東方幻想今日紀 百五十四話 未練は、思い出に変えてしまおう

「あれっ、シャクナゲさん。珍しいね。どうしたの?」

「いえ、ちょっとリアさんの様子を見に来ただけですよ。
 最近、彼はどうですか?元気でやっていますか?」

「今日は朝からぐっすり寝てるよっ。
 連日の疲れが出ちゃったんだと思うな。
 お休みの日は、休むのが一番っていうもんね。」

「そうですね・・・上がってもいいですか?」

「うん、どうぞっ。シャクナゲさんなら、安心だし。」

「はは・・・買いかぶられたものですねえ。」


シャクナゲ、と呼ばれた青年は、
頭を掻きながら命蓮寺の玄関へ入った。




青年の口角は、上がっていた。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「・・・そっか。いないのか。」
「うん・・・秋兄、ナズ姉とみっちゃんに何か変な事でも言ったの?」

妹の無垢な、案ずるような視線から、俺は目をそらした。

みっちゃん・・・そういえば深水の下の名前、光(みつ)だったな。


変な事・・・大いに言った。

深水の事を考えずに、
勘違いとはいえ、差し伸べたその手を払ってしまった。

ナズーリンは恐らく、後でそれに気づいて、
責任感からだろうか、きっと深水を捜しに行ったのだろう。

・・・ただ、もっとも責任を感じるべきは、俺なのだろう。


特に、深水にだ。

もう、自己嫌悪なんて、いらないんだ。
もういい。


だから、今は前へ進もう。


絶対に深水も、ナズーリンも見つけ出して、謝る。
そして、自分を好きになれるように、頑張っていけばいい。


「・・・あのさ、昼は外で食べてくる。」
「そっか。がんばってね。」


ん。俺が何をしようとしているのか、わかるんだ。
ふと、小さく微笑んだ妹が、フードをかぶった。

フードをふざけてかぶせた時のように。


・・・ウサギの、フードである。


その時だった。


頭に電光が駆け巡るように、目の前の少女と重なった姿があった。

・・・それは。

屈託のない笑顔で笑う、薄汚いウサギの帽子をかぶった、少年。
彼女の姿はあの少年、ヒカリとまったく同じ笑顔を浮かべていた。


まさかとは思うが・・・


「ねえ、ヒカリ。」

俺が彼女にそう呼びかけると、小首を傾げた。

「ヒカリって、だれ?」
「・・・え?」

彼女は、きょとんとしていた。

あれ・・・ヒカリは、並行世界、
すなわち幻想郷の俺の妹じゃなかったのか・・・。

でも、この雰囲気と、笑顔・・・何よりも、
フードと帽子という違いはあるものの、このウサギのかぶり物は一緒である。

「秋兄、私は  だよ?まだ寝ぼけてるの?」

だめだ。やっぱり聞こえない。
どうして、彼女の名前だけ聞こえないんだろう。


いつか、いつかお前の名前を、笑顔で呼べる時がやってくるのかな。

その時が来たのなら・・・


「ごめんごめん。じゃあ、行ってくるよ。」
「うん・・・。」

少しだけ目を伏せった妹に背を向けて、俺は飛びだすように家を出た。



「少しだけ、帰りたくなってきましたか?」

彼我さんとふたり、コンクリートの道を歩く。

普段の彼女は、幽霊みたいだ。
でも、ここでは違う。

「まあ、そうですね。でも妖怪化している以上・・・」

「筒抜けなので、嘘はやめてくださいね?
 あなたが妖怪化していることは、逃げ道なんですか?」

彼我さんは、ここにおいては神様なのだ。

さっきのスーパーへ向かっていた足が、止まった。
この世界において、彼我さんに隠し事なんてできないんだ。

彼女の思わぬ強い言葉に、思考が止まった。

「そ、そうだよね。ごめんなさい・・・」

俺が力なく照れ笑いをすると、彼女は軽く口に手を当てた。

「ん・・・まあ、幻想郷は思い出とすれば・・・。
 幻想郷で学んだ事は皆、あなたの人生の糧になりますから。
 でも。この世界が足枷になっちゃ、駄目なんですよ。」

確かに、そうだ。

元の世界に戻るならば、幻想郷に未練を残してはいけない。
一年前、俺は帰りたがっていた。

もちろん、それが正しいのだ。

家に帰ったら、あの温かい妹も、優しい両親も待っているんだ。
ケータイだって、お願いして買ってもらうんだ。

