東方幻想今日紀 百五十八話 存在するはずだった未来の記憶

「大事な事を忘れていたんだが、忍び込むのならば私服でよかった。」
「いまさら何を言っているんだお前は。」

可憐な制服姿のプラスを全て奪い去る無表情な声で、ナズーリンが言い放つ。

朝。ナズーリンが切符を買い損ねたので結局電車に間に合わず、自転車の二人乗りとなった。

急いで漕ぐものの、背中の温かい感触が気になってときどき足が止まってしまう。
お腹に回す手の温かみも、意識するたびに気になって注意を怠ってしまう。

心臓の早鐘を悟られないように、胸に回してきた手は払った。

正直、こんな調子で間に合うかとても心配である。

空は鈍曇り、空気もなんとなく湿っていた。
それをまったく気にかけなかったのは、失敗だったのだろうか。

「じゃあ、こんな格好をしなければよかったな・・・。」
「忍び込むのは諦めて送り迎えのみにすればいいんじゃ・・・」

小さくため息をつくナズーリンが見てられなかった。

「この髪留めも、もう取ってもいいかい?」

髪留めなんてしていたっけ?

そう思い後ろを振り向くと、なるほど確かにかわいらしいヘアピンが彼女の灰色の前髪に
「リアッ!!前!前!!」

「えっ・・・うわわっ!!」


彼女の叫びを聞いて、あわてて視点を前に戻した時にはもう遅かった。
目の前の人影が一瞬で近くなって、俺はハンドルを思い切り右に切った。

ガシャンと乾いた音がして、そのまま俺はコンクリートに投げ出された。







「ててっ・・・」
「だ、大丈夫?」

頭の辺りがひりひりする。
腕がうまく上がらない。打撲したのかもしれない。

うっすら目を開けると、そこには心配する制服少年の姿があった。
深い紺色の髪の毛と、気の弱そうな瞳は、すぐに誰かとわかった。

何よりも、ウサギの帽子。

でも、記憶と違うのは、その帽子はまったく汚れていなかった事だ。

「あれ、ヒカリ・・・?」
「う、うん。痛くないか?」

という事はここは幻想郷で・・・彼我さんの夢が、解けたのか?

「本当に君は注意力に欠けるな・・・これだから不安だったんだ。
 君は驚かせてすまなかったな。」

ナズーリンが怪訝そうに制服を払いながら頭上で言う。
さっきから集中力かき乱しまくっていたお前にそれは言われたくない。

後半の君は、ヒカリに言ったものだろう。


ゆっくり起き上って、状況を確認する。

鈍曇りの空。

真顔のナズーリン
案じるように顔を傾けるヒカリ。

二人とも、制服だった。

コンクリートの道。

倒れた自転車。



幻想郷じゃ・・・ない。

でも、ヒカリがいる。
それも制服姿で。

頭の中が、混乱して機能しない。

「急いじゃって珍しいな、まだ少し時間があるから一緒に行かないか?」

頭を抱えた俺に突然話しかけるヒカリ。
困惑したまま、俺は口をえの形にして固まっていた。

「行くって・・・どこに?」
「学校でしょ?何を言ってるのさ。あと15分あるから早歩きで間に合うさ。」

「ああ、うん・・・。」


ヒカリは、ここの生徒なのか?

もしかしたら、俺が忘れているだけなのか。
妹、小春のように、完全に記憶から消し去られていただけなのだろうか。

だとしたら、また申し訳ない事だと思う。

・・・・待てよ。


もし、彼が記憶を失って、幻想郷に来たのだとしたら。
そして、彼が俺を忘れていたのだとしたら。

俺も彼を忘れていて。


とすると、とても不可解な話である。

俺は彼を見てヒカリとわかったが、幻想郷で同一人物と思われる彼を見たからだ。
その前にこの状態で出くわしていたのならば、俺は彼の名前がわからなかったのだろう。

そして、彼の名前を調べても、小春のように空白しか出てこないのだろう。

つまり、幻想郷の彼と、今目の前にいる彼は同一人物なのである。


そうであるならば、ヒカリは元々この世界の人間だったのだが、
ふとしたはずみで幻想郷にやってきたのだろう。

でも、こんなにも俺と波長が合うのはどうしてなのだろう。
自分と同一人物だとしか思えないのに。


幻想郷、現代、科学の発展した世界。丙さんのいた世界。

どこにも、俺と同一人物に当たる人はいた。

現代は俺。
科学の発展した世界は小春。
丙さんの世界では、メルシアくん。

幻想郷では、ヒカリがそれに該当すると思っていた。


でも俺の仮説が正しければ、ヒカリはここの人間である。
じゃあ、俺は?

