東方幻想今日紀 百三十三話  ああ、俺は馬鹿なんだな

もうどのくらいが経ったのか分からないのに、命蓮寺は明かりが点る。



いったい、こんな遅くまで誰が起きてくれてるのだろうか。

そんな事、想像がついている。

うれしいのだが・・・それがたまらなく憂鬱なのだ。





小さくため息をついて、玄関の戸に手を掛けようとしたが、手は動かない。
慌てて左手を戸にかけ、ゆっくりと引いた。



カラカラという無機質な、懐かしい音を立てて戸は開いた。



視線の向こうには、やはりナズーリンがいた。
目が合った瞬間、弾かれたように視線をそらしてしまった。


「・・・リア。」

「・・・。」



彼女の視線が右腕に注がれている気配を感じて、痛い。

ここまで待っていてくれた彼女に対して、
お礼を言いたいのだが、それすら出てこない。


ナズーリンが土間に下りてきた。
こちらに近寄ってくる。


俺はといえば、ただ地面をじっと見ているだけだった。



「・・・顔を、上げてくれ。」
「・・・。」


ゆっくりと重たげに首をもたげると、目の前に彼女の顔があった。
どきりとして、少しだけ距離をとってしまった。

ナズーリンは、すぐに詰め寄った。


右の肩に、ぞわっとした何かが走った。
突然、彼女は俺の右袖に自分の手を入れたのだ。


・・・でも、すぐに落ち着いた。


しばらく袖の中でさわさわしていた手は、すっと引いていった。
温かい感触も、一緒に。


ナズーリンが、小さく息を吸った。


「・・・ご苦労様だったな。お茶、淹れてあるぞ。」


彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。
その行動と発言はとても意外だったし、びっくりした。


