東方幻想今日紀 百五十六話 訪れる黒幕の足音

「やっと、一息つけるな。」

ナズーリンの安堵の声。


「うん・・・。」

周囲の視界は、家のリビング。
妹と、深水も一緒である。


俺は、どうやら熱を出していたのだ。

でも、さっき見た悪夢は、現実だった。


夢の中の、現実。





俺は稟に首を絞められた。

いや、違う。


稟の姿をした、誰かに。殺されかけたのだ。
もしかしたら、殺すつもりはなかったのかもしれない。

そんな時、深水と、ナズーリンが割って入ってきてくれたのだ。


下手をすると、あの時、死んでいたかもしれない。



そう、それは遡ること数時間前。



「終わらせる・・・愚かしい。
 リアさんがいないと、あなたは何もできないでしょう?」

「ふっ・・・それはどうじゃろうか・・・。」


両者は、薄暗い車内でにらみ合っている。
少なくとも、声と、雰囲気だけでそれは大方わかる。


・・・だが、ひとつだけ違和感を感じていた。


「さて、これから何をするつもりですか?」

「決まっておる。お主に、ここから立ち去ってもらうのじゃ。」


すごむ深水。
押された暖簾のようにいなす、稟の皮をかぶった誰か。


だけど、何かがおかしい。


妹を探していた、とは。
俺の本当の妹の事だろうか。


それとも、深水とナズーリンのどちらかを指しているのだろうか。


そもそも、どうしてこんな事が起こっているのだろうか。


真っ暗な視界の中、頭がごちゃごちゃになっているところに、
少年はふっと息を漏らす。


空気は、相も変わらず張っていた。



「・・・わかりましたよ。ここから立ち去ります。」


捨て台詞のように言った稟の形の少年の声は、含みがあった。


「やけに簡単に飲んだのう・・・決して動くなよ皆の者。
 何があるのか分らんのじゃ。」

「・・・まあ、どう捉えるかはあなたの自由ですが・・・
 重ねて言いますが、動かないでもらえますかね。」

それだけ言うと、静かな足音がこちらに近づいてきた。


「リアに、近づくな。」
「構えた瞬間に、あなたは消えますよ。」

「ぐっ・・・」

少女のギリッという嫌な歯ぎしりの音が、こちらにまで聞こえてくる。


「・・・リアさん。目を開けてください。」

自分の目蓋も、恐怖で震えているのがわかる。
…恐る恐る目を開くと、そこには優しく微笑む、彼我さんの姿があった。


「・・・。」


何も感じなかった。


やっぱりかという確信もなければ、信じられないという驚きもない。
ただただ、目の前の事実を、受け入れていたのだ。

彼我さんが、優しく俺の手に触れた。

両手をそっと握って、俺の額に、優しくその手を押し付けた。


全身を、しびれるような快感が襲う。
眠気のような、高揚感のようなものが、ぼんやりと熱い頬を包む。


「・・・もしも、あなたが危険にさらされた時、額に手を当てて
 『助けて』と呟いてください。そうすれば、助かります。」


彼女の言った意味が、よくわからなかった。

でも、これから起こるであろうことは、なんとなく察しが付いた。



そう、その感情は、寒気によく似ていた。



彼女はそれだけ言い残すと、虚空に消えていった。


それとほぼ同時だろうか。
意識が一瞬のうちに消えていったのは。


放物線を描いて落ちるつり革と赤い座席、
茫然とした二人の少女が頭の中に、焼きついた。











時は過ぎ、家のベッドの上で、
濡れタオルを額に置きながら、天井を見上げていた。

あの時、ナズーリンは能力を駆使して深水を見つけ出し、
それとついでに俺も捜し出して、向かったらああなっていたとの事だ。


夢と現実が、ごっちゃになったこの世界で、
俺はどうすればいいんだろうか。

「少なくとも、彼我は敵だという事がこれで分かったな。それにしても厄介だな・・・。」

ナズーリンが考え込むように、そんな事を呟く。

「恐らく、この後何かがあるのじゃろうな。奴の口ぶりから見るに・・・
 ・・・これから、お主は危険にさらされるのじゃろう。何らかの形で。」


ここは、本当に死んでも大丈夫な世界なのだろうか。
ここで死んだら、幻想郷に戻れるのだろうか。

いや、そんな保障はひとつもないのだ。

でも、だとしたら彼女の目的は何なのだろうか。
あの時、額に施したあれは、何だったのだろうか。

疑問が浮かんでは消えていくが、その答えが出る事はない。


「何かが・・・あるんだよね。」

ぼんやりと俺がぼやくと、二人とも眉を強張らせた。

彼女が力尽きる一週間の間に、一体何があるというのだろうか。


「助けて」と言わざるを得ない何かが、やってくるのだろうか。


この世界では、俺は人間そのものである。
記憶の中の自分なのだから、妖怪である部分は入っていない。

妖怪と人間が混ざった本物は、幻想郷で寝ているのだろう。
ナズーリンと深水もまたしかり。

そこまで考えたところで、ドアが開く音がした。


「秋兄、入ってもいい?」
「・・・もう入ってるじゃん。」

トレーで麦茶を三杯持ってきた妹が、ドアを開けて入ってきた。





「なんだ、『小春』じゃないか。わざわざすまないな。」




ナズーリンが、目を細めて軽く笑った。


・・・小春?


