東方幻想今日紀 百四十六話  一枚壁を隔てた邂逅

夢から覚めた翌日は、寺子屋が休みだった。

そろそろ、服を新調するか。
墨も新しく買いに行かねばならない。


・・・よし、一人で買い物に出掛けるか。


そう思い立ったら、後は早かった。


幻想郷に来て初めて自分だけの用事で、
一人で買い物に出掛けることにしたのだ。


ひとりで、のびのびと。


・・・少しだけ、胸躍っていた。


財布を懐にねじ込むと、玄関戸を思い切り開け放した。
ひんやりとした空気が、身体を包み込む。


さあ、出発だっ・・・


「あれ、リアさんお出かけですか?」


意気込んでいると、寅丸さんが後ろから声をかけてきた。
へなへなと、一気に力が抜けた。

・・・しかし、ここで、俺はめげたりはしない。


「付いてこないでください。一人で行けますから。」

きっぱりと、振り返らずに言い放つ。


「何のことか分かりませんけど、頑張って下さいね?」


やばい。顔が見えていないのに表情がなぜか分かる。
苦笑いである。寅丸さんが苦笑いとか、俺変なこと言ったよな・・・絶対。



俺は後ろを振り向かずに駆け出した。





走りこむことしばし、市場にたどり着く。

やっぱり、身体が軽い。
流れる景色が途轍もなく速い。


妖怪化は、ここまで進んでいたのだ。




朝の市場は、かなり空いていた。
日はやっと出たばかりで、空気はまだ冷え冷えとしていた。


目的の呉服屋の方向に目をやる。


・・・珍しく、扉は固く閉まっており、のれんも下げられていた。
今日は休業日なのだろうか?


いや、この呉服屋に休業日など無かったはず。
朝早くに開店、夕方早くに閉まる。


もしかしたら、やっているのだけれども、のれんをかけ忘れただけなのか。
確認する為に、その固く閉まった扉に駆け寄ってみた。


・・・扉の奥からは、うっすらと明かりが見える。

これは、誰か起きてるな・・・。


二回ほど、コンコンと軽く扉を叩く。


少しの間待っていると、扉の向こうから足音が聞こえてきた。
下駄を履く音。カチャンと鍵を外す音。


間を持って、扉はゆっくりと開いた。
扉の向こうには、呉服屋の親父さんが不機嫌そうな顔で立っていた。

俺は、その親父さんの腕に、吸い込まれるように目が行ってしまった。


「なんだ、何か用かい。」


ぶっきらぼうに答えた親父さんの左腕は、
包帯でぐるぐる巻きになっていて、肩で吊っていた。


「いえ、大した用事じゃないんですが・・・」

思わず、声が縮み上がってしまう。
一体、親父さんはどうしたんだろうか。


「・・・なんだい。この腕がそんな気になるのか。」
「えっ、そんなことは・・・あります。」

折角だから、訊いてしまおう。
そんなに親父さんも険悪な雰囲気ではないはずだから。

しかし、親父さんは深々とため息をついて、眉根を吊り上げた。

「昼間っから仕事もしねえで寝てばっかいる息子を叩き起こした。
 そしたらだ、あの野郎、いい所だったのにと言って逆ギレしたんだ。
 その結果がこれだ。しばらく、仕事も出来ねえな・・・。」

