幻想今日紀 年末年始番外編 前編 煩悩ってなんだっけ

「あー、この数の子おいしい!」
「そうだろう。おいしいだろう?何せ私が作ったんだからな。」

「お前はニシンか。」
「馬鹿を言うな。その位もわからないのか。私はネズミだぞ?」
「わーってるよ、そんなの。分かってて言ったんだよ。」

「ほう、私も分かってて言っていたんだが?
 その位も察せないようでは、来年の反省が増えてしまうな?」

「上等だネズミ・・・
 お前のその悪態癖を今年中に私が反省させてやる・・・。」

二名が立ち上がりファイティングポーズ。

楽しく和んだ、大晦日の夕食の光景である。

「二人ともやめて下さい。どうしてあなた達は、
 年末くらいおとなしくしていないんですか。」

寅丸さんがあきれたようにため息を吐く。

こういう光景は、日ごろ見慣れている。
俺が来てすぐの頃は遠慮していたのだろうか、
そんなやりとりを見せることなどなかった。

でも、今ではこうやって仲良くやっている。

そんな命蓮寺が、俺は好きだ。


「もー、二人ともー!やめないと・・・しちゃうよっ?」

丙さん、止め方にもうちょっと工夫は出来んのか。
案の定、ぬえとナズーリンの動きは完全に硬直していた。

あと、一輪さんがおもむろに箸を止めて顔を赤くしていた。
小春はその間ずっと下を向いていた。机に顔を伏せっていた。
ののは、そんな小春の様子を口に手を当てて微笑みながら見ていた。


そうこうしているうちに二人のいがみ合いも鎮火して、
この広間はまた和やかな食卓に戻った。

さて、今年はいろいろあったなあ・・・。


まだ借りは返しきれてはいないけど、だいぶ返してはきた。
たくさんの恩に、少しは応えてこられた。

新年まで、あと数時間。

命蓮寺の中で、来年も楽しくいられますように。

あと、もうひとつ、大冒険をしなきゃね。
「好きだ」って言うんだ。

これからまったりと、年明けまでを、
皆で将棋やかるたをやりながら過ごすんだろうな。

何て幸せな時間。

何て平和な時間。

さあ、何人勝ち抜けるかな。

そうだ、みかんを物置から用意しなきゃ。

ナズーリンも誘って、後で一緒に行こう。

ああ、楽しくなってきた。はやく残ったご飯を掻き込まなきゃ。

そう思って、茶碗を取ったその瞬間だった。


「そういえば、今年のくじを忘れていました!」

パンと手を打って聖さんが立ち上がると、
いそいそと台所の方に向かっていった。

俺以外の全員に、固唾を呑む気配。

それが伝わってきて、一瞬怖気だった。

聖さんが抱えた、大き目の箱。
それは、全てを物語っていた。

ただ、自分にはピンと来なかったが、
どのくらい恐ろしいのか位はわかった。


聖さんはかわいらしく、花が咲いたように、にこっと笑った。

「さて・・・今年の除夜の鐘は、誰が撞くんでしょうかね?」


・・・ああ。ここ、寺だったんだね・・・。




全員がじゃんけんをして、順番を決める。

なぜか、十二人でやったら一発で一人負けした。
だから、結局一番になった。なんだこの不運。


まあいい・・・これで、悪い運は全て逃げたはずだ。

おまけに、最初という事は、いきなり十二分の一を引かなければ、
あとは安心して誰が引くかを見ていられる最高のポジションだ。
そもそも、十二分の一とは、約8%である。

8%といえば、そうそう引くものじゃない。
四十人クラスで委員が五人選ばれるような物だ。

・・・ただ、ひとつ気になること。

十二人のじゃんけんで一回で一人負けする確率ってさ、
0.0000002%くらいなんだよね・・・。

いや、その分の悪運をここで消費したんだ。

いける。


「さあ、リアさんからお願いしますね?」

最後に引くことになった寅丸さんが抽選箱を持つ。
そして、俺に促した。


笑顔で、箱に手を突っ込み、ボールをつかむ。

そして、笑顔で引き抜く!



