東方幻想今日紀 百四十三話  非我夢中

この上なく暗い気持ちで暗い廊下に座り込んでいた。


・・・どんなに考えても、やってしまったことしか悔やめない。
そんな自分が腹立たしくて、悲しくて、情けなくて・・・。


やっている途中に歯止めをかける事すら出来ないのだ。


嫌だ、本当に嫌だ。


自分に少なかれ、好意を寄せていた妹の名前を忘れていた上にあれなのだ。
彼女が泣き出したのも無理は無い、むしろ自然である。


・・・はあ、後で、彼女にどうやって謝ろうか・・・。
謝るにしたって、名前で謝らなきゃ駄目だろうしな・・・。


ぼんやりと首を上げると、無機質な模様の走る天井が映った。


・・・何にせよ、ここでくよくよしていたってどうしようもない。
まず、自室に戻って、頭をゆっくり冷やして今日は寝よう・・・


床を袖で拭ってから、ゆっくりと立ち上がる。


立ちくらみでよたついた足で、隣の部屋のドアノブに手を掛けた。


すると、ある一点の不自然が、目に入る。



明かりが点いているのだ。
消し忘れというのも普通に考えられるが、それは分からない。


・・・ただ、誰がいてもおかしくないと考えると、途端に薄気味悪くなる。

いや、考えすぎか。
さっきから、気分が落ち込んでいるだけだ。どうせ消し忘れだ。


そう決めてかかって、ノブを思い切り引いた。



どうやら、部屋を見てしばらく俺は固まっていたらしい。



視界に映ったものは下着姿の少女。下はトランクスであった。
こちらと目が合うと、その少女は朗らかに話し掛けてきた。


「・・・おお、困っておったのじゃ、儂を・・・」
「ごめんなさいっ!!」


力の限り、扉を閉めて廊下に戻る。



・・・なんかいた。


扉の札には「ちあきのへや」とでかでかと書かれている。
ちくわでも、ちりめんでもない。


「お、おねがいじゃ、あけてくれんかの・・・。」


・・・ドアを押さえていると、
向こう側からノブを捻って開けようとする音が聞こえる。


・・・させるか。
あんな異常な状況、何されるかわかったもんじゃない。


「・・・リア、儂じゃ、深水光じゃ!」


そんな、無垢な声が聞こえた瞬間、手がふと緩んだ。
普段、人の声として聞こえない深水の声。


・・・でも、この世界で、初めて「リア」と呼んだ人。



俺は、確信した。



彼女を深水と。
幻想郷での出来事は、夢じゃなかったこと。




ノブを恐る恐る引くと、目の前には泣きそうな面持ちの少女。
上は俺の下着、下はやっぱり俺のトランクスだった。

年は二桁いくか、行かないくらいだろうか。


それだけ確認すると、出来るだけ小さめな服を探して高速でタンスをあさり始めた。


・・・あまりいいのは無かったが、ちょうど小さめの服があったので、渡した。
正直、目の毒である。見てられない。


「・・・何で服を着てなかったんだよ・・・」

「いや・・・むしろとっさに肌着だけでも着られた
 儂の咄嗟の配慮に感謝してほしいのじゃが・・・。」

「なんでだよ!?固まってないで早く着ろよ!?」


振り返ると、複雑な面持ちで、パーカーとパジャマの下を握り締める下着の少女。
くるくる回したりして、てこずっている。


「・・・あの、すまないのじゃが・・・着せてくれんかのう・・・。」


申し訳なさそうに彼女は言ったが、俺からしたら羞恥プレイもいい所だった。





「・・・何でお前は一人で着れないんだよ・・・。」

中々手間取った上に、視線だけは素直だったから本当に困る。
本当に、俺の中で、色々格闘していたんだぞ、こら。


「仕方ないじゃろうて・・・自分の身体というものを初めて感じたのじゃから。」

「・・・え?」


改めて彼女を見た。


髪の色、瞳の色は確かに深水の刀身と同じ色をしていた。
耳が隠れる程度のショートヘア。身長はかなり小さめだった。


「んー・・・体というものは、やはりこうも・・・不自由なものじゃな。」

自分の手が出ない袖を眺めながらの彼女の一言。


もしかしたら、彼女は本当に身体があった記憶が無いのかもしれない。
人間は操れても、人間として、いや、生身として生活した事が無いのだろう。

・・・仮説は、確信に変わる事となる。


「・・・ときに、何だかここが調子悪いのじゃが・・・。」
「え?」


彼女は自分のお腹の辺りを指差した。

「お腹が痛いの?」
「痛いという感覚がいまいちわからんのじゃが・・・とにかく変なのじゃ。
