東方幻想今日紀 百三十七話  外道

夜も更けた妖怪の山。俺は立ちすくんでいた。



どうしようもないことを、どうにかしたかったのだ。




目の前で起こった凄惨なこと。
これを、どうにかしたかった。






・・・彼を、教師として救いたかったのだ。





「・・・道。」




俺は、呆然と立ち尽くした少年に声をかけた。


少年は振り向くと、紅に染まった口を拭きもせず、眉を動かした。

「俺は大切な話があるといって、彼女を呼び出した。
 エルシャは、目を輝かせていたよ。すごく、何かを期待していた。」

・・・そして、感情の無い声で、淡々と喋り始めた。


道の声は、僅かに、かすかに震えていた。



「・・・見られたからには、死んでもらわなきゃいけない。
 さあ、刀を取って、足掻いて死ね。ここが、お前の墓場だ。」


光の無い目で、こちらを見据えて、こちらに指をさした。


わかっていた。
本心じゃないなんてことくらいは、簡単に。


「話を・・・」

「黙れ。お前に話すことは、何一つ無い。
 ここで死ねといっているんだ。刀を抜け。」


口を開いた瞬間に、目の前に手刀の切っ先が来ていた。
全身に、寒気のようなものが走り、思わず腰が引けた。

でも、口をぎうと噛んで、その手を掴んだ。


「・・・そんな事、出来る訳・・・」


また、話を遮られた。

今度は、鳩尾に入れられたのだろう。



「ごほっ・・・げほっ・・・。」


一瞬意識が混濁して、力がうまく入らなかった。
その場に膝を突いて、目に嫌な輝きを持った少年を見上げた。


「・・・どうして刀を抜かない。
 このまま、俺・・・ボクに殺されても良いのか?」


少年の口の周りは、すでに渇いていた。


「お前が本当に殺そうと思うなら、既に殺してるはずだ。
 道・・・お願いだ、俺に何か話してほしい。力になるから・・・」

・・・俺がそこまで言うと、彼は俺の襟首を掴んで、引き上げた。
脚が笑っていて使い物にならないが、かろうじて立つことはできた。

正対した道の両の目には、色違いの光がともっていた。


彼は、きっと俺を殺す気は無いのだろう。
殺すという脅しをかけている奴の目的は、相手の死なんかじゃない。






近くの木に寄りかかり、彼の目をすっと見据えた。

綺麗な目だった。


道は目を伏せって、口を開いた。



「・・・もともと、俺の両目の色は黒だった。
 自分の事も、ボクなんて言わなかったんだよね・・・。」




最初に言ったのは、そんな内容だった。



「・・・すっごい前の話。ボクは、一本だたらの女の子に恋をしたんだ。
 その子は、目の色が、今のボクの色と一緒なんだ。右目が桃色。左が黒。
 こんなことが起こるまでは、幸せだったよ。でも、長続きはしなかった。」


少年の両の目から、一筋の小さな光が、零れ落ちた。
俺は、その様子を口を一文字につぐんで、押し黙って見ていた。


「・・・結構前の話。ボクは、途方に暮れた所を保護された。
 その頃の俺は、自我を失っていたんだと思う。
 大好きな人を、自分の手にかけちゃったんだからね。
 だから、いろんな人を無意識に殺していた。
 ボクにとって大切な一人は、知らない何人かよりも、
 ずっと、ずっと大きくて、心の中ではちきれそうだったんだ。」


胸に手を当てて、ゆっくりと喋る道。
色の違う目からは、同じ色の涙がとめどなく伝っていた。
 
胸がきつくしまっていた。
何か、重たいものが胸の上にのしかかっているようだった。


道は、まだ続ける。


「・・・それを知ってて尚、ボクをやさしく包み込んでくれた人がいた。
 ある大妖怪が、ボクを育ててくれるって名乗りを上げてくれたんだよ。
 ・・・俺はだんだん彼女に惹かれていった。
 万が一箍が外れて食べようとしても、きっと止めてくれる。
 だって、その人は大妖怪だから。ボクなんかが襲ってきても、
 彼女はきっと殺されたりなんかしない。そう思ってた。」


・・・ちいさな白い腕は、ぶるぶると震えていた。


「・・・結局、彼女の一人称『ボク』は自分の物になった。
 惑わす能力も同時についた。彼女は、すごい妖怪だったんだよ。
 ・・・もう、ボクを『キミ』と呼んでくれる人はいなくなった。
 だって、ボクが彼女からもらっちゃったんだから。」

「道・・・。」

「・・・でね、彼女は最後の力を振り絞って、ボクに魔法をかけた。
 ボクの中の化け物が、収まるようにって。そう言って彼女は息絶えた。
 ・・・それを思い出したのは、全部・・・終わってからだったんだけどね。」


そう言って、道は地面に落ちた、すっかり色が変わっていたポンチョを拾い上げた。
あちこちに、赤いような黒いようなしみがある。

「・・・ボクは、自分の中の化け物が収まったと信じていた。
 だからこそ、最近出会った、エルシャのお願いを聞き入れて、協力した。
 笑った彼女は、可愛かったよ。すごく・・・可愛かった。大好き。」