・・・手に握り締められた、赤いボール。

そっか、はずれは白なんだな。


・・・。


「ええい!拍手をやめんか!!」


後ろから聞こえてくる拍手喝采

神様、一体俺は前世で何をやらかしたんでしょうか。
盗みでしょうか、下着泥棒でしょうか。

いいえ、人殺しかもしれません。とにかく前世の俺このやろう。






「この大きな鐘、こんなことにも使うんだね・・・。」
「いや、寺の鐘といえば除夜の鐘だと思うんだが・・・。」

ナズーリンに案内されて、大きな鐘の目の前にいる。


うう・・・一緒にみかん食べたかったのに。
一緒に将棋やカルタ、したかったのになあ・・・。


それにしても寒い。これを暖房器具なしで一晩中撞き続けるのか。

はっきり言って、身を刺すような寒さである。
雪は降っておらず、空にちりばめられたスパンコールのような星。

それが、また寒さを演出させるものだった。

ナズーリン、これをどうすればいいの?」

俺が尋ねると、ナズーリンは頬に指を当て、笑顔で答えた。

「日ごろのいら立ちを全て込め、全身全霊で叩くんだ。」
「あの、そんな煩悩まみれの撞き方でいいんですか?」

寺の者が笑顔でそんな事を言うとは。世も末である。

「ちょっと手本を見せてやろう。」

ナズーリンが鐘を撞く棒、橦木に駆け寄った。
そして、彼女は棒を握り締めて、大きく口を開いた。

「守矢神社など、消えてしまえ!!」

言うが早いか、撞くのが早いか。


・・・ああ、ナズーリンもいっぱいストレスあるのね。

しかも、俺は何とか聞き取れたが、言うのと同時に撞くとは。
気が小さいところが、少しかわいかった。

それにしても、思ったよりも音が大きくない。
妖怪化の影響なのかもしれないけれども。


「・・・こうだ。」

「そっか、ありがとう。」

はあはあと息をせききらせて、笑顔で言う彼女はシュールだった。
多分、聞こえていないと思っているんだろうなあ。

「まあ、気持ちが乗ったら撞いてくれ。
 最終的に百回ほどになればいいんだ。」

「うん・・・がんばるよ。」

たぶん、今までに聞いたどの除夜の鐘より酷い説明を聞いた。
除夜の鐘が高校の掃除のノリだったとは誰が想像しただろうか。

恐らく八つほど、翌年に煩悩は持ち越されるのだろう。
さすがは妖怪寺。

「では、私は広間に戻っているから、何かあったら呼んでくれ。」

「・・・うん。」


まあ、そうだよね。
ちょっとでも期待した俺が馬鹿だったよ。

向こうはなんとも思っていない。
迷惑な居候の延長だろう。

こんな寒い日に一緒に居るなんて、ありえないことなんだから。
やり方を教えてくれるだけでも、感謝しなくちゃね。



彼女の揺れる尻尾を見送りながら、俺は鐘の前に立った。


なんだか、胸の奥がしめつけられる気分だった。






「22!!デストロオオイッ!!」

煩悩まみれの橦木を思い切り振りぬき、鐘が大きく揺れる。

どうしよう、掛け声が完全に破壊衝動だ。
一般客ですらこんな掛け声をしながら鐘を撞いたりしないのに。

というか、そんなことをしている一般客を見たら俺はつまみ出す。

数えている俺は、ちょっと律儀だと思う。
ただ・・・108はあまりにも多い。


もう相当撞いているはずなのに、まだ22だ。
ちょっと休憩・・・。

「・・・?」

鐘の近くの石段に腰を下ろすと、不思議と冷たくなかった。

びっくりして腰を上げて石段を見る。

・・・そこには、灰色のマフラーが置いてあったのだ。


忘れ物かな・・・。

思わず、それを手にとってまじまじと眺める。

丁寧な縫い目は、恐らく几帳面な彼女の物だろうとすぐに察しがついた。


ここで、ある煩悩が頭の中に浮かぶ。


ちょっ・・・ちょっとぐらい・・・いいよね?
誰も見てないし・・・。

気が付くと、急に心臓が高鳴ってきた。
そのやわらかい布を顔に押し当て、ゆっくりと息を吸い込んだ。

鼻を押し撫でて、頭の中に染み渡るあのぬくもり。

ナズーリンのにおいだ・・・。

もう、夢中だった。

ほうと短いため息が出て、俺の気持ちはまるで有頂

「・・・何してるんだ?」
