東方幻想今日紀 百五十二話 取り戻したいものは、写真だけ?

烏天狗と、かけっこで一騎打ち。

相手は絶望的なハンデ、こちらは新技で応戦できる。
先にあの木まで辿り着いたら勝ちなのだ。

何しろ、相手は天狗とはいえ、
下駄を反対方向に思い切り投げている。
その下駄をはいて、さらに木まで切らなくてはならないのだ。

しかも、飛ぶのは禁止。
もちろん、彼女が自分で掘った墓穴である。

だが、どんなにこちらが有利であっても、気は抜けない。
だって、懸かっているのは、野狐を思い切り抱きしめた、あの写真だもの。

むろん下心はないのだが、
この天狗はある事ない事を書き散らしそうである。

普段の記事のついでとして、
そんな事を書かれたらたまったものではない。

失職と失笑を同時に買う事になる。

この勝負、絶対に負ける訳にはいかないのだ。
ふと、横の合図を取るナズーリンに目をやる。

彼女は、普段は似合わぬ呆けたような顔をして、手を挙げていた。

・・・あれ?

一拍遅れて、体が持っていかれるような風圧、巻きあがる紙吹雪のような、草。

草切れが落ちては静まる頃、一瞬で我に返った。
明らかに車輪のような、えぐれた土の露出する轍が二本。

そして、向こうにあった目印の木が、倒れていた。
いや、今まさに、倒れかけていた。


「さてと、あの木が倒れたら私の勝ちですね?」
真後ろの楽しげな声が響くとほぼ同時に、点のような遠いその木は横倒しになった。

額に冷や汗が伝うのがわかった。

体中が、危険を感じている。
これから起こる事の災厄を、肌で感じ取れずにはいられなかった。

「ただ、もう一度、機会をあげないこともないですよ?」
「・・・え?」

後ろを振り向くと、もっと口角を釣り上げて、恍惚の笑みを浮かべる山伏帽の少女。

情けない事に、機会という単語に過剰なまでに反応してしまう自分。
彼女は完全に、その様子を見て楽しんでいる。

ほとんど、おもちゃにされていたのだ。

だが、今はそんな事を恥じている場合ではない。


「もう一回戦・・・ですか?」
「そういう事ですね。将棋なんてどうでしょうか。」

何を、そう言おうとした瞬間に遮られてしまった。
しかし、モノは将棋。

なぜあえて将棋を選んだのかはわからないが、
こちらにさっきよりも分がある事は確かだろう。

「よし、その勝負乗っ・・・」
「馬鹿か君は!!あの時白浪天狗に負けたのを忘れたのか!?」

それで手を打とうとした瞬間に、ナズーリンが喝を入れた。
記憶を巡らせて、よく考えると。

・・・あ。本当だ。

「そうだった・・・。」

確かにかなり前、椛さんと将棋で戦って、それが原因で腕を吹き飛ばされている。
天狗と勝負になるなんて、思わない方が良かった。

よくよく考えてみると、彼女は確か記者だったはず。
同朋の情報が入っていないわけがない。

これは罠だった。

ありがとう、ナズーリン・・・ん?

ここで、ひとつだけ、大きな疑問符が頭に浮かぶ。


「ねえ、あの時さ、その場にいた?」

どう考え直しても、彼女が一緒にいたという記憶がない。
忘れていたとしたら、引っぱたかれそうなレベルの忘却ではあるが・・・

尋ねると、ナズーリンは腕を組んで考え込んでしまった。
が、少し考えると、不審そうな表情で、小さい声でぽつりとつぶやいた。

「・・・いや、いなかった。」

「・・・。」

じゃあ、どうして彼女は・・・俺のど忘れした記憶を知っていたのだろうか?
いや、彼女も一緒にいたことを忘れていた・・・とか。

だとしたら、それはおかしい。

彼女がもし一緒にいたら、そんな事だけを忘れているはずがない。

あの時、一緒にいなかったのだろう。
でも、そしたら俺の忘れていた記憶を、それも共有していないはずの記憶を。

彼女は、どうして持っていたのだろうか?