間違いなく、ここの人間だ。それは紛れもない事実である。


・・・あまりにもややこしすぎて、頭が壊れてしまいそうだ。

「わかった。一緒に行こう。」

とりあえず俺も知り合いだという事に話を合わせて、学校に行く事にした。

ひとつ気になるのは、ナズーリンが、とても複雑な表情をしていたこと。






「いいか、私は図書館で待機している。何かあったら3分で駆けつけるから。」
「うん、ありがとう・・・。」

遅いにもほどがある。
そんな事をほざいたらたぶん埋められるから黙っておいたけど。

でもそれは仕方ない。

俺たちの教室は図書館とは違う校舎なのだ。
だが、図書館は基本的に空いているし、そこから教室が見える。

階段を3回往復する必要があるから遅くなるのは必然である。


今俺たちは人気のない、図書館の前の廊下にいる。
本を返すという口実でヒカリと別れたばかりである。

どうやら、ヒカリは俺たちのクラスと同じらしいのだ。


「・・・ところで、ヒカリとやらのことで、奇妙な話があるんだ。」
「え?」


元々奇妙な事ばかりであった。
だが、俺の失われていた記憶の中での彼である。

俺が不可解に思うのも仕方がない。俺はその記憶を失っているのだから。

だけど、どういった訳かナズーリンはその記憶を捜しだせる。
俺が失った記憶を、捜しだすことが可能なのだ。

前この世界に来た時はヒカリは存在していなかった。
少なくとも、教室にはいなかったし、空き席もなかった。


「彼についてなんだが、私の記憶と置かれている状況が矛盾していて困ってるんだ。」
「どういうこと?」

ナズーリンに問いただすと、彼女はその細い眉をさらにしかめた。

「君がヒカリと呼んでいる彼は・・・君の甥だ。」
「ああ、甥だったのか。なるほどね。」


だから行動も似ていたし、意思疎通も容易だったのか。
これなら同一人物と思っててもしょうがない。

なんだ、全部解決したじゃん。

まあ、強いて言うのなら・・・。


「おい、今何と言った。」
「甥だけにか。面白いなあ君は。」

ナズーリンが途轍もない棒読みで返す。

待ったなしに凄い事を言われてしまった。


甥と言えば、兄弟姉妹の息子。
つまり、普通に考えるのならば、小春の子供と言う事になるが。

小春に子供がいるとは考えられない。

というか、あり得ない。
いたらお兄ちゃん泣くからなマジで。

「それは、本当なの・・・?」

「私にわかるか。ただ、君の妹は中学生だ。しかしその息子は高校生だ。
 これはありえない。それは私にもわかるんだが・・・
 今の私には、君の名前がリアだというくらいはっきりと記憶にあるんだ。」

ナズーリンが苦悶の表情を浮かべて口をぱくつかせる。
恐らく、一たす一は二になる事くらいの「常識」としてインプットされているのだろう。




情報を整理しよう。
・・・ここからわかる事はいくつかある。


まず、この世界では俺の記憶を頼りに構成されている。
ヒカリが突然現れたのも、ナズーリンが俺の代わりに思い出してくれたからだ。

彼女の能力が他人の記憶まで捜しだせるようになっていたのは驚きだが・・・。

もうひとつ。ヒカリは小春の子供だとすると存在できない。
つまり、ヒカリが何であるかを考えるのは、いくつかの可能性から選び出す必要がある。

俺の甥であるとするならば、条件がある。

俺にもっと大きな兄か姉がいる事。それもかなり年の離れた兄か姉だ。
しかもそれが隠し子か、家族からいなかったことにされている必要がある。

・・・しかし、それはちょっと考えづらいだろう。

もしかして、俺が忘れているだけか?
いや、その線も薄そうだ。

ナズーリンが来た事によって色々クリアになっている。
これ以上新しい記憶は出ないだろう。

だとしたら、ナズーリンの記憶違いだろうか。

そもそも、彼女の記憶ではないのだ。、
俺が失っていた記憶を、彼女が拾い上げているだけなのだから、俺の記憶違いか。

つまり、甥という情報が間違っている可能性が一番高い。

ヒカリの正体がだんだんわかってきた。


彼は、元々この世界の人間なのである。
そして、彼は幻想入りしてきた。

・・・ただ、何者であるかまではまだわからない。


そう考えると、ますます気味が悪い。
考えるのはもうよそう。

あと数日はここにいる。一緒にいるだけでそのうちわかってくる。

それに彼我さんが信用できない時点で何があるのか分からないのだ。
彼女がこの世界においてもう何も手出しできないという情報も、信用に足るものじゃない。


彼我さんが言った、額に手を当てて、助けてと呟く行為。
あれが何を意味するのかは分からない。額に何を埋め込まれたのかすらわからない。

だけど、間違ってもそんな事を言ってはならない。罠の可能性が高い。

彼女はよくハッタリをかますので、そのうちのひとつかもしれない。
つまり、あの行動に何の意味もない可能性だって十分にあるのだ。

もしかしたら、危機感を感じたまま現代の生活を体験することで、
より現代の生活に適応できるのかもしれないし。


彼女は案外ああ見えて過保護なのかも。

彼女は現代がいかに安全かよくわかっていないのだ。
そうそう幻想郷のように危険な目に遭う事なんてない。

だから、現代の感覚を忘れていた俺を案じて、あんな小芝居を打った可能性もある。

そうだと信じたい。

障夢異変の時の彼女がそうだった。
自分に悪夢を見せて、悪役を演じ切ったのだった。

同じような事をして、俺を頑張って現代に帰そうとしているのかも知れない。


ここまで考えると、少し気持ちが落ち着いた。


小さくため息をついた瞬間に、チャイムの音が鳴った。
身体をちょっと震わせると、俺は我に返った。

「・・・随分と考えていたんだな。解決したかい?」


ナズーリンが穏やかな表情で俺に問いかける。

「うん。解決した。時間がないから行ってくる。」
「・・・行ってらっしゃい。頑張ってくるんだぞ。」



小さく首を縦に振ると、俺は教室に向かって走り出した。
走りながら後ろを振り返ると、彼女は手を振ってくれていた。

俺も手を振り返そうと手を挙げた瞬間に、視界から火花が飛び散った。
頭が何かに弾き飛ばされた。視界がグラリと傾いた。


すごく痛かった。



コンクリ壁に思い切りぶち当たったと気が付くまで、微笑んで倒れていたと思う。



あまりの激痛で微笑んでいると人が集まってきた。



この先が心配である。




つづけ