「くっぴいいいいぇいやああ!?」

思わず腰を抜かして、その場にマフラーを持ったままへたり込む。
目の前には、直垂で猫耳、黒髪の唖然とした表情の奴がいた。


「お・・・おう、どうした?」
「いいいいいや・・・ななんでもない。」

慌てて手をふって平静を装うが、手遅れだった。

彼女の疑惑の目は、だんだん色をつけてきた。


「ほー・・・、それ、誰のだ?」
「おっ、俺のでゃ。」

騙し通せなかった。なんでだ。


仕方ないので、全部吐くことにした。
すごく恥ずかしかった。何度も胸が締めあがるくらい。
でも小春はにやけながらも、真剣に聞いてくれた。


「そっかそっかー。お前もそんな時期かー。」

ただ、殴ってやろうかと思った。

「そういうお前はこんな感情を感じたことあるのかよ・・?」
思わず口を尖らせる俺。
またこいつの知ったかぶりか・・・。

「ねえよ。むしろ羨ましい。」
「羨ましい?」

彼女から返ってきた返答は、むしろ意外だった。

「あのさ・・・俺たちの世界は、
 人と人が直接話さなくなっちまったんだよ。大分前にな。」
小春は不意に空を見上げた。、

「ネットワークの発達?」
「ああ。だから、こういった恋なんてもんは、完全に過去の話だ。
 創作でも、そんなもんは誰も取り扱わない。
 誰もそんな経験をしていないし、書いても誰も共感してくれねえ。
 古典の教材で、こんな概念があった。くらいしか触れられないんだ。」

彼女は寂しそうに笑っていた。
こんな小春は初めて見る。

彼女の世界は、俺がいた世界の未来の姿なのかもしれない。

現代が、古典になるくらいの、ずっと先の話。

小春は、優しく笑った。



「なあ、お前はさ、今・・・幸せか?」

「・・・うん。」
少しの間をおいて俺は笑顔で、首を縦に振った。
小春は、目を細めて小さな溜め息をついた。

「お前はそういうけどさ。コハはどうなの?幸せ?」

彼女に向き直り、同様の問いを返す。


「あ〜・・・幸せかな。ののと、その・・・秋兄がいるからな。」

彼女の視線は、言葉の後半、定まっていなかった。

ああ、まさかこいつを可愛いと思えるようになるなんて。末期だな。

でも・・・いいや。
小春は可愛い妹だ。全体的にうっとうしいけど、それを差し引いても。

昔の俺は嫌いだけど、自分は切り捨てられない。

「このやろっ」
「うわっ、なにすんだよっ?」

小春を抱き締めて、頭をぐしゃぐしゃに撫でてやった。




「56・・・除夜の鐘・・・。」

手同様、声に力は入らないけれども、橦木を思い切り振りぬく。

小春がいなくなると、また静かな光景に戻る。

すごい。掛け声を考えるとだんだん煩悩が消えていっている。
除夜の鐘と言いながら除夜の鐘を撞くお坊さんがいたら、俺は好感をもてる。

・・・少なくとも、デストロイと叫ぶ奴よりはね。

それにしても、体が重い。
これ、もしかしたら人間のいたずら対策に霊力を吸い取る材質だったりするのかな。

恐らく、皆はもう完全に妖怪化したと思っているんじゃなかろうか。

あと52回。もう腕が上がらないよ・・・。

そうだ、今の構図が何かに似ていると思ったら、某ベルギー童話だ。
少年は聖なる場所で力尽きて・・・。

いや、んな事言ったら全世界のファンを敵に回す。

・・・なんだか、錯乱してきたみたいである。
いつの間にか、俺はしれっとマフラー巻いてるし。

もうだめ、そんな類の弱気を吐こうと思って、石段に腰掛けたそのとき。
背後にコトッという軽い音と一緒に、隣に座った人の気配。

「全く・・・もうすぐ年が明けてしまうぞ?」

遠心力で首が取れるくらい素早く振り向くと、そこにはやはりあの顔がいた。

彼女が持っていたのは、彩色が施されている漆塗りの箱と割り箸。
箱の中から、湯気が立ち上っていた。

「これ、何だい?」
「あ・・・。」

彼女がいたずらっぽい笑みでマフラーを引っ張ると、
思わず顔が熱くなってしまった。
そのままマフラーを手繰り寄せて、自分もその端をまいて、近くに座りなおした。

頭が麻痺しているのか、胸が疼いて、止まらなかった。
いっその事、このまま発狂してしまえそうだ。

・・・これは、夢?

