東方幻想今日紀 百四十四話  この一面に塗りたくった綺麗な嘘の世界

突然現代入りした夕方。


彼我さんから、経緯を聞いた。


すべて、彼女が作り出した夢だったのだ。

原理は分かった。腕があったりとか、諸々の理由もはっきりした。
ただ、どうしても分からない事がちらほら。



「恩返しとは、何をどのようにそう思っているのですかね?」


・・・いかん。どうしても語勢が強くなってしまう。
どうやら、今の自分はかなり苛立っているらしい。


「・・・意外と大変だったんですよ。この世界を作るのは。
 三ヶ月もかけて、色々な方々の夢を転々としたんです。」

それを察したのか、彼我さんは少し声のトーンを落とした。


「・・・それのどこが、どう恩返しになると訊いてるんだよ。」

「・・・。」


彼我さんは、口をぎゅっと真一文字に結んだ。


駄目だ。彼女をとがめちゃ駄目だ。
だって、癖なのだから。どうして我慢できなかったんだ俺は・・・。



「・・・お主は、本来現代の者じゃろう?
 つまり、帰るために、現代を思い出させようとしたのじゃろう。」


それを見かねたのか、深水が横で口を挟んだ。

「・・・!ありがとうございます・・・。」


彼我さんは泣きそうだった。
助け舟を出してくれたからだろう。


・・・そういう事か。


要は、現代に帰るためのリハビリをしてくれようとしたのか・・・。
それを、俺は踏みにじっちゃったんだな・・・。

「・・・彼我さん、ごめんなさい・・・そうとは知らずに・・・。」

「いいんですよ、いいんですよ・・・!お役に立ちたかっただけなんですから!!」

彼我さんが珍しく、手をブンブンと振って言う。
本当に彼女らしくないが、可愛かったから・・・いいか。


・・・その瞬間、忘れかけていた疑問がまた浮かんできた。


「・・・あの、俺の記憶からこの世界を作ったと言いましたよね?
 だとしたら、俺のあだ名を言われても分からなかったのはどうしてですか?
 妹にいたっては、存在はもちろん、名前に至っては未だに分からない・・・。」


ずっと、気持ち悪いと思っていたのだ。
あだ名や、妹のことを覚えていないのはまだわからなくもない。

・・・だが、妹の名前が確認できないのだ。

まるでその情報だけ、ぽっかりと抜き取られたように。


「記憶といっても、全てがが引き出せる訳ではないのです。
 つまり、ど忘れと呼ばれるものがそれです。
 あまりにも奥深くに記憶が眠る場合、言われても思い出せないのです。
 それと同じで記憶にはしっかり入ってはいるのですよ。安心して下さい。
 あなた自身の名前も、あだ名も、妹の存在も。忘れてなんかいません。」


お。補足する形で彼我さんが答えてくれた。
いや、もしかしたら語尾を疑問形にしなかったからかもしれない。


「・・・しかし、あなたの妹さんの名前だけは別です。
 きれいさっぱり、無くなっています。正直、私も非常に気持ち悪いです。
 だから、ここで確認をしようとしても無駄です。絶対にわかりません。」

「・・・。」


俺は、一応は妹の存在は覚えていたのか。

つまりこの世界にあって、俺が知らないものは、
単純に俺がど忘れをしている状態にあたるのか。 

妹の名前だけがきれいさっぱり消えている。
確かに、ものすごく怖い話だ。

誰かが消したのか。何かの弾みで消えてしまったのか。


・・・少なくとも幻想入りした瞬間に、自身の名前をど忘れしてしまったらしい。

でも、覚えていた。
たとえあの時小春に言われて、ぴんと来なくても。


しかし、妹の名前だけは別だった。



・・・この世界は一応現実ではないのだ。
俺の知る現代は違うところにあって、ここで何があっても影響は無い。

いわば、イメージの空虚な世界なのだ。



・・・という事は、もしかして・・・。


「・・・今の深水も、実は夢?」
「いや。儂がそもそも彼我に頼み込んだのじゃ。本物じゃぞ。」

横の深水が即答した。
なるほど、彼女は本物なのか。


・・・え、深水が頼み込んだの?


