東方幻想今日紀 百二十七話  雪解けの月。

目の前で、一人の少女がお腹を刺され、膝を突いた。


少女の口からは、鮮血が滴り落ちた。


黒髪の少女の手は、震えていた。


俺は聞こえぬのも忘れて叫び続けていた。


道はそんな俺をなだめすかそうとしていた。


椛さんは、ひたすら落ち着きなさそうに月と少女たちを交互に見ていた。










「・・・はあっ、はあっ・・・
 龍の癖に・・・人間を侮っているからだ・・・。
 だから・・・こんな目に遭うんだ・・・。」



黒髪の少女は、膝を突いた丙さんの眼前に細剣を突き出した。


少女の瞳孔は、開ききっていた。
肩で息をしていた。


薄桃色の髪、紅角の少女は、口を一文字にぎゅっと結んだ。




「まだ動けるだろう!どうして僕を攻撃しない!?僕はお前の敵だぞ・・・
 復讐しに・・・わざわざここまでしたんだぞっ・・・!?
 どうして自分の命を狙う奴を目の前にして、何もしないんだよっ・・・!!」


悲痛な、枯れた声の叫びが、しんと原に響く。

切っ先は、がくがくと狙いを定めていなかった。


その叫びには、さっきとは違って激しい疑問を含んでいた。
少女は困惑していたのだろう。




ふいに、紅角の少女が小さな手で、その切っ先を掴んだ。

きれいな白い手が、赤い筋入りの斑になった。



黒髪の少女は、硬直していた。

双方、おびただしい量の汗が、ぷつぷつと浮かんでは落ちていった。
黒髪の少女の瞳孔はだらしなく開き、身体の震えはいっそう大きくなる。




紅角の少女は、黙っていた。
黒髪の少女は、声を出せないでいた。




・・・どのくらいの間があっただろうか。



切っ先の辺りから、澄んだ潤んだ声が聞こえてくるまで。




「・・・私には、家族を失うことが、どれほど悲しいのか分からない。」



少女の切っ先を掴む手は、剣の根元に少し動いた。

真っ赤な切っ先が、彼女の袖許に姿を現した。




黒髪の少女の剣を握る手には、ほとんど力が入っていなかった。

もしも、紅角の少女が離したら、細剣は黒い草原に落ちていただろう。



「・・・でもね、大切な人を失うことが、
 どのくらい辛いのかは、少しだけ・・・分かるよ。」




少女は、もう片手で細剣の刃をしっかりと握った。

刃を握る二つの握りこぶしは、ぴったりとくっついていた。



黒髪の少女は、我を失っていた。
透明な細い筋が、何本も、顔を行き来していた。



「あとねっ・・・」

明るい澄んだ、柔らかな高い声。







俺はその細い剣をへし折るのだと思っていた。

・・・でも、あの握り拳の位置だと小さな力で折れない。






紅角の少女が、軽く微笑んだ。

細めた目からは、光の筋が伝い落ちる。


黒髪の少女の開ききった目は、感情がこもってなかった。





・・・不幸なことに、次にやることがわかってしまった。

さっきまでは、想像もつかなかった事だった。










少女は両の握り拳を、紅の澄んだ左目を目掛けて、押し付けた。











・・・そして、そのままの笑顔で、その握り拳を引き抜いた。




「・・・これで、メルシア君の痛みも、ちょっぴりわかったよ。」





彼女が握った刃を離すと、
先端が紅くなった白い細剣は焼け草の上に柔らかな音を立てて落ちた。




黒髪の少女は、その場に力なくへたり込んだ。

「・・・どうして・・・。」


誰にともなく地面の焦げた草に向かって、少女はつぶやいた。







紅角の少女は歩み寄り、黒髪の少女のそばにしゃがみこんだ。




「私はね・・・あなたに、言いたいことがあるの。」





黒髪の少女は、力なく振り向いた。
相手の左目を見ると、避けるように視界を外した。


「・・・憎くて汚らわしい龍の言う事だけど・・・聞いてほしいのっ。」



「・・・いやだ。」



紅角の少女は、ふっと笑った。





そして、またすぐに憂き顔に戻った。







「・・・メルシア君を奪って・・・ごめん・・・ね・・・っ。」





黒髪の少女は、はっと声を上げた。



少女の右目からは、止め処なく涙があふれていた。




「・・・兄さんを奪ったのは・・・お前じゃない・・・。
 僕の・・・国だ。僕の・・・お父さんだ。だから・・・」




黒髪の少女は、唇をぎゅっと噛んだ。



「本当は・・・全部、わかってたんだ・・・。
 ・・・僕は・・・自分が嫌いだっ・・・!!
 お前は・・・僕の知っている龍じゃない・・・!!」




「・・・えっ・・・。」




黒髪の少女は、口を開いて、大きく息を吸い込んだ。



「お願いだ・・・僕を許してくれっ!!
 お前を憎むしか・・・気持ちのやり場を見出せなかった僕をっ・・・!!
 僕はっ・・・僕はっ・・・!!」






「・・・。」





・・・黒髪の少女は、大粒の涙をわっとこぼして、
紅角の少女をすがるように見つめた。





初めて毅然とした少女は、なりふり構わず泣きじゃくった。








「・・・えいっ。」



「・・・!?」




・・・紅角の少女は、黒髪の少女をきゅっと抱きしめた。






「ん・・・。」




黒髪の少女は目を細めて、紅角の少女の平らな胸に顔をうずめた。


紅角の少女は、少女の黒い髪をすくように撫でた。







空は晴れて、青々とした月が柔らかな焦土を照らしていた。








「・・・もしも・・・」


平らな胸の中で、少女がつぶやいた。





「・・・ん?」






「・・・もしも、お前と兄さんが結婚してたらさ・・・
 ・・・お前は・・・僕のお姉さんになってたんだな・・・。」




「・・・あははっ。そうだね・・・。」





しばしの静寂が、この広い妖怪の山を包み込んでいた。
青い月が織り成す影が、二つの姿を山に落とし込む。





「・・・姉さん。」



黒髪の少女は顔を上げて、紅角の少女を見上げた。







「・・・なーにっ?」


紅角の少女は顔を綻ばせて、返事をした。








二人の少女は、お互いに微笑んだ。

















「・・・ね?」

オッドアイの少年は、呆然としていた俺に得意気に話しかけた。







椛さんは、ひたすら青い月を険しい顔で睨んでいた。










月が・・・綺麗だね。






つづけ