東方幻想今日紀 百四十二話  ハロウフォゴットンパーソン

身体が重たい、何もかもが重たい。

さすがにまとわりつく空気までそうは思わなかったけれど、荷物が重い。


中身を確認しても、教科書が十冊と辞書が二冊、お弁当、飴、ティッシュくらい。
また袋を閉めては、駅にある自転車のかごにどさりと載せた。

あとは、駅から家路。


見覚えのある家々が立ち並ぶ。


まるで、久々に生まれ故郷に戻ってきたかのように、
感慨深く鬱陶しくそれらを一人で声を出しながら見ていたのだ。


・・・不意に犬にほえられて、石塀に頭をぶつけた。


たったそれだけで、頭が痛い。


自分の身体のようでいて、実はそうじゃないのではないか。
そんな疑念を浮かべながら頭をさする。

幸い、血も出ていなかった。



歩くのだって、こんなに遅くないのに。


視界だって、普段はこんなに不安定じゃないのに。
・・・いや、それはさっき頭をぶつけたからか。

病院行ったほうがいいんじゃないのか、これ。




・・・いつも見ていたはずの景色が流れ流れ、やがて止まる。

この玄関戸が、こんなに懐かしく思うなんて。
いったい、そんな事去年は少しでも考えただろうか。


・・・家にはお父さんと、お母さんがいて。


お父さんの名前は、東雲白夏。
お母さんの名前は、東雲千冬。

・・・よし。覚えてるな。


車は無かったから、二人とも仕事なのだろう。
当たり前か。月曜日の夕方なのだから。


えっと・・・鍵鍵・・・。


ポケット・・・ない。

鞄・・・ない。

ええい弁当箱!!・・・ないよー!!


じゃあ、じゃあ袖元!襟!!胃袋!!!

・・・落ち着け俺!んな所には無いだろう!




家に入れない・・・家を目の前にして。

がっくりと落胆すると、下げた視界に鍵が映り込む。


「あった・・・。」


間の抜けた声を出して、それを拾い上げる。
たぶん、ごそごそやっている内に落としたみたいだ。


鍵穴は二つ。上下のシリンダー錠である。


俺は仏様のようなアルカイック・スマイルで上の鍵をガチャガチャやった。


ポケットの白い耳が出ていて、鞄のチャックは全開。うすら笑顔。

変質者である。


しかし、上の鍵は回ったのに、開かない。
なんで、なんで?俺が変質者だから?


下の鍵。回した。開かない。

上の鍵。回した。開かない。



俺が鍵を地面に叩きつけるのに、そう時間はかからなかった。


「・・・いや、この扉・・・何?」


合鍵を持っても開かないのだから、
これは泥棒やナズーリンピッキングでも開かないんじゃないだろうか。

何て防犯設備だ。我が家は血も涙も無いのか。

持主を拒むような家は、家じゃない。そうだ家出しよう。


俺の住処は旅だ。旅が家なんだ。

よし、稟の家に行こう。



肩を落として鍵を拾いポケットにねじ込んだ瞬間、中から鍵の開く音がした。

顔が般若から仏様になっていくのが自分でもわかった。


・・・扉が、内側からゆっくりと開くのが分かった。
中から、少女があきれたように顔をのぞかせて、一言。


「・・・最初から開いてるよ?ばかなの?」

「ばかじゃないよ。」

・・・む、なんだこいつ・・・。
というか、誰だ?


