東方幻想今日紀 百六十七話 予定通りならば、夢幻世界の最終日

こんにちはリアです。

ただいま人生でベスト20を争うピンチに陥っています。

どういう事かというと、十年来の友人が俺に羽交い絞めをして、
クラスの真面目な女の子がそんな俺を包丁で刺し殺そうとしています。


いや、刺し殺そうとしているのかは不明です。
もしかしたら俺の髪を切ってあげようとしているのかもしれません。

そんな優しさはいりません。心臓に悪いだけです。
妖怪化してから代謝はほとんど止まったので、
もう髪はあまり伸びないんです。


そして友人は何故か妖怪であるはずの俺が
振りほどけないほどの超絶腕力で俺を押さえます。無言で。

一方のクラスメイトの女子は、
俺の目の前で包丁を振りかぶりました。無言で。


・・・顔中を舐めまわすように嫌な汗が這いまわる。


明らかな悪意を感じる。
罠だったなんてわかっていたのにその事実から目をそらした。


今までだったら笑いごとで済んだ。


死なないであろう事はわかっていたのだから。
でも今は状況が違う。

今の俺の身体は実体化した夢ではなく、
現実から移動した真の肉体だということ。


級友の形をした悪意に、俺は今殺されようとしている。




俺も含めて、誰も息ひとつ荒げていない。



かたや執行人、かたや死刑囚。


重苦しさを感じる無言の中で、
調理室という名の密室は、処刑場に変わっていた。



どうしてこんなに自分が冷静でいられるのかわからない。

やりたい事が炎のように燃え上がっていたのが嘘のように。





静かに、目の前に迫る死を受け入れようとしている。


今までだって冷静だった。
でもそれは、何とかなるという期待。他力本願だ。


今は助かる事を望んでいないのだ。



汗も次第に引いてきた。



この静かな沈黙も、次第に心地よくなってきた。



茶汰野さんが、包丁を振り下ろした。



その切っ先を見つめた瞬間に、
何か得体の知れない温かみが身体が湧き上がってくる。


徐々に、切っ先の動きが遅くなる。
体中に、温かい血が巡るような感覚。


切っ先が完全に目の前で止まった。
時間そのものが、凍ったように動かなくなった。




彼我さんの笑顔が、突然浮かんできた。

最初に出会ったあの夜。
月が落ちてくる悪夢のあとに、不敵な笑みを浮かべていた彼女。

聖さんに抱きしめられた時の、言いようのない幸福そうな顔。


次に腹の立つあの顔が浮かんできた。

俺に命令口調で恥ずかしい事を大声で言う時の得意げな顔。
二人になった時にふと弱気になって俺に媚びる時の不安気な顔。
異変の最後、敵としてねじ伏せた時のあの絶望した顔。
ののと喧嘩して、ふてくされた時の顔。
お菓子を俺にねだり、突っぱねられた時の不満げな顔。