「まあ、そんな事はいいです。どうですか、将棋の勝負は受けますか、断りますか?」
「私がその勝負を受けよう。こんな雑魚よりは、相手になると思う。」

ナズーリン!?」

不意に彼女が俺の前に出るようにして、山伏帽の少女をにらみつけた。
こんな雑魚ってお前・・・。

気持ちは嬉しい、でも。

「ねえ、俺の方がなんとかなると思うよ?」

「いや、今なら、確実に私の方が強い。」

頑として引かないナズーリン
ただ、まだ年齢が浅いとはいえ、俺にも元人間としてのプライドはある。

「そんな簡単に俺を抜ける訳が・・・」
「私は負けず嫌いなんだ。悪いが、私に任せて黙って見ていてほしい。」

くっ・・・言ってくれるな。

だけど、確かに彼女の負けず嫌いはかなりのものだ。
というか、俺に負けるのを極端に嫌がる。

そういうことなら、いいよ。俺は何も言う事はないんだ。


「わかった。だけど、ひとつ条件がある。」
「ん?」

彼女が寄せていた眉根をほどいて、聞き返す。

「・・・絶対に、勝ってきてくれ。」
「ああ。」

胸の前で拳を突きだすと、彼女も同じ仕草を取った。

「あのー、盛り上がってるところ申し訳ないんですけど、
 私が対局を申し込んでるのは・・・って聞いてませんね。
 まあいいです。今から盤を持ってくるので、数十秒待っててください。」

そう言うが否か、千切れた草煙と風圧を残して彼女は、空へと消えた。

・・・数秒の沈黙。


「ねえ、このまま逃げるって、あり?」
「馬鹿か君は。一体何が目的だと思っているんだ?」

そうですよねー。
ええ、わかってますとも。

力なく笑ったその瞬間、草煙と風圧を感じた。

「さてと。勝負と行きますか。」

すぐに視線を下すと、既に山伏帽の少女が団扇を片手に、正座で待機していた。
駒も、あたりまえのように整然と並んでいた。

ナズーリンが小さく笑みを浮かべて、草の上の盤の前に女の子座りをした。
そして、音もなく駒を五枚小さな手に取り、

「さあ。どっちがいい。」
「歩で。」

そんなやり取りの直後に、駒を宙に放り投げる。
歩が四枚で、山伏帽の少女が先攻になった。

そういえば、いつの間に彼女は歩を五枚一気に投げれるようになったのだろうか。
まあ、これも練習の賜物とするのならば、納得はいくが。

序盤。囲いを組んだ後は、お互いが一歩も譲らぬ戦い。
ほとんど駒交換は等価値。

お互い、賭けに出るようなこともしない。


「あっ・・・」

中盤で、戦況に動きがあった。

文さんが駒交換を重ね、相手の桂香の交換の判断ミスのわずかな隙を突く。
ナズーリンが駒損、そのまま陣形がやや崩れる。

両者実力は拮抗しているのだから、このまま押し切られたら、まずい。

ナズーリンの額に浮かぶ、数滴の汗がそれを物語っていた。

彼女を焦らせているのは、負けず嫌いの性質か、それとも俺への責任感?
それは判断しかねるけれども、顔をしかめた、真剣な表情そのものだった。

ところで、ナズーリンが速攻あるいは粘着から堅実な正攻法に変えている。
彼女に何があったんだよ・・・何がそんなに彼女を駆り立てたというんだ。

とてもじゃないけど、もう実力的に手の届かないレベルである。
現代に来たら、プロでもいい所まで行くのではないだろうか。

執念というものは、かくも恐ろしいものだったとは。

『このままでは負けてしまうのじゃろう?』
嘆息した途端、頭に意識のような声が流れ込んでくる。

「深水、わかるの?」
『思考が筒抜けと言ったろうに。』

ああ、それはそうだよね。俺が負ける負ける言ってたら感じ取れるよね。

「俺に出来る事はないと思う。」
『本当にそうじゃろうか?』

何かを隠すような、そんな口ぶり。
感情はこもっていないのに、どこか笑みを浮かべた表情が浮かぶ。

「・・・どうすればいい?」
『自分で考えるのじゃ。お主はまだ、人間が残っておるのじゃろう?』

自分で言っておいて、その口ぶりって・・・。
考えるだけ、考えてみるか。

考えられるのは、盤をひっくり返すこと。
そうすれば劣勢はチャラに・・・って違う!何でそんな短絡的なんだ!

