東方幻想今日紀 百三十話  我ハ蛾人。報ノ徒ナリ。

未だかつてない光景を目の当たりにすることになった。



おかしいと気付くべきだった。

丙さんが一時的に戦闘離脱して俺の回復に回った。
治した直後に、すぐに戻ろうとした。



・・・ゆっくり話してからだと、遅かったのだ。






「・・・なんだよ・・・あれ・・・。」






・・・開けた焦土の丘に着いて、目に入った物。



狼少女と黒髪ポンチョの少女が姿勢を低くして攻撃に備える。
それと対峙する、仁王立ちをしている巨人とも形容するべく異様な何か。



身体は筋骨隆々の大男、頭は蛾そのものだった。
その大きな蛾の頭には、くし状の触覚が二本。

背中には、巨大な蛾の翼。


人間らしい部分は、全て銀色に染まっていた。



・・・大きさといえば、二人の身長の二倍はあるから、3m前後はくだらない。



正に、異形の化け物だった。


・・・不意に、その化け物は大きく身震いした。




そして次の瞬間には、けたたましい爆音と一緒に、
椛さんがいた所に砂煙がぱっと上がった。



・・・あっという間の出来事、ただ立ちすくんでいた。




しかし、我に返ると、砂煙の上がったところに走り寄った。




「椛さんっ・・・!!」

そこには、えぐれた地面の先に、顔をゆがめる少女が横たわっていた。


「うっ・・・ごほっ。」

どうやら椛さんは頭から地面に叩きつけられ、そのままめり込まされたようだった。
酷い外傷はなく、足止めのつもりだったのだろう。


・・・ちらと横に目をやると、丙さんがさっきの化け物と格闘をしていた。




素手でやり合っているのは、刀でダメージを与えると、
相手よりも強い衝撃が跳ね返ってくるからだ。

敵は自分よりも、体力があると踏んだのだろう。


・・・何とか追いついているものの、苦戦していた。


一撃一撃は良く見えないが、丙さんが常に移動、後退しながら攻撃していた。
おそらく、後手に回っているのだろう。


そもそも、彼女は毒で弱っている上に、お腹を貫かれているのだ。
おまけに、失明はしていないものの左目の視力もかなり弱っているはずだ。
立体視は当然、出来ない。




・・・この状況ではとても加勢なんて出来ない。

斬ったところで、当たらない。
当たっても、狙いなんかつけられないから丙さんを切ってしまう可能性すらある。


こちらへ突っ込んでこないかを確認しながら、現状を確かめよう。



・・・あそこにへたり込んでいるのは、エルシャさん。
さっきのショックで、全く動けなくなっている。


あとは・・・。




・・・道がいない。



いくら見回しても、少年の影は形もない。



いったいどこに行ってしまったのか。
彼の事だから、逃げたはずもない。




・・・そう思い、上を見上げた瞬間だった。




あの化け物が、手を止めてこっちを振り返る。




しまったと思った頃には、もう遅かった。




身体が宙を舞ったかと思ったら、目の前に黒い影が振り下ろされる。
その瞬間に、背中を激しく打ちつけられた。

妙な寒気と一緒に、直感した。



また折れた。



・・・骨折というのは、何度しても慣れることは無いらしい。

少なくとも、俺はそうだった。


背中の温かみが、顛末を物語っていた。



もう、むちゃくちゃだ。
勝てるはずが無い。


・・・今度こそ、駄目かな・・・。




死を直感して、まぶたが落ち込んだ、その瞬間だった。





『・・・ここからが本番じゃ。』


・・・あの声が響いて、すっと意識が飛んだ。















・・・目を覚ますという表現が正しいだろうか。


はっとなり、我に返ると自分は確かに地面の上に立っていた。

考えている暇は無かった。



直後、視界に黒い影が横から割り込んできたのだから。





・・・今度は、はっきり見えた。



その大きな、銀色の太い手を、わしづかみにした。





透き通った、深い深い蒼の手の形をした何かが、
その銀の太い塊をしっかりと受け止めていたのだ。



「おらあっ!!」


・・・その掴んだ銀の塊を、思い切り引き抜いた。





腕は弧を描き、鈍い音を立てて地面に落ちた。
目の前の化け物は、チェーンソーがうなりを上げるような叫びを上げた。

・・・その隙を逃さなかった。


拳を固めて、右ストレートをその蛾の顔に振り抜いた。



僅かな時間を置いて、巨大な銀の身体は途轍もない勢いで遠ざかった。

しばらく低空飛行をした後、
その巨体は騒然たる音を立て、地面に叩きつけられた。



間髪いれずに、その遠くで倒れている巨体に近寄った。
距離はあっという間に縮まり、もう一度右腕を叩き込もうとしたその瞬間。



巨大な羽が目の前にあったのも気付かず、
目の前にさっと影が過ぎ、肩をこするような感触がした。


