東方幻想今日紀 百二十八話  霽月の横の暗雲

「・・・ふう・・・それにしても、こんなにうまくいくとはな・・・
 まあ、ボクも頑張った甲斐があったってものかなっ・・・。」


月夜の下、打ち解けあう少女二人を目の前に、
疲れたようにオッドアイの少年は座り込んだ。


少年は、月を見ながら深い深いため息をついた。




「・・・ところで・・・この妖怪の山はどうするつもりですか。
 あまり、この状況で苦言を呈したくはありません。
 ・・・しかし、私はこの妖怪の山の住人なのです。」


椛さんが突然立ち上がり、毅然とした態度で道に言う。
道は一瞬動揺したものの、すぐにもとの表情に戻る。


「・・・ボクは誰も殺しちゃいない。幻覚を見せて、立ち去らせただけだ。
 だから、大丈夫。それに、ここは元々開けた場所なんだ。
 何一つ問題ない。後少ししたら、この山から彼女と一緒に立ち去るつもりだよ。」


それを聞くと椛さんは、喉に力を入れて黙った。
少年は、ふっと笑った。


「・・・それよりも、見てよ。
 さっきまであんなに・・・強張った表情をしてたのに・・・
 彼女、あんなふうに笑うんだね・・・知らなかった。」


目を細めて、向こう側を見るように促す少年。


・・・その言葉は、椛さんというよりは、俺達に向けられていた。



目をやると、さっきの血なまぐさい戦いが嘘のように、
少女が二人、笑いながら話していた。


黒髪ポンチョの少女は、ふわりとした笑顔を湛えていた。



・・・その様子は、息が詰まるほどに平和で、和やかだった。



「・・・よかった。丙子って子が、彼女に敵意が無くて。
 おかげで・・・彼女に、復讐ってのが・・・
 ・・いかに無意味か分かってもらえたと思うから。
 奪われたら・・・取り返そうとせずに、前に進んでほしかった。」




・・・少年が、誰ともなしにつぶやいた一言。
自分に言い聞かせているのかもしれない。



・・・その言葉を聞いて、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。



ああ、自分はなんてちっぽけな人間なんだろう。
考えていることといえば、目先のこと、自分の事だけだ。



・・・教わるべきは、俺なのに。


教師という名前の後ろ盾で、彼を教えていた気になっていたのだろう。






ぼんやりと、目の前を眺めていた。


 


 







「・・・それにしても、エルシャはメルシア君そっくりだねっ。」

「・・・えっ、本当か!?」


のほほんとした笑顔で、
丙さんがさも当然なことを確認するかのような口調で尋ねる。
黒髪ポンチョの少女のエルシャさんは、多少面食らったようだった。



「うん、話し方や顔もそっくりなんだけど、
 思い込んだら一直線とか、ちょっと強情なところが、そっくりだよ。」






「・・・!」




「よかった・・・僕・・・今まで捨て子だと思ってたんだ・・・。
 だからね・・・本当のお父さんは、別の人だと思ってた・・・。」


狐につままれたような顔して、黒髪の少女は頬に手を当てた。
そして、目頭をそっと袖でぬぐうと、それだけ言葉を置いた。


「僕ね・・・お父さんにあんまり構ってもらえなかったんだ・・・
 捨て子じゃないのか、薄々そう思ってた。でも、それは惨めだったんだ。
 あるはずもない、自分への誇りが許せなくて・・・。」

「・・・。」


少女は、拳を握り締めて、眼前の地面に語りかける。

丙さんは、笑顔を緩めて、真顔でそれを聞いていた。



「・・・僕、本当はよく龍乃国へ遊びに行っていたんだ。
 かねてから、龍は僕たちの国で誤解されている。
 ・・・でも、そんな食い違いは、僕が而国の人とは違うんだって、
 そう思える根拠になって、腹立たしかった。
 ・・・だから、僕は自分の誇りの為だけに、龍を憎んでいたんだ・・・。
 本当は、お父さんが独断で僕の兄を処刑したんだって・・・知ってるよ。」



