東方幻想今日紀 百四十八話  静と動、穢と禊

先程まで死闘を繰り広げていた少年は、地面に伏していた。

怪我ではない。気絶、昏倒していたのだ。


「あんた、その人間に何をしたんだい?」
横の幼い鬼の少女が押し殺したような声で、黒着物の青年に尋ねた。

「頭に霊力を流して、人間の部分を混乱させました。
 人間の方は、しばらく起きてこないでしょう。」

青年は、振り向かずに答える。

「そういう理屈っぽい奴は私は嫌いだね。」

「目の前で起こった事が、信じられませんか。」

鬼の少女は、きっと青年の背中を睨みつけた。


「殺したと言えばいいものを。力を誇示しようたって、無駄だよ。」
「力任せでは、こうは行きませんものね。」

少女は、更に眉根を寄せた。
最初から、少女は青年に良い感情など毛ほども持ち合わせてはいない。

どうして、最強であるはずの自分が、ここまで見くびられているのか。
それが、どうしても鼻持ちならなかったのだ。


「それよりも・・・。」

青年は、少女の心も知らず、背を向けたまま腕を組んだ。
そして前置きもなく、少女の後ろに回りこんだ。

「!?」

少女は、面食らっていた。
自分が、感知できない速さ。

未体験だったそれは、少女を萎縮させた。



「・・・あなたは、ここにいて良いんですか?」



そして、耳、心、脳、体中を揺さぶるような、
底冷えのする声が少女の体中を這い回る。

少女のプライドは、彼女が言葉で言い表すこともできない衝撃に砕かれた。

こんな感情は、初めてだったのだ。


しばしその言葉を反芻すると、彼女は霧になって消えた。


青年は余韻を残す事無く、今度は倒れている満身創痍の少年に歩み寄った。
しっかりとした手が、少年の襟を握った。

「起きて下さい。全て、聞こえているのでしょう?」
「ふむ・・・随分と手荒な真似をしたのう。」

少年は、わざとらしくその手を払い、起き上がる。
そしておもむろに、原型を辛うじてとどめた顔でにっと笑った。

「なるほど・・・体中が痺れる様な感覚・・・これが痛みのう。
 慣れてくると、なかなか良いものじゃ。儂は好きじゃな。」

少年は大きく伸びをすると、恍惚の表情を浮かべた。

「ふっ、とんだ変態さんですね。それとも、あなたが異質だからでしょうか?」
「戦闘狂呼ばわりは、そこまで好きではないのじゃがな。」

含みを持った笑みは、お互い同じであった。
何かを、底に隠すような、そんな様子。

「さて・・・」

青年は、ふっとため息を漏らした。

「リアさんは、あなたを捨てますよ。」

「どうじゃかな。散る桜の美しさも、死を悲しむ気持ちも美しいぞ。
 無論、満ち欠けする月も、また芸術だと思うのじゃ。」

お互いは、お互いの瞳に強く視線を注いでいた。

細めた目は、全てを物語っていた。

「ぷっ。あなたが言うと、とても滑稽ですね。
 月は、望が一番高尚なのです。諸行無常の美。幻想ですね。」

青年が軽く噴き出すと、少年は歪んだ首をかしげた。
そして、ぽんと自分の胸を叩いた。

「リアは儂じゃ。奴は自分を見失ったりはせん。
 もっとも・・・今は、迷惑をかけておるが・・・。
 じゃが、儂はリアを信じておる。奴と儂は一心同体なのじゃ。」

胸を叩いた少年のその瞳には、はっきりとした光が点っていた。

青年は、目を細めて、また肩を震わせて笑い出した。
その様子を、怪訝そうな目で見つめる少年。

「どうした。何がおかしいのじゃ。」

「いえ・・・すみません。軽率でしたね。」

青年は抑えた口を離して、少年に向き直る。
そして、ふっと微笑んだ。

「・・・妖怪化した元凶を知れば、
 リアさんはどんな行動を取るんでしょうかね?」

その微笑みは、少年の瞳の奥深くに投げられていた。
少年の瞳孔は、一瞬大きく開いた。

「・・・ほざくが良い。お主の運命は、変わることなどない。」

「すみません、言葉が過ぎましたね。」

そう言って、苦笑しながら青年は歩み寄り、
こつんと人差し指を少年の額に当てる。

少年は一瞬まどろみ、硬い音を立てて地面に崩れた。




・・・ただひとり、その様子を物陰から見ていた者がいた。


先ほど、リアと親しげに話していた、色あせたウサギの帽子の少年、ヒカリ。
ずっと、息を呑むように、潜めるようにしてその様子を伺っていた。

しかし、隠れていると思っていたのは、この場ではヒカリだけであった。

「出てきて下さい、そこの紺髪の少年。」
「ひっ・・・。」

少年は肩をビクンと震わせて、おずおずと近くの家の陰から出てきた。
息はすっかり上がっており、目は虚ろであった。

「大丈夫ですよ。ただ、ひとつあなたにお願いがあるだけです。」

青年は、かつてリアに見せていた笑顔で、少年に優しく語り掛ける。
ヒカリは気が気ではなかった。

しかし、彼のその言葉にはある種の魔法でも篭っているのか、
少しくらいは少年を安堵させた。

ヒカリが青年に走り寄ると、青年は倒れている少年を背負った。

「僕と一緒に、命蓮寺に来て下さい。」

ヒカリにとっては、お願いなんかではなかった。
絶対命令。今の彼にはそんな言葉がしっくりくるだろう。




ヒカリは上がる息を抑えながら、道案内を受けた。
どうして自分が一緒に付いて行かなくてはならないのか。

ヒカリには、難しい話だった。

理由は分からなかったが、不穏な気配に突き動かされていたのだ。


大きな鐘が見える、寺院らしき場所を見かけた。
そこに入る青年に、ヒカリはひたすらついていった。

「あなたはあの時の・・・リアさん、また無茶したんですね・・・。」
「鬼と戦って、倒れたんです。大丈夫、しばらくしたら目を覚ましますから。」

庭を掃除していた寅丸星と、そんな会話を交わす青年。
ヒカリは気が気ではなかった。

彼の言っていることは嘘ではない。
でも、大切なことを言わなかった。

あの時、隠れている自分を呼んでから、嘘みたいに穏やかになったのも含めて。
吐き気にも似た違和感を感じていた。

青年は寅丸星と二言三言交わすと、少年を預けた。

寅丸星は、少年の頭を数回撫でてから、抱きかかえて中に入っていった。


二人になったことを確認すると、青年はヒカリに向き直り、自然な笑顔で言った。

「宿が無いんですよね。近所の僕の家なんて、どうですか?」
「・・・あ、ありがとう。いいのか?」

おどおどしながら、ヒカリは青年に問う。

「いいんですよ。心が癒えるまで、うちで過ごしてくださいね?」


少年は、複雑な気持ちになった。


つづけ