「ぷっ。なんて顔をしているんだ。ほら、一緒に縁側に行こう。」

「う、うん・・・。」


てっきり、危険を冒すなと怒られるかと思った。
あれだけ言われても、また死地に赴いたというのにだ。

てっきり、頬を張られるかと思った。
こんなに遅くに帰ってきて、腕を失って、顔も見ずに。



彼女に、袖を引かれるままにして渡り廊下を歩いた。









縁側に二人で腰を下ろした。
左手で持った湯飲みの中には、まだ温かい煎茶が入っていた。

空には、さっきまで真上にあった月が徐々に傾いてきている。
恐らく、三時くらいだろうか。


煎茶をすすって、ほうと深いため息をつき、俺は話を切り出した。


「・・・ねえ、怒らないの?」


恐る恐る彼女に尋ねると、彼女は湯飲みを置いて、笑った。


「・・・ははっ。君が無茶をする度に怒るなんて、身が持たないよ。」

あっけらかんとしていた。
いつもなら、あくせくと気を揉んでくれたり、喝の一つは入れてくれたのに。


もう、見捨てられてしまったんだろうか。
やっぱり、俺は彼女にとって、どうでもいい存在なんだろうか。

考えていると、彼女はまだ続ける。


「君みたいな、突っ込んで失敗するような馬鹿は、痛い目を見たほうがいい。
 いい薬になったじゃないか。これに懲りて・・・」


そこまで言ったところで、急に彼女は目を伏せった。


どういうことか、一瞬だけ理解が追いつかなかった。
でも、それは、本当に僅かな間だった。


彼女は俺に背を向けて自分の袖で軽く目の辺りを拭った。
そして、向き直ると、わざとらしくため息をついた。


「・・・全く、君という奴はいつもそうだよ。
 人の忠告も聞かずに、我が道を進んで・・・馬鹿だな。
 その度に、私は気が気じゃなかったというのにだな・・・。」


ナズーリン・・・。」


彼女の目の奥に、反射された月の光が宿っていた。

胸が締め付けられるような思いがした。



俺が馬鹿だった。
どうでもいいだなんて、一瞬でも考えた俺が。


こんなにも、彼女は・・・俺を思ってくれていた。
理解してくれていたのだ。

理解しながらも、自分を抑えていてくれたのだ。



・・・そんな彼女を、改めて好ましく思った。



「君が生きていて、よかった。勝手な話だが・・・
 ・・・それだけで私は今、こんなにも嬉しいから。」


つうと、彼女の頬を一筋の涙が伝った。



右の袖を左手で持って、彼女の目元を軽く拭った。 


「・・・ありがとう。」

「ううん、こちらこそ。」



しばしの間を置いて、彼女は一言だけ、言葉を告げた。


「・・・また、無茶してもいい。
 だから、今日みたいに必ず生きて帰ってきてくれ。
 私は・・・ずっと命蓮寺で、待っているから・・・。」



・・・胸の奥から、何か熱いものがこみ上げて、
危うくしゃくり上げてしまいそうだった。



・・・ああ、また彼女に言えなかった。

今度は、俺が待つ番になったら言ってやるんだ。
俺が彼女を待って、うんと待って。



それで、笑顔で言ってやるんだ。












「好きだ」と。












・・・俺は、本当に馬鹿だな。





自分で自分を殴ってやりたい気分だった。
















「・・・てめえ、ぶち殺すぞ・・・?」

「いや、そのごめん、つい出来心で・・・」


困った。
寝ているところに夜襲をかけたら小春が戦闘態勢になってしまった。

どうやら殴る俺を間違えたみたいだ。



「・・・まあいい。お帰り。」

「ただいま。」


ぶすっとした表情で、小春が苛立ちを飲み込む。

・・・横では騒ぎを聞きつけたのか、
ののが目をこすりながら身体を起こし始めていた。


「・・・んう・・・どうしたんですか、晩秋さまに小春さま・・・。
 こんな夜遅くに・・・取っ組み合いなんかして・・・。」


「あ、ごめんねのの。・・・起こしちゃったね。」


「・・・あのな、そういうのを差別って言うんだぞ?
 俺には叩き起こしておいて謝罪もなしか。お天道さまも悲しむぜ。」

「キャベツがどうした!!」

「耳腐ってんのかお前は!!」
 
「二人とも元気ですね・・・ふわ・・・。」


・・・寝起きでも、小春のツッコミは健在だ。
ののは相変わらずおっとりさんだった。小さいあくびを一つ。


「・・・で、用件は何だよ?」
「あ、うん、ちょっと尋ねたいこと。」


・・・さすが小春。さすがもう一人の俺。
用件があるってちゃんと分かっててくれた。


「・・・なんだかんだで、一心同体ですね。」

ののはその様子を見て、くすっと笑った。







ゆっくり腰を下ろして、明かりを点けた。



「・・・あのさ、小春は道が二つあったとして、危険を冒す?」

本題を切り出した。
えらく抽象的な言葉になってしまった。


「・・・そうだな、俺は・・・命の危険があるならやめるかな。
 まあ、あの時で懲りたってのもあるし・・・好奇心は強いけどな。」


どうやら杞憂だったようだ。
筒抜けほどでもないが、考えていることは大体一致しているのが良い。


「・・・俺さ、誰に何を言われても・・・
 死地を求めてるみたいなんだよね・・・身体が勝手に・・・。
 ほら、あえて触れなかったんだろうけど・・・腕、失っちゃった。」


右袖をぱたぱた振りながら、苦笑いで続けた。
二人とも、とうに気付いていたのだろう。

それでも、決して触れたりはしない。
彼女達は、理由も聞かずに安い心配なんてしない。


それを聞くと、小春はぱっと顔を明るくした。

「・・・でもあれだろっ!そこから神の腕とかが生えてきて、
 超人的な力が備わったりするんだろっ!!」


・・・多分こいつは慰めているつもりなんだろうけど、本当にそうだから困る。

ええ、確かに何か一時的に生えてきましたけどね。
あれは・・・恐らく深水だったと思うけど。

いきなり、深水があんな形で力を提供してくれた理由が分からないけど。


「・・・小春さま、晩秋さまが困ってるじゃないですか・・・。」
「あ・・・ごめんなさい・・・。」


ののに言われて、小春はしおらしくなった。
まあ、自分の発言くらいはわきまえてはいるのか。


「いやいや、いいんだよ。
 それよりも・・・小春は、命まで投げ打ったりはしないってことだよね?」

「あ、ああ。」


小春はこくこくと頷いた。


「・・・ん、わかった、ありがとう。」
「あ、もういいのか?」


「うん。」



・・・俺は、さっと立ち上がり、客間を後にした。








・・・やっと分かった。
俺の中に、何か・・・別の何かがいるんだって。



うまく表すことはできないけど・・・。



・・・どうやら、そいつは死地を俺に求めているらしい。




そんな結論を出して俺は自室に戻り、寝床にもぐりこんだ。




つづけ