東方幻想今日紀 百六十六話 懐古して、前を向いて、笑顔で帰ろうよ

「・・・シュウ、その腕どうしたんだ?」

登校するや否や、駆けよってきた稟にそんな事を尋ねられた。
もちろん、視線は包帯でぐるぐる巻きになった手。

「あー、転んだの。」
「どんな転び方したらそうなるんだよ・・・。」

もちろん嘘だった。

本当は袖は空っぽで、腕も何もないのだが、
ナズーリンさんが義手というほど大層なものではないけれど、
棒と綿と包帯を利用して、包帯でグルグルの腕に見えるそれを作ってくれたのだ。


稟はあえて気を使っていない。
でも、その表情で心配しているであろうことはすぐにわかる。



「・・・何か、あったんだな。確認するけど、シュウだよな?」
「まあね。」


稟の問いかけに、俺は涼しい顔で答えた。

どうして、この状況で俺が学校に来ているのか。
それは、今日の夜明け前の深夜に話を遡る必要がある。





深夜三時、俺の部屋にて。

「・・・そっか。戻ったんだね。」
「ああ。幻想郷の君に、姿が戻っているな。」

俺の腕がない事、ナズーリンさんはやっぱり知っているんだね。
口に出すのはやめておいたけど。

考えてみれば、彼女が知っているのは当たり前の事なのだから。


深水が刀に戻っている。
これも、幻想郷の姿である。

身につけるとたぶん、頭に声が響いてくるんだろうね。
感情のこもっていないあの声で。

ちょっと残念だけど、あの姿は仮の姿。
愛嬌のある姿なのだけど、彼我さんの作った虚像の一つ。

深水は、やはりこっちの方がしっくりくる。


「彼女に何があったんだろうな・・・。」

ナズーリンさんが不安げに、顎に手を当てた。

でも、心配する事は無いと思う。
彼女は明日で力を使い果たして、この世界も終わる。

ということは。


「もうすぐ、幻想郷に帰れるんだよ。
 俺たちの姿が戻ったのも、彼我さんの体力が減ってきたからだと思う。」

俺が笑顔で言っても、彼女の表情の雲は払えなかった。
むしろ、より一層天気は悪くなっているように思えた。

深水を拾って、手に持った。
同じ大きさの定規を連想させる重量。
刀と言うにはあまりにも軽すぎるその刀は、なじみ深く、感慨深くもあった。


「そんでさ、俺明日、というか今日も学校に行く。」
「何を言っているんだ君は・・・。」

俺が取り繕うように問いかけると、ナズーリンさんの顔が呆れたように引きつる。

『やり残したことは無い方が良いものじゃ。やりたい方に行くべきじゃな。』
「ありがとう深水。俺・・・行ってくるよ。」

感情のある声が、頭の中に響き渡る。

深水は背中を押してくれた。
幻想郷にいる間一緒に居るだけあって、俺の気持ちがよくわかってる気がする。

それに、感情がこもっている。

どんどん、人間っぽくなっているんだ。

「私にはどんなやり取りをしているかは分からないが・・・
 私としてはできるだけ、安全側に倒れてほしいんだ。」

さっきから彼女は何を不安がっているのかわからない。


「大丈夫だよ。何があっても、この世界じゃ死なないんだから。」
「その逆を言っているんだ、私は。」


・・・え?

予想だにしなかった彼女の発言に、思わずきょとんとしてしまった。
彼女はぶすっとしていると言うよりも、本気で心配していた。


「君は元の姿に戻ったんだろう?深水もだ。
 つまり・・・君と深水の本体が幻想郷からこちらに移動した可能性があるんだ。
 私はそれが不安で仕方ないんだ。今まで以上に慎重になってほしい・・・。」