少年は、そのポンチョをいとおしそうにぎゅっと抱きしめた。
ポンチョの上に、沢山の雫が落ちては、消えていった。


聞くに堪えない話だった。
彼は、自分が惚れた相手を殺して取り込んでしまう性分なのだろう。

あの時、道は誰がどんな過去を抱えているのか分からないと言った。
もしも俺が彼の過去を知っていたら、
あの時彼をそんなに薄っぺらに見ていただろうか。


・・・彼を見ると、その丸めた布に顔をうずめていた。
声を押し殺して、その布にすがるように、うずくまっていた。



・・・そんな様子を、何も言えずにただ見ていることしかできなかった。



やがて少年は、丸めた布から顔を上げて、祈るようにこちらを見据えた。







「・・・お願い。ボクをこの場で殺して。
 これ以上、誰かを殺したくなんかない。それに、何よりも・・・」



道は、一呼吸置いて、次の言葉を紡ごうと、口を開いた。




「今なら・・・向こうでエルシャと一緒に暮らせるかもしれないから・・・」


道は、にぱっと微笑んだ。
これ以上の無いくらいの、こぼれそうな笑顔だった。



・・・ふと、とある一片の映像が脳裏をよぎった。




畑の脇の道。

満月の夜。

懇願する青年。


聞こえてくる言葉。

「僕を・・・殺してください。」




・・・あの時と、一緒なんだ。


目の前の命は、俺の手に委ねられていて。

目の前の命は、俺に消してほしいと懇願していて。



あの時、俺は命蓮さんを刺し貫いた。

・・・でも、今度は生身の命。


もう二度と、あの過ちを繰り返したくない。



生きていれば、きっと、いつか。



今思っていることと、違うことになるはずだから。
あれは、回避できなかったことだった。



・・・でも、彼の死は、本当に避けられないのだろうか。
俺が、彼の命を奪うしか、彼の幸せを成し得ることができないのだろうか。

・・・彼は、死ぬしか幸せになる道は無いの?







・・・もう、迷わない。



二度と、同じ過ちは繰り返さない。







「・・・道。命蓮寺に帰ろう。」




一人の人として。
一人の教師として。


・・・彼は、生きなきゃいけない。
乗り越えて、幸せを掴まなきゃいけない。


できるだけ優しく、そう言ったつもりだった。



・・・その言葉を聞いた瞬間、少年の目からは光が消えていった。

それと、ほぼ同時だったのだろうか。





僅かに、少年の焦点が、俺より後ろに移動したのを察知した。
そして、また少年の目に光がともった。


・・・そして、道はゆらりと立ち上がった。





「・・・あーあ、お前に話すんじゃなかった。
 お前は、やっぱりゴミだよ。何にもわかっていない。
 人間としての恥をさらす前に、ここで殺してやる。」
 

投げ捨て去るように、けだるそうに、憎しみを込めるように。
その言葉は、今まで彼から聞いたどの言葉よりも、ぐちゃぐちゃだった。


ぞくりと、嫌な予感が背中を駆け抜ける。
全身の毛が逆立つように。


その瞬間だった。
草を掻き分ける、がさがさという音が背後でした。

・・・悪寒の正体は、これだったのかもしれない。




「・・・でも、まずはあれから先に殺すよ。」

少年は俺の後ろに目をやって、ぼそりとつぶやいた。




・・・慌てて振り向いた先に映ったもの。



それは、背の高い茂みに手を掛けた、よく知る少女だった。




紅の瞳は、何を見たのだろうか。どこを見たのだろうか。




その大きな耳は、どこまでを聞いていたのだろうか。







・・・考えるよりも先に、身体は動いていた。
道よりも早く。彼女を護るなんて、頭に思いつく前だった。



彼女の目の前まで、ゼロの時間で動いて。













水音。







鼻を突くにおい。







痛くないのに、温かい。








我に返る頃には、少年の小さな身体は、俺の身体に覆いかぶさっていた。
少年は、息も切れ切れに。



「あはっ・・・こうでもしなきゃ・・・できないっ、もんね・・・。
 でも・・・これで・・・やっとだよ・・・やっと・・・やっ・・・。」



さっきまで、饒舌だったのに。



こんなに、苦しそうに息なんかしていないのに。



目はこんなに虚ろじゃなかったのに。





「・・・ありがとう・・・せんせ・・・い・・・。」




・・・耳元で、こんな言葉が聞こえてくる。






さっきまで力が入っていた、俺の肩にあった手は、だらりとした。

もう片方の手は、しわになった布を握りしめていた。






視界の先の両の赤い瞳は、見開いたまま動かなかった。









・・・俺は耐えられなくて、笑い出してしまった。






温かみを体中で感じながら、大きな声を出して笑っていた。





















そのまま朝までひたすら、おもちゃみたいに笑い続けた。







つづけ