東方幻想今日紀 百六十一話 幻覚

「はい、何かおっしゃる事はありませんか?」


「チャイムが聞こえませんでした。」

「いい度胸だなてめえ。何か一発芸しろよ。」


しょうがないじゃないか。
ドアを開けたら、皆白衣で物音ひとつさせずに座っていたんだもの。

なんかの宗教かと思ったわ。


「遅刻芸です。」
「俺が教師じゃなかったらお前を殴っていたところだ。」


教室からどっと笑いが起こる。
俺の記憶ではこういうやり取りは珍しいはずなのに。

あ、一発芸のくだりか。それなら笑いは起こるかも。


「ところで東雲。白衣は。」
「あ、迷子です。」


よし、うまいこと言えた。


「お前の単位が迷子だろうが・・・まあ座れ。」


なんか死刑宣告された気がする。
気のせいかな。








「なんで自爆してんだよお前・・・熱でもあるのか?」
「んー、いや。そんな事はないけど。」

心配そうな稟の視線が痛々しかった。

やばい。幻想郷での立ち振る舞いが染みついている。
何か行動を起こすたびにぼろがでてるんだ。


もう、今までの俺じゃないんだ。


優等生やってきたのだろうけれど。
それは、もうおしまいである。


・・・あまりこれは考えたくないけれど。



もしかして現代に戻っても、
どんどん立場が悪くなっていくんじゃないだろうか。

なじめなくて、憂鬱な気分になってしまうのではないだろうか。

まあ、それに慣れるためのリハビリなのだろうけど・・・。

・・・あ。

もっと、もっと大切な要素があった。


幻想郷に来て、もう二年近くになる。
という事は、俺は実際に18歳くらいの年齢ということだ。

精神的にも、身体的にも。


・・・今の俺は、記憶の中の俺。

16歳の当時のままで居続けられるし、
変わったのは精神的な面だ。



でも、元の世界に戻ったらそうはいかない。
成長期の二年は、ちょっと雰囲気が変わった、じゃ済ませられない。


「ほら、実験やるぞ。リービッヒ冷却器持ってきて。」


考えごとにのめりこんでいると、稟が急に声をかけてきた。

「あ、ああごめん。・・・なにそれ?」


蒸留の実験だろうか。
器具を見ていると、なんとなく教科書の一ページが浮かぶ。

「大丈夫、俺が取りに行くから。」

俺が首をかしげたのとほぼ同時に、
ヒカリがあわてて前の机にリーなんとかってのを取りに行った。


・・・ヒカリが擁護してくれた。
一体何のつもりなんだろうか。


本当にヒカリの目的がわからない。
彼がこの世界に元々存在しえないのは分かった。

もうおおよそ、彼の正体は絞り込まれた。


俺の記憶に吹き込まれた「偽の記憶」という可能性。

もしくは、何らかの形で外部から侵入してきた可能性。



どちらにせよ、何かの「目的」がある。
前者ならば操り人形、後者ならば黒幕。

でもそれは、あくまでも彼を「敵」と仮定した場合だ。

何よりも気になるのが、その名前。
ヒカリの本名なのかは分からない。

油断させるための偽名の可能性だって大いにあるわけだ。


あまり疑いたくないけれど、この世界ではもうあの三人しか信用できない。


「おっけ、実験始めようぜ!」
「あ・・・うん。」

準備が整ったようで、稟が静かにエタノールをフラスコに注いだ。







実験は失敗した。
なぜなら、俺が手順を間違えて試験管を割ってしまったからだ。


ガラスの細い容器なんて二年ぶりに触ったんだからしょうがないね、うん。
だって割れないように優しく握るんだよ?

