東方幻想今日紀 百二十二話  いぬばしり もみじ揉め揉め

「・・・はあ・・・。」




妖怪の山を登りながら、暗い顔で溜息をつく。
足どりも、歩行のそれになっていた。


今、一人だ。

辺りの夕暮れは徐々に深くなっていく。





こんな状況なのも、それなりに訳がある。



調子に乗って走りまくってたら、
案の定というか、ムラサさんとはぐれてしまったのだ。


俺は一体どうしてしまったのだろうか・・・。


急に箍が外れたように走り出してしまったのだろうか。
彼女の声が聞こえないほど、夢中になって。


馬か俺は。


断じて馬鹿ではない。ここ重要。




「・・・深水。何か言って、お願い。」

『・・・いや、儂から何か言う事はあるまい。』







「・・・そっか。」


・・・やっぱり怒っているのだろうか。
声の抑揚からは、判断が付かないが、きっとそうだろう。



・・・この後、どうする?



丙さんを、引き続き捜すか・・・ムラサさんも捜すか・・・。

でも、ムラサさんと二人で頂上を目指していた・・・はず。
ここは、頂上に行くべきではないだろうか。



・・・今、頂上の様子はわからない。


激しい火炎に包まれているのか、
もう消し止められ燻っているのか。


何にせよ、頂上の様子が普段と違うのは確かだ。



ムラサさんはもう戻っているのだろうか。
それとも、既に頂上を目指して引き続き歩いているのだろうか。


・・・いや、それはないだろう。


彼女の事だから、俺みたいに命を捨てに行くようなことはしないだろう。
きっと命蓮寺に戻って、事の全てを洗いざらい話して、待っているだろう。


・・・あとは丙さんだ。


あんな状況で、出掛けていくなんて尋常じゃない。
いくら彼女が強いとはいえ、毒にあおられた状態で、どこまで戦えるのか。

あの様子では、天狗に勝てる保証だってない。


・・・でも、行くからには頂上に行くのかもしれない。



・・・まずは頂上を目指そう。
話は、それからだ。




・・・そこまで考えた瞬間。

目の前を何か光るものが右から左へ何かが横切った。
それと同時に、左頬に、ひりっとした痛みが走る。


「!?」


左に視界を寄せると、太い刀を向けた犬尻尾で銀髪の少女が、
俺に斜めに身体を向けて立っていた。


頬を軽くぬぐうと、べたっとした感触が手にこびりついた。



「・・・侵入者ですか。直ちに出て行ってくれますか?
 さもないと、次はこの一閃が脳天を駆けますよ。」




・・・今になって考えると、動機は好奇心だったのかもしれない。
彼女を助け出すという大義名分を掲げて、調べに行きたかっただけなのだろうか。

もう一つ、勘もあったのだろう。

丙さんが頂上を目指しているという、確信めいた、根拠の無い勘だった。



・・・でも、今の俺には、ただ、頂上を目指すことしか頭に無かった。
自分の立場も忘れて、断崖から飛び降りるようなことをしたのだ。


妖怪の山に単騎で突っ込む。

馬鹿だったのだろう。




・・・そんな、警告とも立ち退き指令とも取れる言葉を、
俺はただただ不敵に笑いながら聞き流した。



「・・・通して下さい。頂上に行きたいんです。」


俺は何故か、おかしくてたまらなかった。
今の俺の顔は、だらしなく、笑っていたのかもしれない。


だって・・・こんなに命の危険が迫っているのに、
自分自身が気持ち悪いくらい、冷静なんだもの・・・。



「・・・私だって、極力殺生はしたくありません。
 一つ、提案があるのですが、いいですか?」


笑いをこらえていると、犬尻尾の少女がそんなことを投げかけた。


どうやら、戦わずに去ってくれるいい方法を思いついたらしい。





「・・・将棋は、得意ですか?
 できるのならば盤上の戦で、勝負をつけましょう。」


その言葉を彼女から聞いた瞬間、思わず顔が綻んでしまった。
勝機を確信した。というより、勝利だ。


・・・何を隠そう、俺はジュニア全国大会で準優勝を収めた身。


生半可な腕の奴に、負けるはずが無い。



「・・・いいですよ?ちょっとだけ、自信がありますので。」


・・・またもや、おかしくなってしまったのだ。
彼女にはかわいそうだけど、ここは通してもらおう。
















「・・・はい。お疲れ様でした。」

「・・・。」



ぱちりと彼女が中指と人差し指の間ではさんだ駒を自陣に置く。
そして、その後の一言だった。



開いた口がふさがらなかった。





・・・どうしよう。負けた。
しかも、かなりの差をつけられて、あっさりと。


終盤に差し掛かる頃に、大駒を取られてしまった。
恐ろしく強いのだ。

・・・少なくとも、再戦を申し込む気も失せるくらいには。


何度やったって、こんなのに勝てるはずが無かった。



・・・考えるべきだった。


自分よりもはるかに長く生きる者が、挑んでくる勝負。
プロの数倍のキャリアだって積める。


・・・かといって、身体能力で勝てる相手でも無さそうだ。


どうあっても、ここは通れない事を意味していた。



・・・それならば。



俺はすっくと立ち上がると、握りこぶしを胸の前にして笑った。




「・・・じゃあ、第二戦です!俺と、派手に斬り合いましょう!」

『馬鹿かお主はっ!!?もう負けたのじゃから引け!
 分からず屋!真に殺されてしまうぞっ!!?』


頭の中で、大きな声が響く。

 



深水の言うとおり、俺はもう既に、おかしくなっていたのだろう。
負けておいて、笑顔でこんな事を言い出す始末。

正気じゃなかった。

勝機も無かった。




「・・・くすっ。よほど、ここを通りたいんですね。
 いいですよ。ここが、お前の墓ですね。」





彼女は軽く笑って将棋版をしまうと、再び刀を構えて距離をとった。








・・・彼我の距離は、数m。




お互いが、びくともしない。



聞こえるのは、お互いの呼吸の音だけ。





・・・この沈黙が、心地よかった。

つくづく、狂っている。




・・・そう、心の中で息が抜けた瞬間だった。



少女が走り出した。
その瞬間に、刀が目の前にあった。


それと同時に、反射でそれをかわした。
何故かわせたのかは分からない。

・・・でも。


彼女も予想外だったのだろう。


体勢を軽く崩した少女が足を踏ん張って向き直り、
素早くアッパースイングで刀を振り上げた瞬間。



・・・その瞬間を、見逃さなかった。




刀を思い切り、居合いの構えで振り抜いた。
少しの間を置いて、少女の顔は引きつった。


彼女の刀の半分が、近くの地面に、刺さっていたのだから。



そう、居合いのスピードなら、誰にも負けたくない。
・・・唯一の、得意技なのだから。


「・・・どうだっ。」


俺が歯を見せて、そう言った。
ちょっとだけ、勝機が見えた気がする。


・・・もしかしたら、勝てるかもしれない。
そんな淡い希望を持った瞬間だった。


・・・少女は、ふっと笑った。


笑ったかと思うと、次の瞬間には、彼女は半身の刀を拾い上げていた。

その次は、近くの木を空中で蹴ってから、後ろに回りこんでいた。



その次は、少しの間合いを取って、手裏剣のようにその半身刀を投げた。




その次は、後ろにいたはずの彼女は、刀を振り上げて目の前にいた。


直感したのだが、後ろから投げられた半身は肩を切り裂き、
彼女自身は、柄の付いた半身で俺の脳天を真上から真下に叩き割ったのだろう。






その次は、視界が真っ赤になった後、真っ黒になった。








・・・その次は、あたたかかった。






つづけ