東方幻想今日紀 百二十話  事変の真相は誰だ

「・・・これはまいったな・・・。」


朝一番の、ため息のようなひとこと。



今俺は、寝巻きのまま、正座にして虫かごを持ち上げている。


もし今鏡を目の前に置かれたら、
映った目の前の顔は曇ってるという印象を受けるだろう。



「なんで全滅してるんだよ・・・。」



そんな事を虫かごにつぶやく。

硬いガラスは押し黙っていた。



そう、中の三匹の蛾は全て死んでいたのだ。
それも、中身の水銀をかごの底にぶちまけて。


みんな触覚一つ動かさずに、仰向けになっていた。
永遠亭に持っていかなければならないのに。



『朝から元気じゃのう。』

「うるさい!元気なのは昨日の蛾だよ!」



不意に頭の中で抑揚のない言葉が響きわたる。
うまい事も言えなかった。さっきの発言は取り消してほしい。

どうにも深水の声には緊張感というものが欠けている。




『ほお、面白い面白い。』

「ごめん、さっきのは忘れて・・・。」


思わず語勢が強くなるのを我慢して言う。

だめだ・・・深水の発言が今は無性に腹が立つ。

そんなに抑揚のない声で言われると、
馬鹿にされたとしか思えなくなってしまう。



『まあ、そう憤るなお主らしくもない。
 死体でも問題はあるまい?蛾に入ってる毒じゃろう?』


深水がのんびりといつもの調子でなだめる。


まあ、確かに死んでてもそれはそれで構わないかもしれない。
中に入ってる毒が活性を失う前に持っていけばいいのだから。




・・・と、すると。








かごを持ったまますっくと立ち上がる。




扉を開け放して、階段を駆け下りる。




靴を履いて、命蓮寺の玄関戸をゆっくりと開ける。




心地いい朝の日差しが体中に染み渡る。




どこまでも走れそうだ。







「よっしゃ急げええええええっ!!」



虫かごを掲げてそのまま疾走した。
今の俺は正に風だった。


朝の夏風を受けて、人をよけつつ駆け抜ける。


時折刺さる視線を感じながらも、全力で走った。



『お主・・・どこもかしこも馬鹿じゃろ・・・。』


深水の声も、今は聞こえなかった。



でも念のため、刀を鞘のまま、
地面に一度だけ強く強く叩きつけておいた。







あれからどのくらい走ったかは分からない。

でも、足を止めざるを得ない状況になったので、足を止めた。



吹き抜けるさわやかな風のにおい。

薄暗くて心地いい明るさ。

風流を感じさせる、斜めに立ち並ぶ青竹。

地面はやわらかくて、白骨のようなものが辺りにちらほら。



・・・本当に、足を止めざるを得ない状況だった。






「深水・・・どうやって抜け出そう・・・。」

『それをこの場で言えたのなら、
 こんな物騒な地名は付いていないじゃろうな。』



そう、ここは迷いの竹林だった。


行けども行けども同じ道。
目印なんか無駄。

そんなものでは通用しない何かが、侵入者を拒んでいる。


ここを通るとき、案内を付けるのが普通だ。
さもないと、迷った挙句死ぬ。


しかし、俺は今までここで二回も迷っているのだ。
何も考えていない訳ではない。


「・・・よし、手当たり次第に竹を切って・・・」
『お主はいったい自然を何だと思ってるのじゃ・・・。』


深水があきれたように鋭い突っ込みを入れる。


「いや、だって以前はそれで永遠亭の人に見つけてもらったし・・・」

『それは偶然じゃろうが・・・今まで他力本願、
 即ち運で乗り切ってきたのじゃろう?今回そうとは限らんぞ。』

「う・・・。」


思わず返答に窮した。

だって、全部正論だったのだから。
どこにも反論できる余地がない。


『・・・まあ、抜けられん場所でもないじゃろう。
 あくまでも自力で抜け出すのは難しいだけじゃろうからの。』


「まあ、そうなんだろうけど・・・どうしよう?」


このままでは、蛾の毒の活性が失われてしまう・・・。

それだけならまだしも、
下手をすると竹林の他の妖怪に襲われて死ぬか、飢え死にするか。

幸い、季節が季節なので凍死することはなさそうだけど・・・。



・・・こういう時、毎回誰かに助けてもらってた。


いざというとき自分では、何も出来ないんだって。
そんな事実を覆い隠すように、人に頼っていた。