黒髪セミロングに、ピンクのワンピース。

ごく普通の女の子だった。


ただ匂いだけは・・・嗅いだことがあった。



しかし、この子は誰だ。どういう因果で家にいるんだろうか。


「・・・って、固まってないで上がってよ。今日調理実習だったんでしょ?」

すると、少女は、急に笑顔になって言った。


「なぜ知ってる・・・。」

「なぜって・・・予定表見たから・・・。」


ストーカー疑惑浮上。


悪びれることも無く言うのだから、常習犯か。
これはあれだな?若い男を騙して、その気にさせてお金を奪い取るあれか。

現に幻想郷にはかなり多かったと聞く。
きっと、その手の賊だろう。


・・・だったら、罠にかかったふりをして、捕まえて突き出せばいい。


「・・・そっか、ありがと。」
「うん、お帰り!!」


・・・ただ、この笑顔はなんだろうか。その・・・むずむずする。




その子と一緒に家に上がると、かつてのいつもの景色が目の前に広がる。
においすら、懐かしかった。


・・・でも、どうしてだろうか。

目の前の少女は、小春と同じにおいがする。

でも・・・ここで嗅いだ記憶は無い。
当たり前か。この子を知らないのだから。


「ねえねえ、台所にきてきて!」
「ん?」


言われるがままに、台所に呼ばれた。

その子と台所の椅子に向かい合うように座った。


「ねーねー、今日の調理実習どうだった?」

少女は、頬杖をついて、笑顔で言った。


・・・もしかしたら、近しい人なのではないだろうか・・・。
だとしたら・・・俺は最低だな・・・。



その少女を見ていると、だんだんに、そんな考えが首をもたげてきた。

じゃあ、この子は誰だ?
友達・・・?

家に図々しく上がりこむような友人なんていたっけ?


いや、いない。


居候?命連寺におけるかつての俺みたいな・・・。
だとしたら・・・


「ねーってば。どうだったの?」

「んー・・・普通かな。」

「んじゃあ、何作ったの?」

「普通かな。」

「・・・あのね、話聞いてる?」

「ごめん。よく聞いてなかった。」


少女は、はふぅとため息をついた。

いや、ごめん。考え事に没頭してた・・・。

相槌は返そうとは思ってるんだけど・・・ごめん。


「もー・・・相変わらずだか、酷くなってるんだか・・・
 じゃあ、三回は言わないかんね?これが最後だよ?」

「あ、うん・・・。」


もしかして、彼女はすごく器が大きいのでは?
相変わらず、という単語も妙に耳を揺さぶる。


「今日は何作ったの?」

「あ、八宝菜と、焼き鮭!!」

「じゃあ簡単だね!おいしかった?」


泣きそうになった。
やっぱこの子、俺を良く知らないんじゃないだろうか。


そこまで考えた瞬間、玄関戸が開く音がした。


「まあ、おいしかったけれど・・・。」


そして、ややの間を置いて台所にある影が入ってきた。
お母さんだった。


「ふたりとも、もう帰ってきたの?晩秋、部活は?」

「月曜は休みって何回言ったらわかるんだよ・・・。」
「おかえりだー。」

「はいはい、ただいま。」

そんな、取りとめもない会話に違和感を感じていた。


二人とも。
おかえりだー。

頭にこびりつく、そんな言葉。

この少女・・・ますます誰だ?



「ねえ、晩御飯は何がいい?」

不意にお母さんの口から出てきたそんな言葉。


「んー・・・秋兄が決めていいよ。私はなんでもいい。」
「・・・!!?」

「あらら、お兄ちゃんに気を使わなくてもいいのよ?」
「ううん、いい。今日の秋兄、なんか疲れてる感じやもん。」



秋兄・・・!!?

やっとピンと来た。

・・・どうやら、この子は俺の妹であるらしい。



なんで、妹だけを覚えていないの?
あまつさえ、ストーカー扱い。

・・・自分、嫌な奴だな・・・。

兄失格どころか、人としてどうなのか・・・。


「秋兄・・・?」

「え・・・?」


気が付くと、少女はうなだれる俺の顔を心配そうに覗き込んでいた。

・・・いかんいかん。
顔を上げると、俺は取り繕うように笑顔を作った。


「・・・八宝菜と焼き鮭がいいな!」


とっさに出てきた食べ物。
いま、一番食べたいもの。これだった。


「え・・・頭でも打ったの?」

確かに打った。けど、関係ないと思うんだ。


「     、その言い草はないんじゃないの?」
「え、だって秋兄の調理実習のメニューなんだもん・・・。」


・・・ん?お母さんの言葉の最初が、空白だったような・・・。
口を動かしてた。喉が動いてた。

・・・声が、出ていなかったのか、聞こえていなかったのか。


「まあ、作っていいね?    。」
「うん、いいよ。秋兄さえよければ。」

「ああ・・・いいよ。」


・・・やっぱりだ。妹の名前の部分だ。
これは・・・俺だけが聞こえないらしい。

彼女の名前は・・・何?


