東方幻想今日紀 百十七話  すれ違いの始まり

「慧音先生にお願いがあるんですっ!」




「・・・あー、開口一番にどうしたんだ?」



寺子屋に着いて、慧音先生に会うや否や、
頭を下げてお願いした。

慧音先生は戸惑いながらの苦笑いだった。



「慧音先生、道について詳しく教えてください。」

「以前に教えたはずなんだが・・・。」


すごく神妙な顔つきのつもりで彼女に問いを投げた。
そんな俺とは対照的に、彼女は苦笑いで答える。


「・・・いえ、訊きたいことがあるのです。」






日車 道。寺子屋の生徒であり、オッドアイ

ごっこのとき散々お世話になった物静かな彼だ。
どうして彼のことを突然訊きたくなったのかというと・・・。


お祭りに出会ったときの少年、丙さんが倒れた時一緒に居た子と同じ、
右目が薄桃色、左が黒のオッドアイ持ちなのだ。

彼は捨て子だった。
所在や親はおろか、種族すら不明なまま良識ある大妖怪に保護された。
数年前、ここの近くの村で発見されたのだが、
拾って育ててくれる人を次々に殺してしまったらしい。

数ヵ月後にその大妖怪も消息を絶った。
あとに残ったのは情緒が安定し、素直な性格になった捨て子がいた。
勿論、書き置きがあったから恐らく失踪だと言われている。

その置手紙は「用事を思い出した。」との内容らしい。


そんな暗い過去を背負っている少年なのだが、
今は元気に寺子屋で生活している。

突然彼のことを慧音先生から聞き出そうとしたのは、
あの時肝試しのときに出会った彼とは同一人物だろうかと考えたのだ。


・・・でも。


「道は・・・一本だたらではないですよね?」

「ああ、そんなことは思った事ないな・・・
 強いて言うなら目の色が左右で違うことくらいか・・・?」


即答する慧音先生。
自分も予想していた答えで、思わず頭を抱えてしまった。



・・・考えてみるとばかばかしい。

目の色が同じ。
たったそれだけの理由で彼をあの少年と同一人物と思い込むなんて。

一人称だって道は「俺」、あの子は「ボク」。
道は内気で無口、あの子は喜怒哀楽が激しい気さくな子。

髪の色まで違う。

道は黒、あの子は藍色。

あの子は傘を持っていた。服装も違う。
おまけに舌を出すようなしぐさ、片目を閉じるしぐさ・・・。


小傘によく似た、一本だたら特有のしぐさだった。

彼とあの子を結び付けろという方が無理な話かも知れない。




「・・・質問はそれでいいのか?」
「あ、はい大丈夫です。それでは授業の準備してきますね。」


「ああ、ありがとう。」



慧音先生の感謝の言葉を背に、
俺はプリントを手早くまとめて、逃げるように部屋から出た。














「・・・先生・・・俺の顔に、何か付いてる・・・?」

怪訝そうに尋ねるオッドアイの少年。
ずっと顔を覗き込んでいたら悟られてしまったようだ。


あのあと一応は気になって、
教室で休み時間、道の様子をぼーっと観察していたのだ。
ずっと本に目を通して、他の子とは話す様子がない彼を。


「・・・あ、いや、何という事はないよ。
 今日もかわいいなあって・・・。」


話をごまかすために、軽い冗談を言う。


「・・・。」


言った瞬間、オッドアイの少年は凍りついたように固まった。
ただでさえ無口なのに、空気まで黙ってしまった。

・・・え?なんで・・・


「先生・・・まさか普段からそんな目で俺を・・・」
「違う違うちがあああうっ!!!冗談だからっ!!」


どうやらとんでもない誤解をされてたみたいだ。
思わず赤面して大声でわめき散らしてしまった。

他の子たちが俺を一瞥してくすっと笑って、また戻る。

ええい、見るな見るな!違うんだってば!


「・・・なんだ、だったら普段言いもしない冗談はやめてよ・・・。」
「はい・・・ごめんなさい・・・。」


道にしかられて、思わずしゅんとなってしまった。
こんな教師、他にいるだろうか。

確かに、普段は冗談をあまり言わないたちだから
いざ言うと本気で取られるのだろう。失敗した。


「・・・で、何で俺の顔をじっと見てたの・・・?」

「それは・・・。」

切り返すように道が問い詰める。
思わず返答に窮してしまった。


言おうにも、何から話していいのか分からない。




「・・・そういう時はね、先生。」
「・・・ん?」



本から顔を上げてゆっくりと口を開く道。








その口は、意味深に、重たげに開いていった。

赤い舌をちろりと出して左目を・・・閉じて。









「・・・あの時、ナズーリンを蹴ったのはお前かってね?
 ・・・ボクにそう尋ねればいいんだよっ。」








そのときだった。


記憶の顔と目の前の顔が、ぴったりと一致したのだ。
考える前に、手が動いたのだ。







次の瞬間には、自分の手は少年の襟元を掴んでいた。
少年の足は、地に着いていなかった。




「お前・・・っ!丙さんをどうしたっ・・・!
 何で丙さんはあんな状態になってるんだよっ・・・!!おいっ!!」


歯止めなんて、最初からなかった。



「答えろっ!!答えろよっ・・・!!」


このときだけは、ここがどこかも、自分が誰かも忘れて、
ただ罵声を浴びせながら、少年を上下に激しく揺さぶっていた。


激しく油が自然発火するように。




・・・少なくとも、直後の声を聞くまでは我を忘れていた。






「・・・お前は何してるんだっ!!!」



ぴんと張った、女性の強い強い声。



・・・その声が耳に入った瞬間、自分の中の全てが止まった。
視線を声の方向に合わせることなんて出来なかった。


ほとんど間を置かず、俺の腕は少年から引き剥がされた。

ただ、俺は呆然としてその白い手のままに動かされていた。



一番の不幸は、自分が今、何をしたか気付いた事だったのかもしれない。




しばらくして、俺は教室の外に連れ出された。


慧音先生がぴしゃりと戸を叩きつける音が、
静かな教室に響き渡ったのをよく覚えている。




教室の床には、数滴の水滴が落ちていた。
道のではない。






得たものは、彼があの子だと分かったこと。


失ったものは、大切なもの。











「・・・どうしたんだ。」




別室に連れてこられて、しばらく落ち着いた後に慧根先生が口を開いた。
視界がぼやけていたが、慧音先生の表情は痛いほどよく分かる。


きっと、俺が初めて見る顔だ。







「わかり・・・ません・・・っ!!」









それだけ答えて、俺は硬い床に崩れた。







つづけ