笑顔の彼女からそばを受け取ると、
箱は外見とは裏腹に、あまり温かくなかった。
いかに外が寒いかを、如実に物語っていた。

もう、年越しそばか・・・。

「今、何時?」
「もうすぐ、年が明ける頃だが・・・。」

同じことを、彼女は繰り返した。

・・・ここで、一つ後ろ暗いことが。

「あの、まだ鐘、五十二回残ってるんですけど・・・。」

このままでは、大量の煩悩を抱えたまま年を越してしまう。
ああ、俺がふがいないばっかりに・・・。

「そうか、それなら気にすることはない。」
「え?」

しかし、彼女から発せられた言葉はすごく意外な物だった。

「残りは、年が明けてから撞けばいい。回数も省略して、五回だ。」

日本一非常識な寺発見。
なに、もしかしてこの人たちにとって、鐘は飾りなの!?

まあ、年明けてからゴンゴンやられたのでは近隣住民も迷惑か。

「それよりも、年越しそばだ。
 年が明ける前に食べてしまわなくては、金運が逃げてしまうそうでな。」

「あ・・・うん。」

そう言うと、彼女はパキンといい音させて、割り箸を割った。
俺も割り箸を・・・。

割り箸は、綺麗に割れると両思いになれるらしい。
そんなジンクスがあるのだ。

割り箸を手にした瞬間、固まってしまった。

割れ目がない、ただの一本の直方体が入っていたのだから。
ああ、新年の俺は恋も難渋しそうですよ。

案の定、割り箸なのに折り箸というギャグみたいな状態になった。

横で大笑いしていたが、つられて俺も笑ってしまう。


除夜の鐘の下で、二人きりで、年越しそば。

・・・こんな年越しも、いいかもしれない・・・。


さて、早く食べてしまわないと年が明けてしまう。
煩悩を残した挙句、金運まで逃げて、なんてのは嫌だ。

紙みたいな形の木の板二枚を取って、漆箱を持つ。

正に、器用にそばをつかんで口に運んで食べようとしたそのとき。

「ぐえっ」

ナズーリンがそばを俺から取り上げる。
同時に不意に首が猛烈に絞まって、石段の上に投げ出された。

反転した視界からは、マフラーを手に持つナズーリン
多分、奪い取られたんだろう。首が寒い。余談だけど、死ぬかと思った。

「あ、いましたいました!」
「??」

寅丸さんが息せききって、こちらに駆けてきた。
何のことかは分からなかったが、そのパクパクした口は何かを言いたそうだった。

「どうした、ご主人。」
「いや・・・忘れてますよ、アレを!」

「あれ?」

首をかしげて尋ねると、寅丸さんは神妙な顔で言う。

「あ、新年になったら、最後の一回、鐘を撞くんですよ!」
「ああ・・・そんなことか・・・」

笑顔で流しながら、懐から懐中時計を取り出すナズーリン

その表情は、固まっていた。

・・・なるほど、金運も逃げたわけだ。

「あはは・・・仕方ないですね・・・。」
寅丸さんは、苦笑しながら橦木を手に取り、渾身の力で撞いた。


澄んだ鐘の音が、辺りに響き渡る。


「・・・まあ、ご主人がいれば金運は安泰だ・・・よな?」
「さあ、どうだろうね・・・?ちょっと不安だけど。」

ナズーリンの耳打ちに、俺も耳打ちで答える。

耳の位置が違うから、彼女が耳打ちした後、頭をかがめた。


「・・・まあ、続きは、広間で食べよう。」
「・・・うん。」

彼女が重ねた箱を持って、立ち上がる。
俺も、それに続く。


移動中、前を歩いていた彼女は、不意に足を止めて振り向いた。

そして、首を軽く傾けて、微笑んだ。


「・・・今年も、よろしく。」




「こっちこそ・・・今年も、よろしく。」


俺は同じ笑みを返した。






もう、寒くなんてなかった。





つづけ