・・・今までの会話から察するに、龍乃国は丙さんの故郷。
而国は、エルシャさんの故郷だろう。

・・・恐らく、エルシャさんの国では丙さんのような龍は忌み嫌われていた。
でも、それは根拠のなかったこと。彼女はそれを知っていた。

・・・それが、彼女の愛国心を傷つけたのだろう。
だとしたら悲しい話だ。本当は、もっと早く打ち解けていただろう。

反動で、彼女は憎む相手を間違えてしまったのだ。



・・・そんなもやもやを頭に抱えながら、当の道に目をやる。
彼女が丙さんと打ち解けられたのは彼のおかげなのだから・・・


・・・?


「・・・おーい。」



見ると道は、恍惚の表情を浮かべ、ぼーっと二人を眺めていた。
読んでも、返事ひとつしないし、振り向きすらしない。


・・・こっそり道の後ろに回りこんで、彼の視線を追いかけた。


 
視線の先には、丙さんに頭を撫でられて、目を細めている黒髪の少女。



・・・ははーん。こいつ・・・。


まあ、彼だって機械でもなんでもないんだ。
恋の一つや二つ、したって不思議はないだろう。


それにしても、かなり貴重な光景かもしれない。



・・・もっと、掴みどころのない奴だと思ってたけど。
その実、道理の適った普通の男の子だった。

しかも、全て彼女のために動いていたのだから、驚きだ。



・・・本当は、名前の「道」の通り実直で、あったかいんだな・・・。


心無いと思ってた人の、こういう温かいところに気付かされると、
何だか恥ずかしくなるのと同時に、うれしくなってしまう。


・・・ああ、空気が澄んでいる。



「・・・道。これから、どうするつもりなの?」


彼は身体を一瞬強張らせて、振り返った。
突然話しかけられて、現実に戻ってきたのだから仕方ない。


「・・・ああ、そうだね・・・天魔の面倒なお話の後、
 もし良かったら・・・命蓮寺で休ませてほしいんだけど・・・。」


「いいよ。おいで。」


もちろん二つ返事だった。
一泊でも、二泊でもしてほしい。


俺も帰ったら、丙さんの治療をして。
道とエルシャさんに水銀の蛾の事について、
野孤と丙さんに誠意ある謝罪をしてもらう。

正直、あれはやりすぎだと思うし、野孤に至っては、とばっちりだ。
しっかり謝ってもらうことにする。


・・・野孤、簡単に許しちゃいそうだな・・・。
死ぬほど辛い目に遭ってきているというのに・・・。

ま、そうだとしても、それが野孤だな・・・。



そんな事を思いながら、ふと自分の右腕に目をやった。
腕があった場所には、焼けた草原が広がっている。


じゃんけんしたくても、もうできないのだ。



しかも、今まともに立てない歩けない。

帰ったら何て言われちゃうのかねえ・・・。
皆心配してくれるのかな・・・。


ナズーリンや寅丸さんなんか、過剰に心配してくれそう。
ぬえなんか、一見興味なさそうだけど、その実・・・なんてね。

そんな様子が頭に生生しく浮かび上がってきた。
気が付くと、自分はにやけていたのだ。


でも、そんな場合じゃない。


これから先も、すごく不安だ・・・。
授業はもちろん、日常生活もままならない。

冷静すぎるぞ、自分。
腕失ったらもっとうろたえるべきだろう。
小脳壊されたらもっと悲しむべきだろう。


でも。



「・・・まあ、何とかなるといいな。」

『他力本願じゃのう、相変わらず・・・。』


つぶやいた瞬間に、聞き覚えのある響き。


「いや、まあ俺の力じゃどうしようもないし・・・」

『言い訳をするでない。本来どうしようもないものはどうにもならないものじゃ。
 そんな取り返しのつかない過ちをする前に、注意を怠らんのが本来の在り方、
 お主はどうしようもない事をどうにか出来る周りに甘えておるのではないのか?』