そして、ふとした時に見せる、最高に可愛らしい笑顔。


この感覚はなんだろう。



頭のてっぺんが熱くなって、硬いものが沈みこんでいく感覚。
耳の中に何かが砕ける重い音が響く。

茶汰野さんの顔が一瞬でぼやけて、頭が真っ白になった。




その瞬間だった。



派手な、けたたましいガラスが割れる音と同時に、
粉のようなものが鼻に入るのがわかり、思わずむせこんだ。



そして、左腕を乱暴に掴まれて、引っ張り込まれた。








何も考えられず、腕の引かれるままに足を動かした。
咳は少しすると止まった。

異常なくらい急いた足音が、ダンダンと耳元で跳ねる。


絶え間なく動くぼやけた視界が、くっきりと、そしてまたぼやける。


左半分の視界は、ずっと赤くぼやけていたのだけれども。


くっきりした視界の中にちらりと映る、
俺の腕をひっぱる人影は、ヒカリによく似ていた。



激しく響く、ドアを蹴破る音。


ほどなくしてたくさんベッドがある部屋に連れ込まれて、
俺は柔らかいところに横に寝かせられた。


誰かが、急いで白い受話器を取った。

ガタガタガタとボタンを押す音が聞こえる。


「救急!!○○学校!!生徒が頭を刺されたんです!!」


遠くで、よく知る誰かがそう叫んだ。











「あっ・・・。」


目を覚ますと同時に最初に耳に入ってきたのは、そんな頓狂な声だった。

ふと周りを見回すと、カーテンのかかった病室。
ベッドの横には、ナズーリンさんとヒカリがいた。


「ごめんな、間に合わなくて・・・俺が遅かったから・・・」


まず、視界がはっきりしている事にびっくりした。
景色が立体的で、綺麗な世界が広がっていた。


「よかった、君が生きていて・・・もうすこし、休んでいてくれ。」


やけに気持ちが悪い。
頭の辺りに違和感を感じるのだ。

頭に触れると、包帯が何重にも巻かれていたのがわかった。


「・・・リア?」


あれから何時間たったのだろうか。
何が起こったのかもわからない。

どうして俺は病院で寝ているんだろうか。


「リア?返事・・・できるか?」


あの時見えていた、映像のようなものは何だったのだろう。
彼我さんや、小春の記憶だったのだろうか。


「リア?」


突然、胸の奥から何かが上がってくるように、
今まで感じた事のない吐き気が襲ってきた。

「・・・おい、大丈夫か!?気持ち悪いのかい?ほら、袋だ!」

条件反射で、近くにあった袋状のものを手にとって、
その中に、気持ち悪さを全て吐きだした。

口から出たものは、絶望のようにどす黒かった。


吐くたびに、気持ち悪さと、頭痛が加速度的に酷くなる。

「っ・・・!?」
全部吐き終えてしばらくすると、頭に雷が落ちたように、頭痛が走った。



視界がぐらりと傾き、二人の顔が横になる。
ぐわんぐわんと、頭の中で何かが回っている。


何もかもがしばらく回った後、ゆっくりと世界は静止した。



二人の顔が再びはっきりとする。


目に映るものが、全てくっきりと映った。
今までの、どの瞬間よりも。

気分も、急によくなってきた。

そして、さっき起こった出来事が、はっきりと頭にフラッシュバックしてきた。
スポンジが水を吸い込むように、記憶がすっと入りこんでくる。


という事は・・・


「・・・ん?私がどうかしたのか?」

ナズーリンさんの目を穴が開くほど見つめる。

もしかしたら、今までの刺激で記憶が戻っていたりは・・・

スカートの方を見つめると、既に穴が開いていた。

期待したようにならないのが現実である。
でも、夢の世界もやはり甘くはない。

「・・・駄目か。」

「??」

いくら見つめても、彼女の事を一向に思い出せない。
最低限、記憶を失った後の情報しかやはり出てこない。

悶々としながら彼女を見つめて、軽く微笑んだ。

「少しはよくなったか?お前今まで反応無かったからさ。」
「ん・・・何か言ってたっけ。」

ヒカリが深いため息をついて、少し安堵の表情を見せた。

「まあいいや。しばらく休んでいろよ。
 もうお前を危険な目には遭わせないから。」

やだ・・・かっこいい。
でも間に合わなかったよね。ある意味間に合ったんだろうけど。


お前に言わなきゃいけないこと、あるんだけどね。


「・・・ありがとう。ヒカリ。」

出来るだけ、明るい笑顔で、そうヒカリに言葉を投げた。

「・・・るせえ。」
紺色の髪の少年は、恥ずかしげに頭を掻いた。

やっぱり、俺とよく似ている気がする。
それに、雰囲気は現代小春ともそっくりだ。

その、汚れていない白いウサギの帽子も。

今なら彼が、小春の子供と言われても信じられる気がする。


「・・・少し、喋れる程度にはよくなったんだな。」
「うん、もう全然痛くないよ。」


ナズーリンさんの労わるような問いかけに、子供のように答えた。


・・・全然痛くない?

「え?」

思わず、自分の口から出た言葉を反芻してしまった。



まさかとは思うけど、まさかとは思うけど・・・

「あっ・・・まだ取っては駄目だろう・・・おいっ、聞いているのか!?」


ナズーリンさんの邪魔な手を振りほどいて、頭に幾重にも巻かれる包帯を外した。

頭を触ってみると、サラサラしていた。
普通の髪の毛の感触。

そこに、傷跡すら手探りでは見てとれないほど、普通の状態だった。


「完治してる・・・」

「お前は何を言ってるんだ・・・」

ヒカリが俺の頭をおそるおそる撫でると、目を丸くした。



「・・・そうか、もうそんなに進んだのか。」

そして、それだけ言うとヒカリは腕を組んで考え込んだ。


「進んだ、ってどういうこと?」
間髪入れずに尋ねると、ヒカリは小さく頭を掻いた。

「・・・おじさん、俺がどうしてここにいるかわかる?」

俺は黙って首を横に振る。
そんな事を尋ねるからには、もちろん何かの意図があるはずなのだが。

ここにやってきたのも、何かの目的があるのだろう。


「・・・簡単に言うとさ、おじさんを助けにきたんだ。
 生きて、幻想郷に帰す。そして現代に帰す。そのために俺はここにいる。
 そのためにはおじさんを、完全に変異させないように・・・ね。」

ヒカリが自信ありげに、胸をたたいた。


・・・だが、腑に落ちない点が。


「進んだ、とはどういう事かに触れてもらおうか。」

刺を含んだ言葉でナズーリンさんが問うと、ヒカリは手をぱたつかせた。
さすがにもう一度問う事はできないので、気を使ってくれたのだろう。

「あーごめんごめん。変異が進んだって話だ。
 異常な自然治癒も、その影響なんだろうなって。」

「変異?妖怪化だろう?」
「あー、妖怪化と呼んでいるのか。じゃあそれかな?」

なるほど。また一段と妖怪化が進んだから、あんな傷も一瞬で治ったのか。

どんどん俺は化け物みたいになっていくな・・・。
何だか怖くなってくる。

そのうち、理性まで飛んでしまわないだろうか・・・


「そういえば、誰が妖怪化だなんて最初に言ったんだ?
 おじさんが今なりかけているのは、
 おじさんの知っている妖怪のそれじゃないんだが・・・。」

・・・え。

俺が変化している終着点は俺の知っている「妖怪」じゃないってこと?
つまり・・・幻想郷によくいる妖怪とは違った「異質な何か」になっているということ?

シャクナゲさんっていう俺の恩人が・・・最初にそう教えてくれたんだけど・・・」

そう、最初に妖怪化していると教えてくれたのはシャクナゲさんだ。


「じゃあさ。その人、なんて言ってた?」

その時、告げた言葉は。


「妖怪化すると、もう二度と・・・元の世界に戻れなくなると言ってた。」


なるほど・・・ヒカリとシャクナゲさんの見解は完全に一致している。
シャクナゲさんと一緒ならば、ヒカリはやはり味方なのだろう。


・・・ところが。





「じゃあ、シャクナゲってやつが元凶か・・・」




・・・え?


予想だにしなかったヒカリのぼやきが、頭に染みついて残った。
ナズーリンさんも、目を丸くして彼を見つめていた。


つづけ