そんな事をすれば確実に賭けに負け、あれが露呈してしまう。

じゃあ、どうする?
一対一の真剣勝負。外部から何か手出しすることはできない。

・・・わからない。

一体、どうすればいいんだ・・・
以前の自分ならばこういうとき、きちんと適切な手段を考え付いたのだろうか。

もしそうであるならば、名誉も守れるし、嫌われる事なんてないのに。

『・・・嫌われたくない、名誉がどうの、自分のことばっかりじゃのう、お主は。』
「なっ・・・うるさい!!」

思わぬ一言が、頭の中で駆け巡る。
図星だった。

図星すぎて、心に刺さりすぎたせいで。

思わず、その場で叫んでしまった。

「リア・・・?」
「あ・・・ごめん。」

つい、彼女の集中を切ってしまった。
顔から、火が出そうだった。

『お主は、さっき何の為に走ったのじゃ?自分のためじゃろう?
 全ては、自分を守るためじゃ。それ以外に、お主はなにも考えておらん。』

深水の言葉に、何も返答できない。
涙さえ、込み上げてきそうだった。

あまりにも自分が、情けなくて。

そうだよ。いつも俺は自分の事ばかりで。
他人の助けも求めないで、だから助けを差し伸べようとも思わない。

どんなに大切な人であっても。それは変わらない。

人を助けるときは、いつでも使命感や、正義感という後ろ盾だけで動いていた。
個人的な信頼なんかで誰かを助けたなんて、記憶の中では一度だってない。

俺は・・・本当に、本当に・・・

『じゃが、彼女は何のために戦っている?ただの見栄だと思うのか?
 彼女をよく見てみるのじゃ。
 あの真剣な表情は、強く光る眼は、自分の名誉を守るために存在しているのじゃろうか?』

・・・え?