妖怪の力とのギャップが半端ではない。



「なあ、ヒカリ。一緒に図書館いかない?」
「ん?いいけどー・・・うわ、手痛そう。大丈夫か?」

保健室の帰り、昼休み。
包帯でぐるぐる巻きになった手を見て顔をしかめるヒカリ。

ちなみに額にも絆創膏があるのだ。
だってコンクリートにごっつんこしたんだからな、えっへん。


尋ねたのはちょっとした魂胆がある。


図書館には二人がいる。


あえて簡潔に言うなら。

正体を暴いて、止めるか、訳を聞くか・・・それとも戦うか。


目的はそれだけである。
稟はトイレに行っている。この間がチャンスである。


ただ、正体を暴くといってもどの程度暴けるのか見当もつかないが。


「なんか借りたいものでもあるのか?」
「んー。ちょっと経済を勉強したくてさー。」

ヒカリの口角が若干上がった。

「そっか。」

それだけ言うと、彼は図書館の方へ早歩きで進んでいった。

「・・・?」

わけもわからず、俺は首をかしげた。
恐らく、わざとらしいから見透かされたのだろうか。

改めて、彼はここの世界の人間じゃないと思った。

ため息をついて、彼に続こうと一歩を踏み出したその瞬間だった。

「・・・わっ!!」

「うひぃっ!?」

心臓が飛び出すかと思った。
後ろを振り返ると、そこにはにやついた顔の稟がいた。


「俺を置いてどこ行くんどこ行くん?」
「お前なあ・・・死ぬかと思ったわ。」

もうトイレから出てきたのかこいつは。
腹痛だとか言ってたからもっと時間かかると思ってたのに。


「って、早く追わないと!図書館に行くぞ!」
「えっ・・・?」


話しこんでいる時間は無い。

俺は図書館へ一目散に駆けだした。
彼が何をするかなんてわかったもんじゃない。

図書館に着いたら二人とも血だるまだったなんてやめてくれよ・・・

縁起でもない事を考えながら、俺はひたすら図書館への道を急いだ。





ナズーリンッ!彼我さんッ!!」

大きな音を立てて、息せき切って図書館の扉を開け放した。


図書館の中には、たくさん生徒がいて、静まりかえっていた。
あれ。

知っている人は誰もいない。

ただ、顔も知らない生徒

ぽかんとして座っているたくさんの生徒。
鳩に豆鉄砲を撃ったような顔の国語の先生。

そっか。ここは授業で使うんだったね。

いやあ、大誤算ダイゴさん。


「トイレかと思いました・・・」


そんな事を呟いて、扉をゆっくりと閉め、くるりと方向転換。

・・・あとは野となれ山となれ!逃げろ!!!


下の階に全力ダッシュした。息が苦しかったのをよく覚えている。



それにしても、あの二人は今どうしているんだろうか。
授業が始まった時二人は教室から出て行ったのだろうか。


・・・待てよ。



今は、昼休みだ。
チャイムなんて鳴っていない。


ということは。



・・・幻覚か!!



取るものもとりあえず、図書館に引き返した。
もう息は限界だった。

お願いだ、二人とも無事でいてくれ・・・!


だってあんな幻覚があったということは、俺がいたらまずいという事で・・・!


再び、今度は少しゆっくりと図書館の扉を開け放し、叫ばずに中を凝視した。


目が点になった。




そこには、
ネズミ耳の少女が紺色の髪の少年を締め上げている光景があったのだから。
まったく理解できないその光景に少しの間、俺の思考は止まっていた。

彼女に急いで駆けよると、ナズーリンは割と本気で首を絞めていた。

「・・・何してんだお前。」
「いや、手加減しているせいかなかなか正体を吐かないから困ってるんだが・・・」


「そりゃ、気絶してるんだから吐くものも吐けないわな・・・
 って早く放せ!!本当に死ぬぞ!!お前の腕力で加減できるわけないだろうが!」

「あっ、そうか・・・すまなかった。」

かわいそうに、妖怪の自称手加減の超絶腕力でヒカリは泡を吹いていた。
・・・大丈夫、まだ息がある。

それにしても、こんな異常な状況で冷静でいられる俺って一体・・・

これも妖怪化のせいなのだろうか・・・

「なんでも妖怪化のせいにしないで下さいよ・・・あなたが幻想郷に長く居すぎただけです。」

突然後ろに現れた彼我さんが言う。

「すみません・・・」

彼我さんの言うとおり、考えてみればそうだ。
なんでも自分の都合の悪い変化は全て妖怪化のせいにしてきたんだ・・・

今は人間の体。
幻想郷のもので残っているのは価値観や考え方だけ。

「・・・でもリアさんを遠ざけてまで情報を聞き出そうとしたのにこれでは・・・」
「あんたのせいだったのか・・・。」

幻覚の犯人は彼我さんだった。
ものすごい紀憂だった。

というか、情報の共有はどうした。
なぜ俺をのけものにしようとしたんだ。


突っ込み所は山ほどあるが、まあいい。


「とりあえずヒカリを涼しいところに運ぼう・・・」

少年の彼の両腕に手をかけた瞬間だった。


彼の腕は少し重く、硬かった。
・・・ヒカリの腕、こんなに華奢だったっけ?

顔を見ようと顔を上げた瞬間に、背筋が凍った。


思考が止まった。



重そうに目蓋を閉じていたのは、よく知るネズミ耳の少女だったのだから。





見回すと周りには、誰もいなかった。


点いていたはずの図書館の電気も消えていた。



この静かで広い図書館にたった二人。




「嘘・・・だろ。」







・・・そして、俺はたったひとりになった。





「・・・リアさん。目を開けてください。」

ふと聞こえてきた声が記憶なのか、音声なのかはわからない。
ぼやけた白っぽい視界の中で、目を硬く閉じた彼女を見つめた。


「・・・もしも、あなたが危険にさらされた時、額に手を当てて
 『助けて』と呟いてください。そうすれば、助かります。」

だれかが、そんな事を呟いた。


訳がわからないまま、俺は額に手を当てた。
熱い大粒の涙が、目元からこぼれおちて、冷たい少女の手の上に当たった。





「助けて・・・」









つづけ