東方幻想今日紀 百六十九話 最後の刺客は、温厚で冷酷

とうとう、この世界が終わる予定から既に二日が経った。


朝起きて周りを確認しても、
俺の部屋であることは覆す事が出来ない。

ナズーリンさんが近くで寝ていたのも、
現実に戻すには十分な効果があった。


昨日と何も変わらないから、逆に怖くなる。
変わるはずだったのに。

変化と言えば、
「いざという時もあるだろう、これで義腕を作っておくぞ。」

ナズーリンさんが今朝、そんな事を言って、義腕の軸棒を深水にした事だろうか。
深水は空気を読んで、縮んだ。


底知れぬ不安を抱えて家を出たのをよく覚えている。



「なーなー、教育実習生が来るんだって!
 男子かな?女子かな?それともオカマかな!?」

教室に入るや否や、ハイテンションの稟が駆け寄って、
そんな事を弾む声で言っていた。

アメリカ語でも喋ったりすんのかな!?」
「いーから落ちつけよ。」

稟のテンションが上がりすぎていて日本語が不自由だった。
転校生じゃねえんだよ。


「はいはい座ってー。座れえー。シット!!」


稟をたしなめていると、
担任の先生が手をパンパン打ち鳴らして入ってきた。

皆が慌てて席に着く。


・・・そして、そのあとに続いて教室に入ってきた人影。


思わず、その影に目が釘付けになった。



黒髪の黒いスーツをピシッと着こなして、赤ぶちの眼鏡。
背は高めで、そのいかにも真面目で、丁寧そうな感じ。

一言で言うなら、好青年だろうか。

いや、それ以前に。


それ以前に、あの方に酷似している。


好青年はぺこっと頭を下げて、ゆるい笑顔を振りまいた。


「みなさんおはようございます。
 今日から無期限で全教科を務めさせていただく、
 教育実習生のシャクナゲと申します。よろしくお願いします。」


それ、教育実習ちゃう。担任交代や。

なんだなんだ。
うちの学校の先生はそろって解雇でもされたのか。


・・・いや、そんな事はどうでもいい。
この世界、何でもありなのだから。


それよりも、どうしてシャクナゲさんがここにいるのだろうか。
疑惑なんかじゃない、純粋で、素朴な疑問だった。

それにしても、スーツと眼鏡がこんなによく似合うなんて・・・

『とうとう、仕掛けてきおったな。』
深水のぼやきが、妙に頭に残る。


「みんな、何かシャクナゲ先生に質問はあるかー?」

先生が皆に問いかけた。

腐るほどあるんですが、そういう場合はどうすればいいんですかね。

俺以外の数人が手を挙げて、先生が一人の女子を当てた。


「彼女はいるんですか!?」
「困りましたね・・・答えなきゃダメですか?」

シャクナゲさんが小首をかしげた。


「無理して答えなくてもいい。
 誰しも隠したい事の一つや二つはあるんだ。うんうん。」

先生が明らかにグレーな発言をしていた。
シャクナゲさんは、小声ですみませんと言って眼鏡を直した。


また生徒が手を挙げる。今度は茶汰野さんだった。

「大学はどこ出ましたか?」
「うーん・・・どう答えていいのやら・・・。」

知っている大学名答えれば良いだろうに・・・。
たぶん東大と言っても信じてもらえるでしょ。


「まあ、なんだ。人には秘密の一つや二つはあるんだ。
 茶汰野、これ以上尋ねるのはよしなさい。」

先生のフォローが酷い。
というか何で質問させたんだよ。


「先生になった訳を教えてください!」

「いやはや、難しい質問ですね・・・」


いい加減にせい!もはや時間の無駄以外の何物でもないだろ!
わざとか、わざとなんだろ!?


「まあ、あれだ。かくいう俺も教師になったのは、
 人には言えない理由があってな・・・そういうわけだ。
 人に訊いていい事と、そうでない事の区別をつけなくちゃいかんな。
 わかったな、鮠野。」