・・・じゃあ、自分で何かをしてみよう。



「・・・よし!歩こう!」



俺は柔らかい土を踏みしめて、虫かごを持ったまま前に歩き出した。

深水は何も言わなかった。



・・・けれど、微笑んでいるような、そんな気がした。














・・・歩くこと、しばし。


あえて大げさな言い方をするのなら、
自分の両の目は、幻想を見たとでも言うべきだろうか。



小さな奇跡を目の辺りにしたのかもしれない。



「・・・本当に着いた・・・。」

『まさか本当にたどり着くとはのう・・・』



目の前に、見覚えのある日本式の建物。

・・・まさしくそれは、目的地の永遠亭だった。



「・・・深水っ!これは、俺の力でいいんだよね・・・!?」

虫かごを持ったまま、子供みたいに声を上げた。
思わず声が弾んでしまう。


『ああ、正真正銘、そうじゃろうな。』


・・・やっぱり、深水は笑っているように思えた。












「・・・あら、おはよう。久しぶりね?」

「あっ、おはようございます。」


永遠亭の診療室に入ると、
以前薬をもらった身体の半分を青赤で塗り分けられた服の女医さんがいた。
俺の気配を察知すると、何かを書く手を止め、こちらに向き直っての一言。

虫かごと、俺の服を交互に見ていた。



「・・・どうしましたか?」


大きい虫かごはともかく、服はどうして・・・


「ふふっ、よっぽど急いでたのね・・・?」

「え?」


疑問符を浮かべながらその言葉を聞いていた。


不審に思って、自分の服の裾を引っ張る。
青っぽい服は、よく伸びた。柔らかい綿で出来ている。



・・・寝巻きのままだった。



「・・・あらあら、そんなに頭を抱えないで。
 とにかく、その虫かごを開けてくれないかしら?」


「・・・え、はい・・・。」


落胆しているところを急に話しかけられ、
言われるがままに虫かごを開けた。

女医さんは、るつぼ鋏のようなものを取り出して、
その銀色の死んだ蛾をつまんだ。


今思うと、彼女はどうしてしてほしい事を察せたのだろうか。
やはり、頭の回転がおかしいのだろうか。

どこの世界でも、お医者さんは高い頭脳が必要なのかな・・・。


「ウドンゲ、出てきて。」


そんな事をぼんやりと考えていると、
女医さんはのれんの向こうに呼びかけた。


「はいはい、ただ今・・・。」




のれんの向こうからは、見覚えのある人が出てきた。


ウサ耳にブレザー、長髪。
見間違えるはずもなかった。



「「・・・あーっ!!」」


お互いがお互いを指差した。


鈴仙さん、ここで働いてるんですか!?」


思わず、彼女に向かって尋ねてしまった。


「働いているというより・・・住んでいるんですけど・・・
 それよりも・・・えっと、名前は何でしたっけ・・・?」


申し訳なさそうに鈴仙さんが頭をかく。
一瞬服を見たのは気のせいだと思う。


「・・・あ、リアと申します!
 自己紹介が遅れてすみません・・・。」


そういえばまだ名乗っていなかった。
魔理沙さんとかにも、霊夢さんの時にも、名乗りは遅かった。

もしかしたら、自分は名乗らない癖があるのかもしれない。



「二人とも知り合いだったのね・・・じゃあ、私からも。
 私は八意 永琳。ここで患者を診ているしがない医者よ。
 ウドンゲ、この蛾を適当なところへ捨ててくれるかしら?」


「お師匠様・・・謙遜なさらないでくださいよ・・・。
 はい、ただ今捨ててきます。少々お待ちくださいね。」


鈴仙さんが虫かごごと受け取って、それをかついだ。


「ウドンゲさん、あのっ」
「・・・次そう呼んだら殺しますよ?」

ものすごい勢いでにらまれてしまった。
思わず足がすくむ。


ウドンゲさん怖い・・・。


「・・・あ、すみません!鈴仙さん、それ捨てちゃうんですか?」

折角苦労して捕まえた珍しい蛾なのだ。
簡単に捨てられてしまうと、ショックなんだけどな・・・。




鈴仙さんはなだめるように、微笑んだ。


「・・・安心して下さい。幻想郷ではありふれた蛾です。
 ただ、水銀を誰かによって吸わされただけでしょう。」


鈴仙さんは、そう言い残してのれんの向こうに消えた。


「・・・えっ!?」


あの銀色の蛾はありふれている・・・?
誰かによって水銀を吸わされ・・・!?


