東方幻想今日紀 百四十七話  勇敢は生、無謀は死

目の前に、背を向けて店に入ろうとする人影を正面に見据えた。

「そこの鬼!そこで何をしている!」

走り出してから十分もすると、俺はこんな事を声高に叫んでいた。

その影は、返事の代わりに薄闇からその正体を現した。
それを見た途端、思わず顔が引きつってしまった。

「あれ・・・いつぞやの、命蓮寺の人間。」

手にする瓢箪、バランスの取れていない大角。
その容姿は、以前の記憶の中をはっきりと駆け巡った。

空気圧で地面に叩きつけられたあの日。
宴会で仲良く喋ったあの日。

でも、動揺なんてなかった。

「今すぐ、ここから立ち去れ。今すぐにだ。」
「馬鹿じゃねえの!?鬼だぞ、何で挑発してるんだよ!」

ウサ耳の帽子の少年が、横で必死に止める。
そんな彼を意にも介さず、俺は下がってろの指示を出した。

ヒカリは、しぶしぶそれを受け入れた。

「おお?大口を叩くねえ随分と・・・。
 ところでさ、腕はどうしたの?右腕はさ。」

小さな腕をぐるぐると軽く回した後、顎を傾けて尋ねる少女。
瓢箪を軽く振って、怪訝そうな顔を浮かべていた。

「お前如きを倒すのに、右腕なんかいらない。」
「へえ・・・。」

不意にとんでもない言葉が口から出てしまった。

なんで、何でそんな事を言ったの、俺?心にもないのに・・・。

でも、不思議と間違ったことを言った気もしない。
この言葉を撤回して、謝ってもらおうという考えもない。

なぜなら、俺の目的は彼女にここから出て行ってもらう事ではないからだ。
ここで、俺に倒されてもらう。それだけだ。

「私の妖気にあてられたのかは知らないけど、
 あんたは一度、はっきりと目を覚ます必要があるね。
 まあ、殺すには惜しいから、半殺しかな?」


既に、決闘の空気が周囲には漂う。
きな臭いような、この雰囲気。

勝算もなければ、勝機もない。ついでに、正気ではない。
でも、負ける気がしない。

離れたところに、腕を組んで静観するヒカリ。

その目には、淡い希望ともつかぬ光が見えていた。
しかし、その光は無駄に終わるかもしれない。出来るなら、逃げて欲しい。


俺は再び彼女に向き直る。

「すぐにやられてくれるなよ人間?おつまみくらいにはしたいから。」

「その心配はいらない。無に還るのは、お前だから。」

知識の上では、鬼は勇敢な者を好むという。
ここで言う勇敢は、無謀とほぼ同義であった。

強いて相違点をあげるならば、勇敢は生還できて、無謀は死ということか。

鬼がここまで言うのならば、ある程度は対等として見てくれているという事。

どういう訳か、こんな状況がとても楽しくなってきてしまった。
気持ちがうきうきしているというのか、体がうずくというのか。

今までの敵とは訳が違う。何もかもにおいて、桁違いだ。

俺が構えを取ると、ふっと体中の力が抜けていく。
その瞬間に、右肩からあの透明色の青黒い腕の形をした物が生える。
頭の後ろが重くなった。

目の前の少女は、一瞬だけ眉根を上げた。

「私は伊吹萃香。」
「俺の名前は、リア。」

そんな一言を交し合い、お互い構え直した。







初撃を、かわせなかった。

それだけではない。初撃なのか、二撃目なのか、はたまた三撃目か。
それすら分からない。怒涛の殴打が、呼吸よりもまばたきよりも速く襲ってくる。

少女が足を軽く上げるのが見えた。

身体は同時に宙を舞い、少女はまたもや目の前にいた。


「見えたっ!!」
「!?」

組んで、振り下ろそうとしたその腕をつかんで、下に投げ飛ばした。
少女は風を振り切り、爆音を立てて地面に叩きつけられる。

既に体中の感覚は鈍っており、痛みなど感じない。

砂煙を目の前に着地すると、上がる砂のもやから影が現れ、
俺の鳩尾に腕を振り抜いた。

声を出す暇もあらばこそ、感覚の鈍った背中に強い衝撃が走る。
俺は倒れこみ、上から瓦礫が降ってきた。

どこかの塀に叩きつけられたらしい。

瓦礫から素早く抜けると、目の前にまた振り抜かれる影。
素早い殴打で頭はがくがくと左右に振られ、倒れる暇もなかった。

少女の顔と服は、赤い斑点だらけになっていた。

だが、まだ意識ははっきりしている。勝てる。


ふっと力が抜けた瞬間に、目の前に拳が見えた。
今度は、影ではなく、拳だった。

「なっ・・・」

その手を掴み、後ろに引き倒した。

倒れこんだところに、喉元目掛けて手刀を振り下ろした。
少女は鎖を張ってガードを作ったが、その鎖は手ごたえなく貫通した。

このままトドメだ・・・!!

「!?」

そのまま全力で右腕を振り下ろすと、目の前の少女は霧になった。
腕が地面にめり込む感触がした。

腕を引き抜き、立ち上がると、後ろに少女はいた。

振り向きざまに俺はもう一度、右で突きを作って彼女の脳天目掛けて振り抜いた。
それと同時だった。

彼女もまた、同じような突きを作って、俺の脳天を目掛けてそれを突き出していた。


早かったほうが、勝ちだ。



「はい、そこまでです。」

しかし、突如、その腕はゆっくりと上に持ち上げられた。
視界の先の小さな腕も、俺を持ち上げている腕と一緒だった。

見上げると、優しげな表情をした、あの人がいた。


シャクナゲさん・・・!?」

そこには、確かにシャクナゲさんがいた。

「お久しぶりですリアさん。って、会うたびに言ってますよね。」

その青年は、ぱっとつかんだ二人の手を離した。

苦笑する優しげな目元、ちょっとだけ不精な髪の毛。
崩さない黒い着物。そのあたたかな腕。

「そこの鬼。悪いことは言いません。立ち去って下さい。」
「真剣勝負を邪魔した罪は償う必要がある。わかってるね?」

「立ち去れと言っているのがわかりませんか?」
「償えと言っているのがわからないの?」


五十センチ以上の斜めのにらみ合い。
いつものシャクナゲさんと、訳が違っていた。

こんな彼は、初めて見た。

そもそも、普段温厚な彼が発する台詞ではなかった。
鬼と、深水と一体化した俺の手刀を同時に止める。

唐獅子の事件の頃から思っていたのだが、彼は途轍もなく強い。


「リアさん。」
「・・・はい。」

シャクナゲさんから突然話しかけられて、面食らってしまった。
向き直った彼の後ろには、シャクナゲさんを睨みつける少女の姿。

「・・・え?」

シャクナゲさんは俺の額を、こつんと指で軽くつついた。

一体彼は何をしたかったのだろう。
そんな疑問を頭の淵に浮かべた、その瞬間だった。

意識が混濁して、視界に映る物がすべて緩み始めた。
ぐわんぐわんと世界が回りだし、地面に叩きつけられるような感覚がした。


「話したいのは、正確にはリアさんではないのです。」


意識が消える直前に、こんな言葉が聞こえた気がした。



つづけ