頭の中は、そんなことでいっぱいだった。不思議だった。



・・・お父さんがやがて帰ってきた食事中も、それは続いた。



「     、今日は学校はどうだった?」
「うん、身体測定があったよ。身長が二センチ伸びたよ。」
「オオウフ。     も150センチかー。伸びたなあ。」

お父さんは思っきし酒に飲まれていた。

「晩秋は、身体測定はどうだったんだ。」
「あのね、俺、妹と違う学校だろ。」

・・・やっぱり、酔っている。

ぶっきらぼうに返事をすると、お父さんははっとしたように眉を潜めた。


「・・・妹?お前いつも     と呼んでいたじゃないか。」
「そういえばそうだね・・・秋兄、珍しいね・・・。」


・・・話の流れが、どんどんまずい方向に進んできた。


「・・・ごちそうさま!」

「ねえ、秋兄!?」


いたたまれなくなったのだろう。
俺はすぐにご飯を喉に掻き込んで、茶碗を割れそうなくらい強く置いた。

そして、逃げるように居間から出た。



・・・まずい。妹の名前を思い出さなきゃ!!


二階に駆け上がった。

両親の部屋も自分の部屋も、二階だ!
だから、妹の部屋も、きっと二階にあるはずだから!


急いで戸に下がる掛札を探す。


これは俺の部屋。

・・・あった、この部屋だ!


名前が書かれているはずの掛札が、空白だった。

扉を開け放して、その部屋の電気を点けた。


見慣れない、片付いた部屋の隅にあるピンクの鞄を見つけた。
・・・鞄の名札には、何もかかれていなかった。


じゃあ、教科書は!?


鞄を急いで開けて、中をあさった。

理科、名無し。
国語、名無し。
筆箱、名無し。


あ・・・スマホがあった。

・・・でも、どうやって使うのこれ!?


赤のスマートフォンをひっくり返しているうちに、
丸に棒の電源マークを発見した。

そのボタンをワンタッチすると、モニタが点灯してロック画面が出てきた。

解除ボタンを急いで押すと、暗証番号の画面が出てきた。

くそっ・・・もうちょっとなのに・・・。



何!?何を入れたらいいんだよ!!?
あいつは何をパスワードにしているの!!?

しかたない、手探りだこうなったら!!


・・・震える手でお父さんの誕生日を入れた。

だめだ。

お母さん!

だめか・・・。

じゃあ、俺の誕生日「0505」!


震える手で、確定ボタンを押す。もう、だめもとだった。


・・・すると、ロックが消えて沢山のアイコンが並んだ。
背景には、俺の写真。


・・・あれ、パスワード・・・俺の誕生日?







そのときだった。






「何してるのッ!!?」

後ろから突然響いた、大声。
切迫した、焦りのようなものが俺の身体を突き上げた。

振り返ると、驚愕と怒りに引きつった、さっきの少女。


思わず手に持っていたスマートフォンを落としてしまった。


・・・少女は俺に駆け寄って、俺が落としたものを拾い上げた。

そして、少女はそれを見て伏して泣き出してしまった。



・・・え?え?


訳がわからないまま、俺は泣いている彼女をただ見ていた。
彼女の影で暗くなった床には、沢山のしずくが落ちていた。




「あの・・・。」

「お願い・・・出て行って。」


俺が小さく声をかけると、少女はうつむいたまま、首を横に振った。



「ねえ・・・。」
「お願い。お願いだから・・・。」


「・・・わかった。」



外に出て、扉をゆっくり閉めた。




床に座り込んだ。




部屋からは、啜り泣きの声が聞こえてくる。



頭が冷えてきた。



・・・不思議と、涙が出てきた。





ごめんな・・・名前を忘れられた俺の妹・・・。
俺って、本当に、本当に・・・ゴミだった。



本当に、本当にゴミだった。




「ごめんな・・・ごめんな・・・。」




誰もいない冷たい暗い廊下で、ただ一人つぶやいていた。





つづけ