「はい・・・ごめんなさい。」

「ほら、みんな他に質問はないのかー?
 気になる事はどんどん質問していいんだぞ?」

ひどいホームルームがあったもんだ。

これなら家でテレビゲームでもしていた方が有意義かもしれない。

結局間に詰まった先生が俺を指名して一発芸をやらせて、俺が氷結魔法放って終了。
ヒカリは独りで口押さえて声出さずに悶絶してたから良い奴だ。

「もうやってらんない・・・」
「まあしょうがないよ。もともとあの先生理不尽だし。」

席に戻って一時間目の生物の準備をしていると、稟がこちらにやってきた。

「ところで、無期限はいいとして、全教科って何だろうな・・・。」
「そう、それ。」

無期限はまだジョークだが、全教科はどういった意図だろう。
いや、それ以前になぜシャクナゲさんがここに・・・


ヒカリが言っていたように、彼も「この一連の元凶」なのだろうか。

でも、まだ元凶と言う割には何もしていない。
というより、何も起こっていない。

強いて言うならば、誰かになりすまして、俺を殺害しようとしたり。
俺の記憶を全て消そうとしたり。

あ、一応未遂だけどなかなかの事をしていらっしゃる。

でもそれで何になる?
俺の殺したり、記憶を消したところで、この世界がなくなるだけだろう。

この世界が無くなったら、この世界に実体として存在する、
ナズーリンさんと彼我さんとヒカリと深水が死ぬんだろうな。

俺と深水が実体となったのも、きっとそういう事だろう。
ナズーリンさんも、確実に実体となっている。

・・・やばくないか、これ。

いままでずっと軽視していたけれど、俺の双肩に四人の命がかかっているのか。

もしかすると、彼らのどれか、もしくは全員を排除しようとしている・・・?
ヒカリは時間を切り取る何かの力がある。かなり危険だろう。
深水だってなんでもよく切れる。無形物はどうしようもないけれど。
彼我さんは夢に関する事なら大概はできる。頑張れば人の夢も叶えられる。
ナズーリンさんは・・・何だろう。もしかしたら物凄く強いのかも。

これを俺を倒すことで全員を一気に片付けられるのならばたやすいことだろう。

どうしてだろうか。
いつからこうなのかは分からないけど、個人的な感情がもう湧いてこない。

気が付くと俺はそういった「情緒」が欠けているのだ。
以前は誰かを守るために奮闘できたけど、今はもうできない。

大切な人をひとり殺されたら、敵を心の底から憎み、事件に関与した者を全員殺す。
相手が強かったら、この身犠牲にして独りで突貫する。

でも今は違う。

味方をひとり殺されたら、次は別の味方を殺されないように尽力する。
必要ならば、その元凶を殺す。敵が強かったら、諦める。

それは合理的で機械的で打算的で、冷たい考えだった。

いつからこうなってしまったのだろうか。

大きなきっかけはいくつもあるけど、そうじゃない気がする。
ゆっくりじわじわ、感情が無くなって行ったのだろう。

それは、まるで何かに蝕まれているかのように。
感情が何かに吸い取られていると言った方が正しいのだろうか。


原因があるとしたら、それは・・・


「こんなところにいましたか。もう授業は始まってますよ。」

「え?」
考えごとは、突如後ろで響いた優しい声にかき消された。
やおら振り返ると、そこには優しい顔立ちの赤ぶち眼鏡の青年がいた。

誰もいない、薄暗い教室で。

「場所は生物教室なのですぐに来てくださいね。リアさん。」

そう言うと、彼はにこっと笑って、虚空に消えた。
後には、空っぽの教室があった。

それぞれの机には、スクールバッグや次の授業の教科書が散見していたのだが。

頭が混乱している中、時計を見ると一時間目が始まって数分が経っていた。
そこでやっと気が付いた。

「どんだけ考え事してたんだよ俺、気持ち悪・・・」


独り事を言うと、俺は机の中から生物の教科書を捜し始めた。




「ごめんごめん、まさかこんなに考え事にのめりこむとは思ってなくて」

稟の横に座って、教科書を広げながら小声で謝る。

「こっちこそごめんな。頭抱えてぶつぶつ言ってたから置いてきちゃって。」
「それマジ?ちょっと保健室行ってきていい?」
「来てすぐ帰んなよ・・・」

十分間一人で頭抱えてぶつぶつ言ってるなんて正気の沙汰じゃない。
十分あれば、カップラーメンが十個作れる。ってそういう問題じゃねえよ。

まあ過ぎた事はどうでもいい。
それよりも、訊きたい事がいくつか。

シャクナゲ先生はずっと授業やってるの?」
「ああ、ずっとやってるな。しかも教え方うまいぞ。
 前の腹話術の先生は担当どうなったんだろうね。」

「ずっとやってる?途中で消えたりしなかった?」
「やっぱ保健室行った方がいいよ。人が消えてたまるか。」

いや、それが消えるんだな。
・・・と言う事は、分身か幻影の類だろうな。

とにかく、今は授業を真面目に受けよう。

何か動きがあるはずだ。
何もなければ、それでいいはずなのだが。


・・・まさかとは思うけど夢の世界で経た時間は幻想郷には適用されていなくて、
閉じ込めてこの世界での老衰死を狙うとかはないよね?
だとしたら「無期限」の言葉も納得がいく。