横目で深水を見ると、目があった。
同じような顔をしていた。

鳩が、豆鉄砲を食らった顔である。

深水を二度見すると、お互いに口が「え」の形に開いていた。


「はい、ナズ姉、みっちゃん、秋兄。」

「ああ、ありがとう・・・。」
「どうもじゃ・・・。」

笑顔で麦茶を渡す、妹。
少しだけ、首をかしげていた。

「もー、二人ともどうしたの?ぎこちないなあ。」

「ううん、そんな事ない。」
「う、うむ。」


動揺していたので麦茶を一気に飲み干して、妹をまじまじと眺めた。
あの白いウサギのフードのパーカー。

・・・朗らかな目元は、確かに。


あいつに、そっくりだった。


「・・・小春。」


少しだけ、声を震わせながら、妹に向かって声を投げた。

「なに?秋兄。」

小春と呼ばれた少女は、笑顔を返した。


「お、おかわり。」
「儂もじゃ。」


本当は喉なんてもう乾いてなかった。
あと、深水の服はびしょびしょだった。

たぶん、あんまり飲めてない。


ナズーリンは、不思議そうな眼でその様子を見ていた。

小春と呼ばれた少女は、笑顔で階段を下りて行った。
一回つまづいた音がして、音が止まったが、またすぐに勢いのよい足音に変わった。








「深水お前・・・」

「し、仕方ないじゃろう、お主が間を持たせなかったのが悪い。
 ほら、水も滴るいい男と昔から言うじゃろうに。のう?」

水も滴るいい男、じゃねえよ阿呆。


深水め、ベッドで麦茶を吐きやがって・・・


これじゃ、麦茶を嘔吐する性悪女じゃねえか。

吐いたのは本当に麦茶だけでびっくりしたが、麦茶は放っておくと臭う。
早く取り変えないと・・・


シーツを丸めているところに、ナズーリンが軽く肩をたたく。


「ところで、どうしてあの時あんなに驚いていたんだい?」

どうしてもこうしてもない。
ずっと切り取られたように隠されていた、妹の名前をナズーリンは知っていたのだから。

「・・・逆に、どうして小春だって知ってたの?俺の妹の名前・・・」


小春・・・考えてみると、もしかしたら並行世界のあいつは、
このかわいげのある妹だったのかもしれない。

でも、小春は俺でもあって・・・うーん。

結局、ヒカリという名前ではない事は確定したが。


「理由を訊かれても困るな・・・記憶にあったからだろうか。」
「そうなんだ・・・。」

やはり彼女は困っているように見えた。
さも、どうして地球が回っているのかを子供に尋ねられた中学生のような表情だった。


ここで、ひとつの考えが頭に浮かぶ。

もしかしたら・・・彼女の能力で、俺の記憶を捜し出したのだとしたら。
つまり、彼女が俺の失くした記憶を、持っていて。


・・・ああ、なるほど。だから彼女は妹の名前を知っていたのか。


「のう、リア。」

勝手に自己完結していると、すっきりした顔の深水がこちらに話しかけてきた。

「何だ深麦茶。」
「消されたいのじゃろうか・・・?」

「ごめんなさい嘘です。滅相もありません。」

深水が怖かった。何でそんなに怒るんだ。怒りんぼさんめ。

深水は軽くため息を付くと、仕切りなおした。


「明日は学校を休むのじゃ。」
「・・・いや、無理。」

「あんな事を言われて、どうして出かけようと思うのじゃ!?」
「ああ。私もそう思う。出かけない方がいい。熱もあるんだ。」

二人は頑なに俺を制止した。

・・・でも。


「・・・家にいたって同じ。熱もどうせ下がる。
 何よりも、向こうに行けば稟やクラスメイトがいるんだ。危ないわけが・・・」

「そのクラスメイトや稟は、誰が作ってるんだい?」

「あ・・・」


言われてみれば、確かにそうである。
彼我さんが仕組んでいる以上、この世界の神は彼我さんなのである。


でも、心のどこか底では、彼女じゃないような気もしていた。
彼女の可能性は強いけれど、そうじゃないかもしれない。


「まあ、こういった状況の中で、信じられるのは私たちだけだ。
 どうしても行きたければ・・・。」

「行きたければ・・・?」


俺が尋ねると、深水とナズーリンが、同時に口元をほころばせた。


「・・・私たちも、一緒に学校に行こう。」
「そうじゃ。それが一番じゃな。」



「・・・え?」



二人の目は、本気そのものだった。
少しの不安を覚えつつ、時間差で、俺は首を縦に振らざるを得なかった。




時は既に、深夜に差し掛かろうとしていた。




つづけ