・・・そしたら、また喧嘩になったりして。

俺が軽く笑うと、彼我さんも笑った。
お互い、複雑な表情だった。


「でも、まだ帰れるとは決まってませんし・・・ね。
 肝心の、帰る方法を見つけていないじゃないですか。」

「・・・。」

彼我さんの口元が、一瞬だけ大きく歪んだ。
そして、しばらく黙りこんだ。

「・・・?」

彼女の顔は、少しの間、苦悶の色を見せていた。
そして、ある時を境に、すぐさっきの苦笑に変わった。

「いえ、博麗の巫女はあなたを帰す方法を知っています。なので、大丈夫ですよ。」

いや、そんなに仲良くないはずなんだけど。
あの人、面倒くさがりだからなあ。

それにしても、さっき彼我さんはどうしたんだろう・・・。


「あ、そういえばナズーリンさんはスーパーじゃないですよ?」
「なぜそれを先に言わない!?」


あ。彼我さんに質問をぶつけちゃいけなかったんだ。

最近わかったのだが、彼女は軽く自分を閉ざす傾向がある。

彼女の質問に答えないのは、癖なんかじゃない。

答えを訊きだされると、パニックに陥ってしまうらしいのだ。
だから、防御本能として話を変える。

一見飄々として掴み所がないように見えて、
本当はもっと、身近な存在だったのだ。

・・・のはずなのだが。

「ええ、まあ、その・・・すみません。」

彼我さんが申し訳なさそうにうなだれた。


・・・あれ、適切な対応をしてる。
おかしいな、彼女はパニックにならないの?


「もう大丈夫ですよ。長年自覚してたんですが、最近克服できました。」
「えっ・・・?」

満面の笑みを浮かべる彼我さんが、そこにいた。

最近、克服した・・・?


「なんでも・・・私に質問してくださいね?」

信じられないような事が、目の前で起こっている。
彼女が、そんな事を言う日が来るだなんて。


「・・・じゃあ、今日、話してくれませんか?
 彼我さんのこと、いろいろ・・・。」

「・・・はい、二人を見つけてから、ゆっくりと話しますね。」


お互いに照れ笑いだった。

こういった空気になるなんて、いつぶりだろうか。
なんだか、懐かしくて、懐かしくて。

・・・たぶん、彼女は心の中に大きな闇を抱えている。

少しでも、それを消していけたらいいな。


・・・恩返しの、恩返し。



「さて、あの裏山に行きましょう!そこに二人はいらっしゃいます!」

彼我さんは、向こうの山を指さした。
もちろん、歩けば数時間を要するのは免れない。



「・・・は?」

「あの、深水さんが能力を悪用してまして、あそこまで行っちゃったんですよね。」

「うん・・・?ああ、うん。・・・うん!?」

「深水さんの能力、思いの他危険なんですよ。
 あなたがそばにいないと、制御が利かないんです。」


よ、よくわからないけど、あの裏山に行けばいいのか。
これは、電車を使うしか・・・。

今、何時くらいだったっけ。

「あと1時間10分後に電車が来ます!ゆっくりいきましょう。」
「あ、うん。そうだね・・・」


そうか、今はお昼時だった・・・
こんな時間、電車はほとんどこないんだった。


電車を待って70分、電車に乗って15分、そこから歩いて35分。


うわ。計二時間か。往復四時間。
下手をすると、時間がかかった場合夜になる。

そもそも、ここの神である彼我さんの能力で何とかならないものか・・・

「あ、この世界は一度構築したら、私の体力が尽きるまで、
 『自然に』動き続けます。あと一週間ほど、このままですよ。
 もちろん、私が途中で手を加えるなんてできません。」

「い、一週間!?」


どんだけ頑張ったんだ彼我さん・・・。
きっと、夜通し、もしかして昼も夢を吸い取ったのかもしれない。

・・・ま、まあ戻ったら永遠にこのままなんだ。

下手に手出しできない方が、自然でいいかもしれない。


むしろ多少無茶できる分、少しましである。
だって、死んでも元の世界に戻るだけだし。

「やめてくださいね?」

「はい。やめます。もう二度とそんな事を考えません。」

彼我さんがめっちゃ笑顔だ。怖い。
包帯の向こうの目から、殺気の視線を感じるほどだ。


・・・気を取り直して、駅へ向かおう。



いざ、二人を救出しに。



太陽は、高く高く昇っていた。


つづけ