やめて。ほんとうにやめて。

そんなわけないから!もっと積極的に何か干渉してくるはずだから!
嫌な予感を振り切って、俺は必死にノートを取るふりをした。


それにしても授業を受けていると、
だんだん子守唄のように聞こえてくるのはよくある事だろう。

頭がかくんかくんして、もうだめ・・・


「東雲くん、居眠りはだめですよ。」

そんな声が遠くから聞こえてきた瞬間に、
目の前でパッという大きな音と一緒に、白い煙が目の前で拡散した。

「え・・・?」

一瞬で目が覚めたけれど、何が起こったかわからなかった。
煙が、チョークの煙だと言う事はわかったけれど。

なぜ、目の前で砕け散るんだろう。


答えは後ろの席にあった。
ヒカリが満面の笑顔でダブルサムズアップしていた。ださい。

でも、おかげで助かったよ。ありがとう。


その後シャクナゲ先生は歴史も保健も一人でこなしていた。
授業は普通にうまく、ユーモアも時々入れた。

彼は皆の心をあっという間に掴んだのだ。


休み時間の都度、教室は彼の話題でもちきりだった。
そりゃ、面白いしかっこいいものな。

こちらも、シャクナゲ先生の授業を受けていると考えると、
嬉しくもあり、懐かしくもあった。


シャクナゲせんせー!みんなと一緒にご飯食べませんか!?」

昼休み、女子生徒がシャクナゲさんに声をかける。
しかし、シャクナゲさんは苦笑いだった。

「うーん、僕はほかの人と食べるんですよ。ごめんね。」
「えー、誰と食べるんですかー?」

「そうですね・・・」

女子生徒がつまらなそうに言うと、シャクナゲさんは立ち上がった。

そして、おもむろにこちらに近寄ってきた。


「東雲くん、屋上で一緒にご飯を食べましょう。」
「ぶっ!」

俺の体内で麦茶気管支閉塞事件発生。

茶汰野さん以外の女子の「うわあ・・・」という目。
この形容できない視線は一度味わってみないとわからない。

むしろ茶汰野さんの目は輝いていた。なんでだ。


「・・・気をつけろよ、ホモ。」
「・・・うん。後で覚えておけよ。」


ヒカリが真剣な表情で、こっそりと俺に耳打ちをした。

袖で口を拭いて、観念して俺は腰を上げた。
気をつけなくてはいけない。

下手をすると、まな板の上の鯉なのだろうけど。


尋ねたいことがいっぱいあるんだ。
シャクナゲさんは大切な恩人なのだ。

でもそれ以前に元凶と言われても疑いようがなかった。
他に、この偽者騒動の犯人たりえる人が存在しないからだ。

前々から彼の人間離れしていた点は知っていた。

彼が怪しいとは思わなくても、卓越した力を持っている事はわかっている。
彼が何してもいまさら驚いたりはしないけれど、それでも俺は彼の事が大好きだ。

もちろん、恩人として。



「あれから随分と成長しましたね。もう二年も経つんですよ・・・」

シャクナゲさんが、卵焼きにかじりついた俺に話しかける。
慌ててそれを呑み込む。

鬼(が腕を振った時の風圧)に殴られて頭を怪我したとき、
治してくれたどころかその晩の宿を借りさせてもらったのだ。

そして、命蓮寺の場所を教えてもらった、あの時。
まだ情緒不安定で、向こう見ずだったあの時。今もだけど。

「懐かしいですね・・・でも、そんなに成長してないですよ。」

「んー、変化と言った方が正しいですかね。」
「それじゃマイナスじゃないですか・・・」

二人で、少しの間の談笑の後。
既に危機感など、微塵も残っていなかった。


シャクナゲさん、どうしてここに?」

弾む声を抑えつつ、彼に前々から気になる事を尋ねた。
どうして、俺の夢の中の世界にわざわざ入りこんでいるのだろうか。

「そのうち、わかりますよ。」

あっさりかわされてしまったが、ちょっと予想はできていた。

「そういえば、これ見てくださいよ。」

シャクナゲさんがコンクリートに何かを落とした。
硬い金属音が、小さく足元で鳴る。

それに目を凝らすと、電光が駆け抜けるように、彼我さんの顔が頭に浮かんだ。
その形容しがたい髪飾りは、間違いなく彼我さんのそれだった。

「あと、これも一緒にもらったんですよ。」

金属の髪飾りの上に、シャクナゲさんは赤黒い乾いた何かを置いた。
まるで折り紙に、赤土を塗って固めたような、そんな物体だった。

その何かの原型が彼我さんが付けていた包帯だと気付くのに、しばしの時間を要した。



「・・・っ!?」


抑えがたい衝動が、その悪い手を止める事が出来なかった。
ぼやけていく視界が、自分の状態を感づかせる。


シャクナゲさんの右腕が、視界から消えた。


振りぬいた左手は、青い刀身が備わる。
わけもわからず、俺は袖ごとシャクナゲさんの右腕を切り飛ばしていた。

「はっ・・・はっ・・・」

上がる息が、自分の物とは思えないほど、異様なリズムで跳ねていた。
自分の意思でこの人を殺そうと思ったのか、それとも不本意なのかすらわからない。


「・・・言い忘れました。」

シャクナゲさんが口を開くのと同時だった。

次の瞬間には、水から何かを引き上げるような音と一緒に、
無くなったはずの青年の腕が再生していた。

「え・・・。」


訳がわからなかったけれど、わからざるを得なかった。
左手が刀の柄を離しそうなくらい、脱力している。


「・・・僕、不死身なんですよ。」


青年は半袖になった右腕で、赤ぶち眼鏡を直して、柔らかく微笑んだ。







つづけ