鼠色のほろ苦いチョコレート 上

少し前、適当にいつものように本を読みあさっていた時の事。
私の目は一つの記事に留まった。

普段からの思いを伝えるのに、チョコレートを送る習慣があるという事。

今日は、バレンタインデーというらしい。

大好きなご主人様へ、感謝の気持ちを込めて、日ごろの労いも兼ねて。

チョコレートとは聞きなれないものだが、それは仕方ない。
もちろん長く生きていた私も知らなかった。

恐らく、何者かがこの幻想郷に持ち込んだのだろう。

仕方ないが、知らぬのならば捜せばいい。
それができるのは、私だからだ。

こういうとき、少し自分に自信が持てるのがうれしい。
普段は、ご主人様を後ろ盾に使わせてもらっているのもある。

だから、こっそり、臆病な私の罪滅ぼしもしたくって。


「あれ・・・今日は何を捜しに行くんですか?」
「ああ。甘くて、おいしいものだ。」

眠そうに眼をこする、私の小さな相棒を小突き起こしてから、私はロッドを担いだ。

「そうですか、僕は甘いもの、大好きですよ。」
「そうか、ならば後で君にも一部をやろう。」

鼻をひくひくさせながら、目を細める私の相棒の目は、期待に光っていた。
現金な奴め。


それにしても、一体この事を誰に尋ねればよいのだろうか。
そういえば、現代から来たという記述がその本に書かれていたな。

・・・だとすると。


ああ、血の気が引いて行くのが自分でもわかる。
しかし、背に腹はかえられない。


「ため息なんて、めずらしいですねえ。」
「うるさい・・・吐きたくもなるんだ・・・。」

浮かぬ顔で頭に疑問符を浮かべる相棒を尻尾のバスケットに下げる。
これも、しばしの辛抱なんだ。



守矢神社。正直なところ、私が行く場所の選択肢には存在していない。


「あ、ネズミ。何の用ですか。また私に退治されに来ましたか。」
「うるさい。用件を尋ねたら、さっさと消えるから心配するな。」

緑色の髪。人の事は言えないのだが、その威圧的な態度。
彼女は、私からすれば、少なくとも私に対しては傲慢だった。

残念ながら、私は彼女にあまりいい印象をもっていない。
精神的に私よりも劣っているくせに、力は私より強い。

聖を救出する際に、ご主人様に宝塔を届ける際の二度にわたって邪魔を受けた。

力を振りかざすような事があっては、たまったものではない。
内心、彼女に対する恐怖心は、かなりのものだ。

だが、これもご主人様に感謝を伝えるためだ。
こんなところで怖気づいていてはだめなんだ。

声の感情を、できるだけ押し殺して、息をひそめるようにして。


「君は、バレンタインデーというものを知っているかい。」
「・・・え?」

予想に反して、相手はきょとんとしていた。
少しばかり意外だったが、知らないのなら、仕方ない。

長いは無用だ、利がないなら関わるのも無駄だ。

「・・・意外ですね。」

身をひるがえして立ち去ろうとしたその瞬間、ぽつりと後ろでつぶやいた声。
まさに、私がさっき頭に浮かべたセリフそのものだった。

「・・・何がだ。」
「いえ、ネズミも見直すところもあるのですねと。」

ぶっきらぼうに言葉を投げると、意外な言葉が返ってきた。
ちらと後ろに目を向けると、少しだけ彼女の表情が緩んでいたのがわかった。

「こちらに来てください。チョコレートの作り方、教えますよ。」
「・・・。」

これは、罠ではないのだろうか。

しかし、私だって、自然な笑顔と作り笑いくらいの違いなんてわかるんだ。
こんな現代人なんかの表情が見抜けないわけもないのに。

こんなに自然に上がる口角が、作り笑いの結果なわけがない。

だが・・・だが・・・。

「まあ、私に対して恐怖心があるのなら、それでいいのです。」
「何を馬鹿な事を言っているんだ。あまり私たちを舐めてかかると、痛い目を見るぞ。」

彼女が背を向けると、私は振り向いてその背中に言い放つ。

後になって思うと、彼女なりの後押しだったのだろう。
人間ごときに後手に回るなんて、癪だったのだが・・・。

今は、その心遣いに、わずかな感謝を思い浮かべて、彼女に付いていく事にした。


「これを使うんですよ。これをこうやってすりつぶして、
 砂糖をふんだんに入れて・・・ちょっと味見してみますか?」

彼女はなぜか、親切だった。

以前敵意を持っていたはずの彼女は、怒ったりはしなかった。

人間も、馬鹿にしたものではないと少しだけ思った。

困惑しながらも、その黒い液体のようなものを口に入れる。
