東方幻想今日紀 百五十九話 白彼我さんと、姿の見えないだれか

「英語のワークシートやってきた?今日提出だよ。」

「えっ」

「珍しいな、シュウがやってこないなんて。」

ヒカリは、さも前から知り合いのような態度で話しかける。
そして稟が俺に驚きのような視線を投げての一言。

「いつの?」

「あー、そうだな、先週に出された範囲だな。」

やってあるわけねえだろばか。
この世界に来たのは昨日だってのに。

あーあ、課題すっぽかした事なんてなかったのにな。
何でこの世界に来るたびに俺の地位が失墜していくんだよ。

まあ、どうせこれも現実ではないし。


「そうだ、ところで今日の占い見た?おうし座最下位だって!」
「じゃあシュウ今日誰かに殺されるんじゃね?」

「日本でそう簡単に殺されてたまるか。」

・・・ただ、見方を変えると。


「まあ、俺もおうし座だから俺も殺されちゃうんかな?」
「じゃあ、俺お前らの葬式行けないわ犯人俺だもん。」


この三人で一緒にいるのが「あたりまえ」の雰囲気だった。
それが、ちょっぴり怖くて。


ヒカリって・・・何者なんだろうか。

俺にそっくりで、考えれば考えるほどわからなくて。
一体、彼は誰なんだろう。

「じゃあ俺よみがえってお前殺すわ!シュウも二度目だね!」


こいつらはいつまで不謹慎トークしてるんだ。



それに、「殺す」なんて言わないでほしい。

そんなにやすやすと言っていい言葉なんかじゃない。


・・・何よりも、その単語を聞いただけで、あの夜の光景がフラッシュバックしてくる。
あの血のにおいと、笑っている道の幸せそうな顔が、頭からこびりついて離れないのだ。






「廊下に立ってなさい。」

英語の先生なんてきらいだ。




一時間目、宿題を忘れたという理由で無慈悲に立たせられる俺。
俺の英語の先生はとても気まぐれなのだ。

時には自分で出した宿題の存在すら忘れる。

もしも俺が慧音先生に出会っていなかったら、
教師に対するあこがれなど毛ほども抱かなかったに違いない。


担任の先生も淡白で、あまりいい先生ではない。





やっぱり、元の世界なんて・・・





小さくため息をついた瞬間、ある考えが頭をよぎる。


この授業だけ抜けだして、ナズーリンにこれだけ報告しよう。


頭のいい彼女の事だ、少しのヒントで色々な事がわかってしまう。
だから、事態が進展すると信じて。


きっと、俺の事だから先生はまさか俺が抜けだすとは思うまい。
ここは現実の世界じゃないんだから、何をやっても大丈夫だ。


ただ、ナズーリンと深水だけは俺と同じように記憶を抜き出した「本物」である。

彼女らに何かがあったら、影響は残ってしまう。
だから、注意を払う必要はある。


廊下をそっと抜けて、階段を静かに下りる。
あたりまえのように、誰にも見つからなかった。


そして、図書館までの渡り廊下に辿り着くと、足を忍ばせて、でも全速力で走る。


特に何があったわけでもない。
でも、彼女に今の事を報告したいのだ。


退屈だなんて口実を考えながら、足取りはウサギのように弾む。


角を曲がろうとして、図書館に差し掛かるその瞬間だった。
視界の端に一瞬、人影が見えた。

「わっ・・・」

あわてて急ブレーキをかけて、その場で止まる。

顔を正面にすると、そこには見慣れた緑の瞳があった。


「どうですか、現代は。楽しんでいますか?」

目の包帯。深い緑色の髪。
無表情のように、笑っていた。

彼我さんを目の前に、力なく笑うことしかできなかった。

こういう時、どうすればいいのだろう。
素直に楽しいですと答えればいいのだろうか。


この、窮屈な世界が、楽しいと答えればいいのだろうか。


「黙ってても分かりませんよ・・・おや、どうしたんですかこれ?」

「わっ・・・え?」


彼女が途端に近づいて、俺の額に手を当てた。
何か不思議なものを見るような目だった。

少しの違和感を覚えた。


「これは何でしょうか・・・凄く嫌な感じですね。」
そして、腫れものを見たかのような反応をする彼女。


これは、演技なのか。はたまた、忘れているのか。
彼女のする事はまったくわからない。


特に、今は彼女自身の悪夢に取りつかれている状態である。

何を言ってもおかしくはない。

いや、悪夢から覚めて普通の状態なのかもしれない。
もしかしたら、彼女は二重人格なのかもしれない。

色々な憶測を脳内を駆ける。

まさか、とぼけているわけでもあるまいし・・・

そんなとりとめもない事を考えながら、彼女をぼうっと見つめる。


「あの、ひとつ尋ねてもいいですか。」
「それよりも、楽しそうでなによりです。」


気になる事を尋ねると、さらりとスルーされてしまった。


また彼我さん、あの悪い癖を・・・せっかく治ったと思ったのに。
あーあ、克服したと思ったら、また戻っちゃったか。


まあ、長年の癖はなかなか治らないというし・・・。


・・・待てよ。



頭の中が一瞬静まり返り、時間が止まった。


長年の癖は、そう簡単に治るものだろうか?
たった一つの出会いなんかで、変わるものなのだろうか?



・・・もし、変わらないとすれば。



雷が、脳天を通り抜けた。




・・・違う。


違う!



元々、彼我さんは克服なんかしてない・・・。
だって、今こうして喋っている彼我さんは・・・


念のため、もう一度質問をぶつけて確認しよう。


化けの皮ならば、はがすまで。


「話をそらさないでください。質問には答えてくださいよ。
 この額のこと、とぼけるつもりなんですかっ!?」

「ひうっ!?う・・・。」

彼我さんは一瞬身体をビクンと震わせて、虚ろな目でこちらを見つめた。
そして、すぐに俯いて口ごもってしまった。

瞳には、綺麗な水を湛えていた。


思わず、尋ねた瞬間に口を押さえてしまったくらいだ。

罪悪感が、つきつきと胸を刺す。

だって、彼女が質問に答えないのは、パニックになってしまうからで。
意地悪や、遊んでいるわけじゃない。

その姿は、普段の彼我さんからは想像が付かなかったけれども。


・・・それでも彼女は、紛れもなく彼我さんだったのだ。






全てが、一直線につながった。





「・・・彼我さん、よく聞いてください。」

「は・・・はい・・・。」


彼女の小さな声は、震えていた。



本当に、ごめんね。


でも、おかげで分かった事があったんだ。



俺は、彼女の肩に手を置いて、もう驚かさないようにゆっくりと、口を開いた。



「ちょっと前、俺達の世界に悪い奴が侵入しました。」





それを聞いた彼我さんの表情は、凍りついていた。





つづけ