盤を穴があくほど見つめている彼女に目をやると、確かに曇りのない表情をしていた。
絶対に勝つという決意すら、その表情や気迫から垣間見れるようだった。

あんな表情、自分の為の目的で、作られるものじゃない。

あれは・・・

『わかったじゃろう?彼女は、お主のために戦っているのじゃ。
 まあ、そこまでわかったら、あと少しじゃ。お主は・・・どうしたい?』

彼女が俺のために・・・俺なんかのために・・・。

助けようとしてくれている。
こんなにも、こんなにも真剣に。

俺がやる事は。

彼女を、助けたい。
だから。

全力で応援すればいい。

どうしてそんなこと、気付かなかったんだろう。
やれることと言ったら、応援しかないのに。

でも、大切なのは、気持ちだ。

俺のために戦ってくれているのだから、報いなくちゃいけない。


「がんばれっ・・・」

そっと左手を、握りこんで、目をぎゅっと閉じて、彼女にエールを送った。
何度も、何度も。

すると・・・思いが通じたのだろうか。


「どうだ。」

彼女が、ひたすら的確な手を指し始めたのだ。
不利な状況から、ほとんど駒損をしないように。

逃げる時だけ逃げ、あとは果敢に攻め。

大駒を捨てる賭けにまで出始めた。
あろうことか、その絶妙な駆け引きに、勝利したのだ。

「いけっ・・・」

そのまま、対局は終盤に向かった。
お互いの陣形は完全に原型もなく、お互いが速攻を決める状態になった。

ナズーリンが王手をかけた。

このまま王手をかけ続け、追い詰めたらナズーリンの勝利。
一手でも漏らしたら、彼女の負けである。

その瞬間だった。


「投了です。この状態だと、おそらく勝てません。私の負けです。」
山伏帽の少女が、はあと息を漏らして、首を横に振った。

そして、写真を裏にして、
息をする間にこちらに近寄り、すっと懐に入れ、将棋盤と一緒に、空に消えた。



しばしの、沈黙だけがそこにあった。



ナズーリンは、ぎこちなくこちらを見た。

そして、立ち上がると、足を引きずりながら、こちらによって来た。


「やったんだ・・・よな?」
「・・・う、うん。」

お互いが、お互いの顔を見合わせて。
そして、彼女は力なく、その場にへたり込んだ。

「あはは・・・やっとだ。もうだめかと思ったよ・・・。」

彼女は脱力しながら笑うと、手を大きく広げ、草の上に倒れた。
俺も、ゆっくりとその場に座った。

「途中から、急に頭がさえだしたんだ。次の一手が、すぐにわかる。
 何かに、導かれているような、そんな表現がしっくりくるのだろうか・・・。」

嬉しかったのか、とても饒舌だった。
頭は冷えながらも、感動だけは熱く燃えていたかのように。

ナズーリン・・・」
「ん」

四肢を草に投げ出して、燃え尽きた彼女に言うべき事が、俺にはある。


「その・・・ありがとう。」


それだけしか言えなかったが、それで十分だったのだろう。


「それはよかった・・・。」

それだけ言うと、彼女は感慨深そうな目で、空を見上げていた。

きれいなきれいな、赤い瞳だった。





「・・・ところで、そのよほど取り返したがっていた写真を見せてくれないか?」

「は?」

夜、広間で生徒たちの日記の返事を書いていた時のことだった。
横で裁縫をしていたナズーリンが、突如こんなことを尋ねたのだ。

最初は何の事だか分らなかったが、すぐに思い出した。
六時間後の時間差攻撃だった。

忘れてると思ってほっとしていたのに・・・!!

・・・下手に固まると、誤解される。

大丈夫。一対一だから、弁明がちゃんと利くんだ。


無表情で、できるだけ何事もなかったように、それを彼女に渡した。
それを受け取ると、それをまじまじと見つめるナズーリン

ちらちらと、横目でその様子を見ていたのだが。

「ぷっ・・・なんだ、なるほどな。」
「?」

急に、ナズーリンが噴き出して、楽しそうに笑った。
あれ・・・怒ったり、呆れたりはしないの?

くすくす笑う彼女に近寄り、写真を覗き込んだ。

そこには、薄桃色の髪の狐の少女を泣きながら強く抱きしめる少年の姿があった。

頬には、涙の粒が浮かんでいて。

「いや、笑うのは失礼だった。でも、君は本当に、いい先生だな・・・。
 ふふっ、君の生徒は、きっと幸せ者なんだろうなと思ってしまってな。」

彼女が、屈託のない笑顔を浮かべて。
耳に入ってきた言葉が信じられなくて。

「リア、まだ君は人間なんだな・・・。
 まったく、随分と妖怪になってきたと思ったんだがな・・・。」

気がつくと、感情が抑えきれなかった自分がいた。
湧き上がる熱い感情が、胸を焦がしてたまらなかったのだ。

泣いている青年と、それを慰める少女。

その構図は逆説的であったけれども。
ぴったりと、しっくりとくる画だった。





今日は、色々な事があった。
日記形式で書いている、この本に、その事もきちんと認める。

羽ペンを動かす手は、今日は止まらなかった。

そんなときだった。

「リアさん、力が溜まりましたよっ。」

真後ろから、突如現れた気配。

「という事は、今日の夜からですよね。」
「そうなりますね。」

振り向かずに、手を休めずに、そのやり取りを続ける。
誰かなんて、わかっているからだ。

「告知なんて、珍しいですね。いきなり引きずりこんだりはしないんですか?」
「・・・それよりも、ちょっぴり大切な話があるんですよ。」

・・・ああ、またやってしまった。
彼我さんに疑問形で訊くと、必ず話をそらされてしまう。

もしかしたら・・・疑問形で尋ねられると、パニックになってしまうとか・・・?
まあ、それは邪推の範囲か。

心内に踏み入られるのを嫌がっているだけかもしれないし。

そもそも、彼女がこちらに来るときは何か話がある時のみだ。
神出鬼没である。

「・・・まあ、聞きます。」

俺は手を止めて、後ろに向きなおった。

そこには、想像通りの顔があった。
ただひとつ、違っていた事があるとするならば。


彼女が、そこに立てかけておいた深水を持っていた事くらいだろうか。


つづけ