はっとした。


幻想郷での「本体」がこちらに移動してきたという事。
その可能性を今まで考えていなかった。


という事は、ここで死んだら・・・
本当に二度と戻れないんじゃ・・・。


『何を怯えておるのじゃ。馬鹿みたいに危険に突っ込むのがお主じゃろう?
 最後の機会じゃ、二度と戻るつもりが無いならば、この世界を楽しむがいい。』

もう一方では、深水という名の悪魔が俺に微笑みかける。


確かに、俺は時々何かに取りつかれたように危険を冒す。
妖怪化のせいだと勝手に決め付けている。

恐らく、それで間違いないとは思う。

そのたびに生還してきた。
あってないような命だけど、しっかり生きてきたんだ。

残念ながら、命を張っても何一つ、救えた命はなかったのだけれど。

いや、馬鹿小春は俺が助けたのかな。
そんなことないか。ののがいたから何とかなっていただろう

それでも丙さんやエルシャ、道、命蓮さん。
丙さんは俺が動かなくても助かったし、
エルシャは俺が動いても助けられなかった。
道と、命蓮さんは俺のせいで・・・


俺の身近な人は誰一人俺を責めたりなんかしなかった。

道は幸せそうに「ありがとう」と言っていた。
丙さんは、笑顔で「帰ろう」と言っていた。
命蓮さんもまた「ありがとう」と言っていた。


最初はだれも責めない事が逆に苦しかった。
けれども、今となっては違う。


だけど、こんな奴でも幻想郷に生きて戻ると決めたんだ。
命はたった一つだから。


こんな命でも、俺を必要としてくれている人がいる。
罪の大きさを考えると、何度死んでも足りないくらいなのに。


底なしにふてぶてしいけれど、死んでも仕方ない。
死んで償うというのは、責任放棄だと思う。

誰かも言っていた。「償いは、生きる事だと。」


明日になったら、きっと、この悪夢が終わる。
全部思い出して、つつがない日常を送るんだ。

命蓮寺の、「リア」という現代出身の妖怪として。
寺子屋の、「リア」という立派な先生として。

罪を償いつつ、善く、正しく、時々羽目をはずして。

最初から俺は幻想郷で生きていく運命だったのだから。


書きかけの本も、まだ完成していない。

本と言っても、半分日記みたいなものなんだけどね。
今まであった事をまとめた本の、
文章は書けたけどタイトルだけが決まっていない。


題名、何にしようかな。
帰ったらゆっくり考えるんだ。


やりたい事、いっぱいあるんだ。



今しかできない事が、その時々にある。

そのうちの一つとして、俺は学校に行く事を選んだ。







「随分と凛々しくなったよな。雰囲気がまるで別人みたいだ。」

稟が感慨深く言う。
そこに不信感は籠っていない。

やはり、成長期の二年の月日はここまで重かったのだろう。
とは言っても、恐らく妖怪化してから身体の成長はかなり鈍っているはず。

でも、幻想郷で過ごした日々の分、顔つきは変わってくる。

現代にとても戻れるような状態ではないのだ。

もしも現代に戻れるとしたら、妖怪化が完全に解ける必要がある。
もっとも、そんな事が起こるはずがないのだが。


妖怪化が解ける方法なんて、なかったんだ。



彼我さんの意図とは全く逆の結果になったけど、これで踏ん切りがついた。
ここから帰ったら、幻想郷のリアとして、生きていく。

現代の東雲晩秋は、もういないのだから。



「・・・そういや今日、調理実習だぞ。」
「ああ。わかってるって。頑張れ稟。」

俺が稟にガッツを送ると、稟は俺の背中に突っ込みを入れた。

「お前もやれやー。しばくぞぉー。」
「ひっでー。怪我人にやらすなよ。お前に包丁持たせたくねえわ。」

「俺、超包丁さばきうまいよ!」
「0点だな。いや、−573点。」

「よし、家庭課室でお前捌くわ!」
「おいやめろばかやろう」

お互いに目を見合わせて、一緒に馬鹿みたいに笑った。




でもちょっとだけ、現代に未練があるのは内緒だ。










「・・・で、こうして三人で皿洗いか・・・。」
「あんた達が包丁で遊んでたからでしょうに・・・」


ここまでの経緯を三行で説明します。

包丁で遊んでたら先生がマジギレ。
昼休み返上で皿洗い。
茶汰野さんがとばっちり。


「薄暗い家庭科室ってなんかやだね。」

俺は左手で台をふきふきしながらそんな事をぼやく。


「・・・あっ。」

「「?」」


不意に茶汰野さんが声を上げて、入口に駆け寄る。
そう言えば入口が開いてたね。

扉をゆっくり閉める音。


茶汰野さんは昼休みに皿洗いしている醜態を、
他人に見せたくないからなのだろうか?

まあとばっちりだし、仕方ないよね。ごめんなさい。



・・・そして、彼女は無言で鍵をかけた。


あれっと思うが否や、背後から急に両肩の間を腕が通り、羽交い絞めにされた。

「稟・・・?」

確かに稟だった。
流しの水の音は、流れっぱなしだった。


稟は相変わらず無言だったが、稟は異常な力で俺を抑えつけていた。
妖怪化しているのに、振りほどけない・・・。


「何のつもりだっ・・・おいっ!」


ふざけているにしてはあまりにも様子がおかしい。
顔がまったく笑っていない事に、恐怖を覚える。


頭突きでもかましてやろうかと考えた瞬間だった。





スラリという金属音が、背後で響き渡る。





正面に向き直ると、無表情の茶汰野さんが包丁を持って、
のっぺらぼうのように立っていた。




胸が、嫌な悲鳴を上げていた。




つづけ