じた。
我を忘れて見とれていると、急にその脚は視界から消えた。

それと同時に、数回、硬いものを木に叩きつけるような重い音が響いた。
驚いて林道の方にこっそり目を向けると、地面に提灯が落ちていた。

その提灯が照らした先には、壮年の男の頭を掴んだ可憐な少女の姿。

二人の表情は見えないものの、
一体それがどんな状況であるかを察するには十分だった。

だが、頭が目で見たそれを受け付けない。

少女は無言で、その男の口に手を突っ込んだ。

「かはっ・・・」

小さく漏れる男の声を確認すると、少女は間髪入れず男の頭を掴み、
今度はさらに強く、何度も何度も執拗に木の幹に叩きつけた。

鈍く重く、そして時折乾いた音が辺りに響く。

僕は、きっと幻覚を見ていたんだ。

しばらくすると彼女は、再び男の口に手を突っ込む。
今度は何も反応がなかった。

重心を失って木の幹にもたれかかる男の姿と、
右袖の色が変わっていた少女の姿がそこにあった。

あっという間の出来事。

僕は、腰が抜けて立てなかった。
膝が笑っていた。

まるで地面の上にいないような感覚。

落ちていた提灯は、少女の黒い影を斑色の地面に落としていた。





「・・・ねえねえヒカリ、私の服取ってー。」

水の音、それを覆い隠す朗らかなな少女の声が近くでする。
あの後僕達は、川に移動した。

夢であってほしかったが、夢なんかじゃない。

僕は無言で、焚火のそばに置いてある鉄臭い長袖の服を川辺に置く。

白い柔らかそうな腕がその服を取る。

こちゃこちゃと、服をもみ洗いする水音が聞こえてきた。
そして、しばらくすると、その音は止んだ。

僕は彼女の方を決して見ようとしなかった。
別に彼女が見るなといった訳ではない。

少女が、水から上がる音が聞こえた。

「もう服着たよ?」
「うん・・・うっ!?」

彼女の方を一瞬だけ見て、僕はすぐに目をそらした。
確かに彼女は服を着ていた。

問題は、あたりまえだが服を乾かさずに着ていたということだ。
わずかだけ見えた、悪意の塊のように張り付いた服に僕は耐えられなかった。

「どうしたの?」
「いいから、服を火にあたって乾かしてきて・・・。」

僕が火にあたりすぎたようだ。頭がぼんやりする。
僕は焚火から離れ、近くの草場で座り込んだ。

・・・自分が置かれた状況は、想像以上に過酷なものだった。

そな・・・もう無理だよ。
(大丈夫だよ。彼女、あなたには悪意ないし・・・)

それがわからない。僕も、ああなっていたのかな。
(んー、彼女に訊いてみたらどう?)

やだよ。僕殺されちゃうかもしれないし。
(それもそうだけど、それだけで殺されちゃうなら、
 もうとっくに殺されてないかな?)

そっか。考えてみればそなの言うとおりだ。
落ち着いたら、彼女に尋ねてみよう。

「服、乾いたよー。」
「はい。」

彼女の高い声を聞いて、重い腰を上げた。
とぼとぼと焚火に近寄ると、彼女は出会ったままの姿をしていた。

彼女の手には、焚火に焼かれた肉が握られていたが。

「どうしたの・・・顔色が悪いよ?」
「ううん。平気」

僕は取れそうなくらい必死に首を振った。
表情が、引きつっていて変わらない。

「はい、これ!おなか減ったでしょ?」

少女がいつもの顔で、骨付き肉を渡してきた。
胃液が喉まで上がってきたが、我慢して、僕はそれを断った。

「・・・いつも、こんなことしてるの?」
「こんなこと?」

「人を、襲うようなこと。」
「えっ・・・?」

僕が尋ねると少女の顔が、あまりにも予想外な表情になる。
まるで鳥に、どうして空を飛ぶのかと尋ねた時のような顔をしていた。

どうして呼吸をしているのかと尋ねられたら、僕もきっとそんな顔になる。

しばしの、沈黙の時間。
焚火のパチパチという音だけが、耳に入る。

「・・・じゃあ、お前は普段、どうしているの?」
「わかんない。でも、こんな事はしてなかったと思う。」

彼女の顔を正視できない。
同じ生き物だとは思えないほどの価値観の違いが、ここにあった。

僕にとっては彼女の行為は殺人だ。異常行動だ。
でも、彼女にとっては、食事の一環なのだろう。

軽蔑、憎悪、忌憚、失望の念が渦巻いて、溶けあう。
彼女が、異質なものに映った。

「じゃあさじゃあさ、これは食べれる?」
彼女は取り繕うようにそう言うと、急に立ち上がり洞穴の方に走り出す。

少しすると、彼女は戻ってきた。
右手に一つ、大きな赤い実を持って。

僕が後ずさるのを、彼女は見逃さなかった。

「何か食べないと、死んじゃうよ?」

彼女はその赤い実を、かしゅりと音をさせて一口かじった。
彼女がそれをよく噛んで呑み込むと、僕にそれを渡した。

赤いトマトのような見た目の、硬そうな果物だった。
僕はそれをかじると、少女は初めて、安心したように顔を綻ばせた。

それを見ると、言いようのない感情が胸を突き動かした。


赤い実は辛くて苦かった。
でも、どこかにほんのりと、優しい甘さがあった。

まるで今までの経緯みたいだ。

僕は、取りつかれたようにその木の実を食べた。
ぴのすけは、にこにこそれを眺めていた。

「・・・そろそろ、寝よう?洞穴に戻ろうよ。」
「うん。」

僕が食べ終わるのを見計らって、ぴのすけはそんな提案をした。
頷いて、一緒に洞穴に戻る事にした。

夜は既に深く、林全体を包み込んでいた。

ここが、どこかはわからない。
彼女も、それについては何も言わない。知らないのだろう。

この場所の名前を知らなくても、こうやって生きていけるのだから。
ぴのすけの残酷な行動を許容できたわけじゃない。
あれは、受け入れてはいけない。考えるだけでもぞっとする。

でも、そうでもしないと生きてはいけないのだとしたら・・・。


彼女は、死に迫るほど優しくて、温かいほど恐ろしかった。
今日、僕に、おぞましく愛おしい友達ができました。


ちなみに、洞穴に戻って寝るとき、お腹が痛くて仕方ありませんでした。
きっと、あの木の実毒があったんだろうな。

彼女は色々な意味で強いということを実感した。
これから、一杯困難があるということも、同時に悟った。


でも、明日に不安はなかった。
僕には、そなと、ぴのすけがいるから。


つづけ