 あと、口がなんだか空気の通りが強すぎる感じがするのじゃ。」


顔をしかめながら訴える彼女。


最初は、腹痛かと思った。
しかし、彼女は痛みという感覚を持ち合わせていなかった。


・・・だから、痛みというものがわからない。
感じても、それを痛みという感覚と一致できない。


だから、本当に気が引けるが・・・。



「深水、手を出して。」
「・・・こうかの?」


彼女が袖でだらりとなった手を差し出す。
袖をまくると、中から白い小さな手が出てきた。


「・・・あのさ、今から、痛みってのがどういうのか教えるね。
 すごく嫌な感覚だから、恨まないでね・・・。」


そう前置きして、彼女の手の甲の皮を強めに摘んだ。
正直、あまり見ていて心地いいものではない。


「ひっ・・・!?」


彼女が、一瞬悲痛に顔を歪めた。


「・・・この嫌な感じが、痛み。」

「か・・・身体という物は本当に難儀じゃのう・・・。
 しかし、儂が今感じているのはそういう感じではないのじゃが・・・。」


深水がお腹に手を当てて、物ほしそうに言う。


お腹の辺りで感じる痛み以外のもの・・・。
もしかして、お腹が減っているのではないだろうか。

口の中の空気・・・あ、喉が渇いているのか。


「ちょっとまってて。」

俺は冷蔵庫から食べるものを取り出しにいった。


幸い、釜にはまだごはんが残っていたので、それをよそった。
恐らく、箸が使えるわけも無いからスプーンがいいな。

・・・麦茶もあった。これでよし。





「・・・すまぬが、どうやってお主らはものを食べているのじゃ・・・?」

目の前に食べ物を差し出した後の一言。
さすがに、これには落胆した。

・・・仕方ない、一から教えるか。

スプーンで、ご飯をよそって、彼女の口の前に運ぶ。


「ほら、口を開けて。」
「んあ・・・。」

そのまま、彼女の口の中にご飯を乗せる。

彼女はその状態で、固まっていた。


「ほ・・・ほれを、ほうふふのは?」
「口、閉じてかみかみして、ごっくんって。」


彼女は口を閉じたはいいものの、そのまま動かなかった。
首を傾げるばかりだった。


・・・ずっとこの調子だった。

正直、めちゃくちゃ難航した。


ここまで普通のことが、出来ない。
深水は、本当に刀として生まれてきたんだな、というのがよく分かる。


麦茶のときが、一番酷かった。


「なんかなんか、服が張り付いて嫌な感じがするのじゃ・・・!!」
「落ち着いて落ち着いて。」

飲ませてあげるはいいものの、こぼすわむせるわ、大騒ぎするわで大変だった。
大部分を零したから仕方ないのだけど、
まだ足りないといったのでもう一杯持ってきた。

今度は全部飲ませたものの、またむせてしまった。

そのうち、べそをかきながらもうこんな身体いらないと言い出す始末だった。


正直、彼女にとって、物を食べたり飲んだりは、酷い苦痛なのだろう。
しかし、生きている以上は、一日に何度でもしなければならない。


・・・この状態が続く限り、俺の精神ももたない。


そもそも、これはいつまで続くのだろうか?
一体、どういうはずみで・・・現代に来てしまったんだろうか。


「・・・もうやだ・・・。」

「あらら・・・駄目ですよ、自棄は。」



そうつぶやいた瞬間、後ろから聞き覚えのあるあの声。 



「・・・夢ですか?全部・・・。」

振り返らずに俺は彼女に問うた。


「・・・半分あたりです。」

顔は見えないのに、表情が読み取れるようだった。
多分、不敵に笑っているわけではない。


「一応尋ねます。何のつもりですか?」
「恩返しのつもりです。」


誠実に彼女は即答した。


「・・・わかりません。」
「では、説明いたします。こちらに・・・背を向けないでくださいね?」


・・・そういわれて振り返ると、ぎょっとした。


彼女は思ったより、近かった。

部屋の端にいると思っていたのだが、ほとんど目の前だった。


「・・・さて、前提としてですが・・・この世界は、
 あなたの記憶を私が夢として具現化して再構成しています。
 だから、時間の流れもあります。各人が自由なことをします。
 ・・・そして、あなた達の今の身体は私が作った器です。
 リアさんは、あなた自身の記憶、深水さんは、私の想像です。」


・・・そこまで話すと、彼女は一息置いた。


頭の中には、いくつかの疑問があった。



つづけ