確かに、そう考えれば蛾がすぐに死んだのも説明が付く。

元々、生物が身体に水銀を蓄えておいて無事なはずがないのだ。
大量発生しては消えて、そんな神出鬼没な理由も分かった。

蛾そのものが、水銀中毒で死んだのだ。

また、群れていたのも、水銀毒で興奮状態にあったからかもしれない。





だから、何者かが水銀を含ませた蛾を大量に、故意に放ったのだ。
その可能性は、極めて高い。




「・・・そう。その蛾は割と大型のありふれた蛾よ。
 だから、今回は異物の排泄を促進する薬を渡しておくわね。はい。」


「あ・・・ありがとうございます。
 でも・・・一つ分からないことがあるのです。」

鈴仙さんの代わりに、永琳さんが薬を手渡しながら答える。


困惑しながら受け取る。

でも、疑問だけはしっかりと話しておく。


・・・そうでないと、目的が果たせない。


俺は丙さんのことを話した。
お祭りの状況を含めて、分かる範囲で、ありったけを述べた。


簡単に言うと、
その毒が丙さんに対して過剰反応した理由を知りたかったのだ。



「・・・その子が水銀に特別弱い・・・ではなさそうね。
 とすると・・・その蛾の鱗粉と相乗効果で発症したのかもしれないわね。」


・・・!


相乗効果か・・・!

・・・確かに、その線はあり得る!


彼女は他の世界からやってきた「龍」なのだ。
偶然、その蛾と水銀の組み合わせが彼女にとって猛烈に毒になるとしたら・・・


・・・待てよ?


彼女が毒に苦しんだ記憶が・・・どこかで・・・。


・・・あ。


・・・あの時。
七つ鬼火の犬耳妖怪との戦闘の際、彼女は毒を食らっていた。
どういう名前の毒かは分からないが、彼女だけに効く毒のような事を言っていた。


もしも、その組み合わせを知っている者が、
意図的に蛾に水銀を含ませて放していたとしたら・・・。



そう考えると、それと同時期に起きた通り魔も、納得がいく。
赤い着物を狙っていた・・・即ち、あれは丙さんを狙っていたのだとしたら・・・



通り魔。
水銀の蛾。
丙さんを探していたオッドアイの道。




・・・あのお祭りでの出来事が、全て一つにまとまった。





まずい。





丙さんは・・・命を狙われている・・・。
しかも、生半可な悪意じゃない。


途轍もない恨みと執念のような感情で、命を狙われている・・・




彼我さんの推測は核心を突いていた。

道のあの時の発言が本当だとしたら・・・
彼は丙さんの命を狙う者の協力者で・・・





・・・こうしちゃいられない。



早く丙さんと命蓮寺の皆にその事を伝えて、丙さんを守らなきゃ・・・!




「・・・ありがとうございましたっ!」

「はーい。代金はまた今度でいいわ。」


俺は永琳さんから道順を教えてもらってから、
逃げるようにして永遠亭を後にした。












寝巻きで小瓶を抱えた、命蓮寺への帰り道。


走って疲れた足を緩め、
少しだけゆとりを持って田園風景の道を歩いていたときの事。


「・・・深水。全部わかった・・・気がする。
 丙さんが・・・どんな状況にあるのかが・・・。」


歩きながら、独り言のようにつぶやく。


『ふむ・・・相変わらず、お主は頭がよく回るのう・・・。
 まあ、どうせそうじゃろうなと思っていたのじゃがな・・・。』



深水の何気なく言ったその言葉が、頭の片隅に引っかかった。



「・・・よく分かるね、そんなこと・・・。」

純粋な疑問だった。
そういえば、いつも深水は俺の事をわかっているように思う。

次に、どんなことをするかが把握できているのだろう。



『当たり前じゃ。
 お主を誰よりも分かっているのは、この儂なのじゃからな。』



さりげなく、さりげなく言ったその言葉。
まるで、常識のように言ってのけた、軽い言葉。



「・・・どういうこと?」


思わず、足を止めて聞き返してしまった。



『・・・ただの独り言じゃ。』


それを聞いて、思わず笑ってしまった。

だって、「らしくない」もの。




「そっか」



俺は、それだけ言うと、また歩みを進めた。





大きな白い入道が妖怪の山にかかっていた。




つづけ