吹き飛ばされたが、体勢をすぐに立て直し、次の攻撃に備えた。



その化け物はすぐに立ち上がり、両翼を大きく広げた。




・・・体中が、ぞくりと何かを感じ取った。



危険を察知して横に飛び、身をかがめて転がった。



テレビの短いザーッという音が背後でした。

振り返ると、さっき俺がいた地面の周りには、
長さが箸ほどの細針が突き立っていた。

角度もばらばら、何よりも数が尋常ではなかった。


・・・あれをまともに食らっていたら、即死だっただろう。



こんな事を考えるのは、気の緩みだったのだろうか。


そうでなければ・・・




「しまっ・・・!!」




気配を感じ上に視線をやると、化け物は空にいた。

その蛾の化け物は大きく首をそらした。



危険を察知して、今度は全力で横に走った。



背後で爆発音がして、幾分か強い風と砂がこちらに飛んでくる。

・・・そして、さっきまで乾いていた空気が湿っぽく感じた。
奴は濃縮した蒸気の塊を吐いたのだろうか。



後ろを振り返って確認すると、土煙のなんともいえぬ匂いが鼻を突いた。


そして、煙が晴れた穴には・・・あの青い月が映っていた。



なるほど、水銀の煙か・・・

身震いは一層強くなる。

目の前の化け物が、どれほどの者か。
素性すら、うっすら感じ取れてしまった。



「劣ってる」のだ。俺はこいつに。



そこまで考え、瞬きすると向こうから何かが飛んできた。

何かを確認した頃には、すでに手は伸びてて、
俺はそれを抱きかかえ、反動で後ずさりした。


・・・それは、ぶん投げられた椛さんだった。


怪我をさせまいと、右手を慌てて引っ込め、
右手以外の身体全体で押さえ込もうとした。


靴を履いているのに、足ごとこそぎ取られるような感覚。
たまらず、しりもちをついてしまった。


立ち上がろうとぼんやり考えたときには、目の前に羽を大きく広げたあれがいた。



直感したというのが正確なのだろうか。
抗えない何かを、しっかと感じ取れたのだ。


・・・一巻の終わりだ。

どうせ死ぬのなら、せめて俺だけでいい。






俺は椛さんの前に出るようにとっさに前転をした。
そして、すぐに彼女に覆いかぶさった。




一瞬で、何も分からなくなるのだろう。
それでいい。



早く、終わってくれ。



・・・ああ、この一瞬が長く感じる。
本当の死期というものは、かくも長く感じるものだろうか。







・・・ばっかじゃねーの。


何でこんなときにあいつの顔が思い浮かぶんだよ。
今関係ないだろう、さっさと消えてしまえ。



・・・ほうき片手に憎らしい笑みを浮かべてさ。



出会った頃は、あんなにも生意気だなあ、と一歩置いていたのに。

今・・・こんなときに思い出すのは、やっぱこいつなんだね。




・・・しかし、どうしてだろう。
この一瞬が、実に長い。


しっかりと目に、頭の中に彼女を焼き付けておけという神様からの啓示だろうか。

だとしたら、ありがたい。
素直な気持ちで彼女を・・・いてっ。


「なーにいつまでも大事そうに抱きかかえてるんですか・・・?」


ふと、頭をぺしと叩かれて、正気に戻った。



目の前には、腰に手を当てた高下駄で山伏帽の茶髪の女の子。
見まごうはずがなかった。



「さっきの攻撃は私が全て風で払いました。ひとまずは安全です。
 狙いも、少しの間ですが、逸れていきました。」
 


「・・・射命丸さん・・・。」




まくし立てるように喋りながら、身体を起こすのを手伝ってくれた。
椛さんは自力で、もぞもぞ起き上がった。


・・・ぷはあ、とか言ってたから、
多分覆いかぶさるときに息がしにくかったのだろう。そこはごめん。



「あなたの面白い右腕も、髪型や髪色も、どうして山がこうなのかも、
 この蛾の人間もどきも・・・全部、今は職務放棄です。
 私は、誰かみたいに使えない戦士なんかじゃありませんからね。」


紅葉形の大きな団扇を頬の辺りにあて、いたずらっぽく微笑む彼女。
俺達は、彼女に助けられたのだ。

・・・そっと頭の後ろに手を伸ばすと、髪が結われていた。

長い、数十の毛束が一本。
それは月光に照らされて、深い青をさらに深めていた。



「・・・使えない戦士とは、失敬ですね。」


椛さんが、懐から、脇差を取り出し組み立てながら、
ぶうたれた顔でぼそっと、独り言のようにつぶやいた。


・・・少し遠くでは、丙さんとエルシャさんが、あれと激しく交戦していた。


しかし、標的は丙さんだけのように見えた。
・・・・さっきから、エルシャさんは一向に狙おうとしていない。



そして、引き抜いたはずの奴の腕が、再生していた。




射命丸さんが、軽く咳払いをした。

「・・・さて、加勢しますよ。」




・・・椛さんと顔を見合わせて、お互いにこくんと軽く頷いた。




つづけ