東方幻想今日紀 繋話 今日から明日へ

「そっか。」

力なく笑うことしかできなった。
昔からあまり判断力は良くないが、頭の回転だけは自信があった。

今だけは、その頭脳が疎ましかった。

「あっ小春様、市場で給油してきますね。」
「おう、行ってこーい。」


ののも一緒だった。

すぐにこちらの意図を察すると、
適当に理由をつけて逃げてしまった。

いや、一人にしてくれたんだろうな。


他の連中に尋ねても、無駄だろうが。
それでも、何もせずにはいられなかった。


「なあ丙、もし命蓮寺に男がいたらお前はどう思う?」


それとなく、よく話しているであろう丙に確認してみる。

「んー、そうだなあー。
 きっと、もっと毎日が楽しくなるんじゃないかなっ?」


それとなく尋ねると、屈託のない笑顔で癖っ毛が言った。
胸が、ぎゅうときつく締まった。


これが現実だと、何度自分に言い聞かせたのだろうか。


「あー、そっか。ありがとう。」
「えっ・・・コハちゃん?」

逃げるようにして、俺は一つの部屋に向かった。
今は、空き部屋のその部屋に。


いつもの癖で、二回戸を叩いてしまった。

「馬鹿じゃねえのか俺、もう誰もいないのに・・・」


ぶちぶち言いながら戸を引くと、
そこには薄暗い整理された部屋。

布団は、もう片付けられている。


息を大きく仕込むと、まだ「あいつ」の匂いがした。
つんとした感情が、俺の表情をわずかに崩す。


そういえば、あいつ自分の日記みたいなのつけてたな。
本にして、寺子屋に寄贈するとか言ってた。

まだ、完成していないんだろうな。
ああ見えて、案外気分屋なんだから。

本棚をあさると、案の定束になった原稿用紙が出てきた。


「ばーか、もっと隠すなら見つからないところに隠せよ・・・」

悪態をつきながら、その重たい紙の束を下ろす。

その枚数、数百枚にも及んでいた。
きっと、異常な速度で書いていたんだろう。

それこそ、体調を崩すくらいには。


「あいつ字きったねえな・・・」


ところどころ読めない字の場所があった。
お茶のしみも、広範囲にかかっている場所がある。

恐ろしい事に、ほとんど筆跡が変わっていない。
たぶん、数十枚単位を休まずに書いていたのだろう。


最後だけ確認したが本文は完結、してるな。
でも、無題だった。


・・・俺が題を考えるか。


あいつは、俺なんだからそのくらいは大丈夫だろう。
そんで・・・寺子屋に持って行って、渡せばいい。

ほとんどは、日記だった。
そして、くだらない妄想や気持ちなどをつづっていた。

あいつがこの短期間で見たものは、
色々な連中の歴史そのものだった。


色々な傷を抱えているんだと、感慨深くもあった。


「幻想今日紀」。


数十分の苦悶の末、俺は表紙に極力、丁寧な字で書いた。
丁寧になればなるほど、手は震えた。

読めば読むほど、あいつが生きているような気がして。



誰もいない、埃のかぶった部屋で、声を押し殺して。
ののが、俺を一人にさせてくれたんだ。


俺は、誰かに泣かれるところを見られるのが嫌いだ。
ののは、それをよく知っていた。


「あき・・・にいの、ばかやろう・・・。」



手元の字が、汚くにじんだ。










よく晴れた、風も涼しい夕暮れ時の墓地。


「・・・もう、あれから八年になるんだね。」

一人の若い女性がふわりと微笑んで、花を墓前に添えた。

「小春、随分とお兄ちゃんにベタベタだったもんね〜。」
「や、やめてよお母さん!単に仲が良かっただけでしょ?」

母親と子供の談笑が、花を笑わせるように、風を吹かせていた。
飾られた少年の写真も、笑っているみたいだった。


「・・・それにしても秋兄、16歳なんでしょ?
 ふふっ、私の方がもう年上なんだよ?すごいでしょー。」

「ほらこのウサギのパーカー、秋兄好きだったよね。
 もう小さいけど、ちょっと無理して着てきたんだよ?」


若い女性は白いウサギのフードに手をかけて、幸せそうに笑った。
白髪の目立つ母親は、その様子をにこにこ眺めていた。


「ねえ小春。そういえば深水さんとはどうなの?
 もう結婚したらどうなのよー。」

「その、もうそろそろだと思うんだけどね・・・。
 大学卒業したら、お医者さんになるんだって。
 あの家、みんなお医者さんの一家らしいね〜。」

壮年の女性が陽気に尋ねると、
若い女性は頬を掻いて、顔を赤らめた。


「病院といえば、深水さんと出会ったの、病院だったわね。」

「うん・・・こういう言い方はあれかもしれないけど・・・」


若い女性は、空を見上げた。








「もしも、秋兄が事故に遭わなかったら、
 深水さんと出会うことは無かったんだろうなぁ・・・。」


寂しげな声が、深い空に吸い込まれていく。


涼しい木枯らしが、強く吹いた。