苦虫を噛み潰したような表情で包帯で吊った腕を見せる親父さん。
彼の心境は、察するに余りある。

「まあ、そういった事情だ。今日は帰ってくれ。」

背を向けて、親父さんはボソッと言った。

自分から尋ねたクセに、反論も出来なかった。



切ないような、悲しいような気持ちで呉服屋を後にした。


その後、市場の方で墨を買い、近くの茶屋で一服することにした。
お茶をすすり、お団子を摘む。

温かいお茶は、冷え切った身体を程よく癒してくれた。


ほっと一息を付いた、その瞬間だった。


「・・・おい、そこの少年。ひとついいか?」

頭上から、明らかに俺よりも若い、少年の声。
恐らく、少年の姿の妖怪だろう。

「はい。」

ぼんやりとした意識で顔を上げる。
そこには、目に傷のある紺色の髪の少年がいた。
黒の陣羽織に、腰マントのような服装。

「・・・!!」

しかし俺の視線は、少年の頭上に釘付けになった。

ウサギ耳のついた、薄汚い帽子だった。


どこかで見たことがある、そんな次元ではない。

見たばかり、違う場所の記憶が音を立てて、ぴったりと重なる。
白いパーカーのフード。少年の帽子。

時間を越えて、場所を越えて。
雷が落ちたような衝動が、身体を駆け巡る。

直感した。
彼はきっと、特別な人で。

すぐに分かる。理屈ではない。

「ねえ君!!その帽子はどうしたの!?名前は?どこから来たの!?」
「えっ・・・?えっ?」

気が付くと俺は立ち上がって、彼の両の手を握って質問攻めにしていた。
彼は目を白黒させて、後ずさる。

「今は、こっちが訊いているんだ。離してくれ。」
「あ・・・ごめん。」

俺が我に返るより早く、冷え切った声で言う少年。
慌てて手を離すと、少年は俺と正対した。

「まあいいや。一つ一つ言えばいいな?」
「あ、うん。」

あまりいい表情を見せない、目に傷のある少年。
それでも、目の前の不審者の質問に答えてくれる。

彼も、もしかしたらどこかで俺を特別と思ってくれているのだろうか。

・・・あれ、これってもしかして・・・恋?

「なんかわかんないけど・・・殺していい?」
「ごめんなさい、ただの冗談というか冗思です。」

心中を察したのか、底冷えのする声で言う隻眼の少年。
やっぱり、以心伝心。

まさかとは思うが・・・。
いや、そのまさかだろう。俺だ。


幻想郷の「俺」なんだ。


「まあいいや。俺の名前はヒカリ。妖怪だ。どこから来たのか、そんな記憶はない。
 この帽子だって、元々被っていた物だ。あとは知らない。お前は?」

口はぶっきらぼうだったが、声の奥に、感情が篭っていた。
少年は少しだけ表情を緩めて、俺に問い返す。

「俺はリアっていうんだ!半妖の外来人で、寺子屋の教師をやってる。
 命蓮寺って所に住んでいて、本名は・・・」

「あー、もうそれ以上はいらない。とにかくリアって呼べばいいな?俺は。」
「ああ、俺はヒカリって呼ぶよ。」

意気揚々と話しているところを遮られてしまった。
でも、もう彼の口調は、見知らぬ人に話しかけるそれではない。

「しっかしな・・・お前みたいなのが寺子屋の教師か。
 まあ、いいや。今、俺は宿を探してるんだ。いいところ知らないか?」

彼はさりげなく本題を切り出してきた。

ここで、迂闊にもうちおいでよ!とか言い出すとみんなに八つ裂きにされてしまう。
ナズーリンやぬえはもとより、多分、聖さんや寅丸さんもブチ切れる。

俺には前科がある。二犯になったら、またヒエラルキーが落ちてしまう。


しかし、宿として思い当たる場所がない。
うちじゃ無理としか、言い様が・・・。

「いや、悪かった。むしろ野宿でもいい。ただ、安全な場所を教えて欲しい。」

頭を抱えていると、いさめるようにヒカリは提案をした。

安全な場所・・・強い人がいる場所。
あ、シャクナゲさんの家とかどうだろうか。

・・・また恩が増えちゃうことになるけど・・・頼み込んでみるか。

「大丈夫!いい場所を知っているから!」
「なに!それは本当か!?」

だんだん俺、遠慮がなくなってきているな・・・。
どの影響か。成長なのか、妖怪化なのかわからない。

ついてきて、そんな事を言おうとしたその瞬間だった。


「おーい!!鬼が出たぞーッ!!」


遠くから、男の喉を絞るような叫び声。
お互いの肩は、ビクンと跳ね上がった。

「おい、逃げるぞリア!」
「・・・何で?」

ヒカリが俺の肩をつかんで切迫した表情で叫ぶ。
しかし、その意図が分からない。

「何でじゃないだろ!お前、鬼を知らないのか!?」
「逃げる必要なんてない。倒せばいいじゃん。」

根拠なんてない。
だが、今の俺には鬼を倒せる。

そんな、奇妙な自信が俺にはあった。

村人を救いたいでもない。
ただ、鬼を倒したかった。たった、それだけ。

俺は、肩の手を振り切って、声のした方向に猛然と走り出した。

「ばっ、そっちは・・・お前人間だろう!?」

ヒカリは、一瞬面食らった。
しかし、一瞬の間を置き舌打ちをして、彼は付いてきた。


自分でも、どうしてかはわからない。
でも、みなぎる力に対しては、自信に満ち満ちていた。

つづけ