すると、すっと甘みが口の中でほどけて、広がった。

「・・・なるほど、本にあった通り、病気になりそうなほど甘いな。」
「食べすぎなければ、薬ですよ。」

自分は悪態をついていたが、表情は綻んでいたのだろう。
穏やかな時間が、あるはずのない二人の間に流れていた。

きっと、これは甘いものが好きなご主人様が喜んでくれる味なのだ。
日ごろの苦労も、軽く吹き飛ばしてくれるであろうほどの味だった。

後ろの相棒が物欲しそうに見つめていたが、やらん。
まずは、ご主人様にこれを届けてからだ。

「ふん、人間も馬鹿にしたものではないな。」

彼女は軽く眉をひくつかせたが、敵意のようなものは見られなかった。
こちらも、敵意はなかったのだが・・・。

そっけなく彼女に別れを告げて、材料をもらって神社を後にしたのだ。
本当は、もう少しはっきりとお礼を言えたらと、わずかに心にもやもやが残っていた。


「あれで、よかったんですか?」
「はっ、何の事だ。」

「もー・・・なんでもないですよ。」

懐の中から聞こえてくるひそめた声。

材料はバスケットの中に入っているのだが、彼の居場所がない。
仕方ないから、私の懐の中でいいだろうと胸にしまった。

外から見た際の胸の不自然なふくらみと、
地肌を掻き撫でる毛の感触が不快でならなかったが、それは仕方のない事だった。

私は、そんな懐の声からも逃避していた。

自分に嘘を吐くのは、いつもの事だから。
すまないとは思っていたが、彼にもいつもの事だと思って我慢してもらうことにした。




「あれ、ナズーリンじゃん。どうしたの珍しい。」
「船長か。ちょっとご主人様に用があってな。」

門の中に入ると、ムラサ船長に呼び止められた。

「にしても、ちょっと見ない間に大人になったんだねえ・・・」

船長が私のもぞもぞ動く胸部に目をやりながらの一言。
正月ぶりなのだから、別にそこまで久々なわけでもなかろうし。

「わかってて言っているだろう。私は君とは違うのだからな。
 まったく、胸が大きいとさぞかし重くて辛いのだろうな。」

こんなとりとめのない話をしながらも、気は急いていた。

船長は、あまり詮索をしなかった。
きっと、それは彼女が私よりも心配が少ないからだ。

彼女に視線で別れを告げて、私はご主人様の影を捜していた。


やっとのことで見つけた彼女は、お昼を作っていた。

「ここにいたのか。今すぐその悪い手を止めるんだ。みんな死んでしまうぞ。」
「あ、ナズーリン。お久しぶりですねっ!!わざわざ会いに来てくれるなんて・・・」

彼女が駆け寄って抱きしめてこようとしたので、それを軽くかわす。
だって、包丁を握りっぱなしだったのだから。

悪意はないのだが、恐ろしいことである。

彼女を軽く落ち着かせ、話ができるようにした。

「それにしても、君が料理だなんて聖は何を考えているんだろうか。
 一体何を作っているんだ?扉の丸焼きか?服の姿煮か?」

「いきなり辛辣ですね。恐れる事はありません。今、鱈の最強焼を作りました。自信作ですよ。」

前科を重ねて取り返しのつかない事になっているご主人様は、なぜか自信に満ちていた。

「そうか、西京焼か。君の事だから、焦がしていないか心配だな。」

私は呟くようにそれだけ言うと、
彼女は置いてあった皿を取り出し、私の目の前に出した。

思わず目を疑った。

黒い毛玉のような、硬そうな光沢を放つ塊が、中央にあったのだから。

「作り方は、名前に忠実にあるべきです」

自信満々に言った彼女の目は、輝いていた。

「ご主人、君は二度と台所に立たないでほしい。」
「えっ・・・?」

恐らく、西京焼の表記を筆者の「誤字」と思いこんだのだろう。
そして、自信満々に力強い料理を作った。

「今日のお昼は代わりに私が作るから。ほら出て行くんだ。」
ナズーリン、料理はできましたっけ・・・?」

彼女をため息交じりに台所から追い出す。
困惑しながら、ご主人様は私に愚問を投げた。

「安心してほしい。食べれる物を作る。」
「は、はあ・・・。」

彼女が居間に戻るのを確認する。

昼食を作るついでに、ご主人様に渡すチョコレートも作らなくてはな。

材料をバスケットから出して、棚の上に置いて。


ここで料理をするなんて、何年ぶりだろうか。
そもそも、誰かのために、何かを作るだなんて。

あまり、慣れたものではなかった。


少しだけ面映ゆいような気持ちを抑えて、私は戸棚を開く。

さて、すり鉢はどこにあっただろうか・・・。