「・・・う。」


正論をぶちまけられて、身動きが取れなかった。
そう、全て正しいし、道理に適ってるんだけど・・・。
説教にしか、聞こえない・・・。



軽くため息をついた、その瞬間。






『・・・お疲れ様じゃな。お主はよく頑張った。』







頭の中で、そんな無機質な声が響いた。



「俺は何もしてない。」


いきなりそんな事を言われて、豆鉄砲だった。
びっくりするくらい、率直な意見が出てしまった。


『無謀は勇気じゃ。なかなか出来る事ではなかろう。』

「・・・もしかして、気を使ってる?」


この状況でこんなにしょげさせたらまずいとでも思ったのだろうか。
こんなに態度を変えてくるなんて。珍しい。



『・・・ところで、先ほどから道が言っておる天魔とは誰じゃろうか・・・』
「思いっきり話をそらしたよね、今・・・。」


・・・こいつ、実は話下手だろ・・・。



まあ、自分も気になっていたことだし、一応訊いてみるか。

俺は道の肩を軽くたたいた。



「・・・ところで、さっきから言ってた天魔って誰?」


「この妖怪の山を統括するお方です。」


道が口を開く前に、少し遠くの椛さんが顔を綻ばせて言った。
・・・即答だった。俺が口を閉じるのと同時かもしれない。


ふいに、今思った事。



「道、山を焼き払っておいてお咎めだけで済むの?」


ぶち殺されると思う。

 


「大丈夫。別に誰かを殺したわけじゃないし、焼き払ったのもごく一部だ。
 おまけにすぐに木々は育つようにしてある。それに・・・
 ・・・ボクは天魔と張り合える程度には強いからね。」


・・・その瞬間、ぞくりとした嫌なものを感じた。
妖怪の山の最高責任者と張り合える。


・・・恐らく下っ端の、椛さんでさえ太刀打ちが出来なかったのに・・・
横の椛さんも、怪訝そうな目で少年を見つめていた。


「・・・まあ、ボクの幻覚はあの人には効かないから、外出中を狙ったけどね。
 あと、この辺の守矢神社の連中がいないのが重なるとき。
 今日がそれだ。博麗神社の宴会だからね。」


道は指をピンと立てて、説明口調で話した。
なるほど、計算しつくしているなあ・・・。


・・・むしろ、どうして寺子屋にいるのかが分からない。



「・・・さて、そろそろ不可視の幕を切って、
 え・・・エルシャと一緒に帰るとするか。」


わかりやすいなこいつ。多分さっきので惚れたんだろうな。

まあ、ずっと憎しみの顔からのあの笑顔だ。
彼女の生い立ちまで知る彼ならころっと行ってもおかしくない・・・かも。


そこまで、考えたその時。




「・・・それよりも、さっきから嫌な予感がとまらないのです・・・。」

ボソッと、椛さんが立ち上がってこんな事を言い出す。



彼女はさっきから、嫌な予感嫌な予感と言っていた。
・・・が、事はすべて終わったのだ。


「もう全て終わったから、大丈夫ですよ。」


「・・・あ、あれ・・・。」

笑顔でそう言うと、椛さんは急に顔を青ざめさせた。
視線は、後ろの上空を向いていた。



・・・そのただならぬ様子を見て、慌てて後ろを振り返る。





・・・さっきの青い月だった。



「「・・・?」」

俺も道も首をかしげながら、顔を見合わせた。
しかし、椛さんの表情は、引きつっている。




・・・もう一度、月に目をやった。




やはり、美しい大きな月だ。


普段と違うところなんて、何らない。









・・・強いて言うのなら「小さな黒い点」が月に見えるくらいだろうか。





つづけ