「・・・なんで?」

真顔で少女に尋ねると、彼女は頬を掻いた。


「・・・言ってなかったかの。
 儂はとある使命を帯びているのじゃ。
 それを果たすためには、生身に慣れておかねばならん。」

びっくりしてしまった。
彼女がこうして仮の身体で生きているのは、そういう事だったのか。


「・・・いや、使命だなんて、初耳だけど・・・どんな使命?」

「・・・今は明かせないのじゃ、すまぬ。」


深水は申し訳なさそうに目を閉じた。


・・・まあ、それは今はいいや。
問題は・・・。


「・・・つまり、あとかなり長い間、深水の面倒を見なきゃ駄目なのか・・・。」
「う・・・そんなに肩を落とさんでくれまいか。頑張る、頑張るから・・・。」


深くため息をつくと、深水がすがり付くように言う。
悪いんだけど、ちょっと見切れる自信が無い。


「いや、明日の夕方には幻想郷に一度戻ってもらいます。私が持ちません。
 正直、構築するのも大変だったんですけど、維持も大変でして・・・。」


彼我さんが申し訳なさそうに言う。

・・・確かにそうだ。忘れていた。
そもそも、三ヶ月間俺の前に姿を現さなかったのは、そういう理由だったのだ。

ずっと、人の夢の中でエネルギーを溜め込んでいたのだろう。このためだけに。


・・・しかし、それでもたった二日しか持たないなんて。
やはり、一からこういった世界を作るのは尋常じゃなく力を食うのだろう。

・・・確かに、夢の中に引きずり込んでいるのではないのだ。
これは、限りなく現実に近い世界だ。手ごたえがある。

つまり、夢が絵なら、この世界は精巧な人形とジオラマ世界なのだ。


そして、俺と深水は記憶と想像で作られた人形の中に、
意識を彼女によって吹き込まれているのだ。



そんな事をしていたら、力をもりもり消費するのは当然なのだろう。


「・・・何をにやけておるのじゃ。」
「え、そんなに俺にやけてる?」


確かに、さっきから口角が上がりきっている気がする。


「お主なんか大嫌いじゃ・・・。」
「あ、いや、そんなつもりじゃ・・・。」


・・・ふくれた彼女をなだめるのは、少々時間がかかった。





結局、あの後特にやるべきことも見出せず、寝ることにした。

・・・ただ。


「・・・刀と寝るのと、何の違いがあるのじゃ。」
「違いしかないからこうやって拒否してるんだろうが・・・。」

一緒に寝ようとか言い出さなければ、今日を事なきを得たのに。


・・・結局、別の布団を使って寝ることにしたはいいものの、
まさか睡眠のとり方を教える羽目になるとは思わなかった。

眠れないとうるさいから様子を見ると、おめめがぱっちりと開いていた。
まぶたを閉じて寝ることを教えると、今度は枕が嫌だと言い出す。

・・・結局、彼女が一番満足する形だったのは、寝袋だった。


深夜に物置へこっそり出掛けた俺の気持ちを察して下さい。

しかし・・・彼女は根っからの刀だった。
鞘に収まっていなければ落ち着いて眠れないのだろう。


・・・ああ、これも明日で最後だ。



彼女が寝付いたのを確認すると、俺も布団にもぐりこんだ。


・・・すると、彼我さんの顔がぼんやりと脳裏に浮かぶ。

「・・・いいですか、あなたは現代の人間なのです。
 諦めてはだめですよ。夢は見るものでもありますが、叶える事もできます。」



彼女の去り際に言ったそんな言葉が、頭にリフレインする。


・・・そうだ。ここまで彼女はしてくれたのだ。
頑張って、現代の手ごたえをつかまなければならない。


・・・でも、現代に帰るという事はつまり・・・




もう、会えなくなっちゃうのだ。





・・・答えなんて、出るのだろうか。





「リア・・・すまぬ・・・すまぬ・・・。」

ずっと頭を抱えていると、寝袋から寝言が聞こえてきた。



つづけ